糖尿病網膜症の眼循環に関する最近の知見CurrentTopicsontheOcularBloodFlowinDiabeticRetinopathy野田航介*はじめに研究者にはそれぞれが得手とする領域がある.そして,ある疾患の病態に関する研究を行う際にはもちろんその得意な研究視点からのアプローチが行われる.この時,その研究が明らかにできる部分とできない部分,その研究者が知っている事象と知らない事象が存在するし,検査機器や実験手法などの技術的な問題からその時点では知り得ない知見というものも必ずある.これらのことを考えると,疾患病態に関する理解というものはいつの時代になっても群盲象を評すが如きものだといえる.糖尿病網膜症の病態において血管内皮増殖因子(vas-cularendothelialgrowthfactor:VEGF)が重要な役割を演じること,この歴史的な解明はわれわれの本症に対する理解と診療を大きく変えた.そして,現在も世界中でVEGFに関連する研究を推し進めることに多くの力が注がれ,糖尿病網膜症の病態はVEGFだけで説明できるかのような学会報告や論文を目にすることもある.しかし,前述のことを考えればVEGF以外の因子による糖尿病網膜症の病態は必ず存在し,われわれが現時点では知りえない病態変化もきっとあるはずである.そして,本疾患に対する真の病態理解には血管生物学的な知見と血流や循環などの物理的な視点からの知見を統合することが重要と考える.本稿では,糖尿病患者の網膜および脈絡膜の循環に関する最近のトピックスについて,筆者が興味をもったものをまとめた.I糖尿病網膜症における網膜血流の変化:無灌流領域の形成機序糖尿病網膜症は,糖尿病によって生じる網膜細小血管障害を原因として発症し,網膜機能の障害を引き起こす疾患である.すなわち,高血糖やその他糖尿病に由来する変化によって「網膜の細小血管構築が破壊され」「続発する血管閉塞に伴って網膜に虚血状態が生じ」「その代償機構として網膜血管新生が誘導される」結果,網膜の正常構造が破壊され,視情報を受容および統合する神経組織としての機能が低下ないし喪失する.この際,毛細血管閉塞が生じることは本症が失明に向かう直接の引き金となる変化である.なぜ糖尿病患者の網膜毛細血管は閉塞し,無灌流領域は形成されるのだろうか(図1).1.白血球接着と無灌流領域形成有力視されている一つの仮説は,白血球による血管閉塞(leukocyteplugging)が原因であるとする病態仮説である.古くから,糖尿病患者の赤血球や白血球はその変形能が低下するため1),同患者の毛細血管における循環障害や血管閉塞の原因と考えられてきた.また,糖尿病モデル動物の網膜において,毛細血管瘤や毛細血管閉塞部などの病的血管には白血球が存在することが知られている2,3).さらに近年になって,VEGFをマウス硝子体に投与すると一過性に網膜血管で白血球接着の増加を*KosukeNoda:北海道大学大学院医学研究院眼科学教室〔別刷請求先〕野田航介:〒060-8638札幌市北区北15条西7丁目北海道大学大学院医学研究院眼科学教室0910-1810/21/\100/頁/JCOPY(23)261図1糖尿病網膜症における無灌流領域形成73歳,女性.Ca:フルオレセイン蛍光眼底造影(FA)所見.Cb:超広角Cswept-sourceOCTA(SS-OCTA)所見(XephilioCOCT-S1,キヤノン株式会社).超広角CSS-OCTAではCFAでは不明瞭な無灌流領域()を鮮明に確認できるとともに,FAでは描出されない網膜血管()も検出される.図2Leukocyteplugging仮説毛細血管閉塞による網膜虚血はCVEGF産生を増加させ,その結果として白血球遊走を誘導する.毛細血管では変形能が障害された白血球によって血管閉塞(leukocyteplugging)が生じ,病態がさらに促進されるとする仮説.(文献C6より改変引用)図3血管壁剛性変化仮説糖尿病患者の毛細血管では,ペリサイト脱落などの変化によって血管壁が脆弱となった血管により多くの血流が供給され,他の分岐血管の血流は減少する.その結果,灌流低下や無灌流領域が生じるとする仮説(文献C8より改変引用).また,この仮説は抗CVEGF製剤による血管収縮に伴って血流量が低下することで,その不均衡な血流分布が是正されるという可能性も示している.=眼底造影写真と光干渉断層計(opticalCcoherenceCtomo-graphy:OCT)Cスキャンを合成することで示した,毛細血管瘤を伴う拡張した血管の多くは無灌流領域の近傍に存在するという知見もこの仮説を支持しているのかもしれない10).この「無灌流領域形成は血管壁剛性変化に伴う現象」とする説明もエビデンスとして示されているわけではなく論理的考察に過ぎないが,糖尿病網膜症における毛細血管閉塞が物理的な現象として生じうる可能性をうかがわせる.では,この仮説では糖尿病網膜症に対して抗CVEGF製剤を使用すると無灌流領域の再疎通が促進されるという先の臨床研究の結果も説明できるのだろうか.毛細血管内腔が器質的に閉塞する以外に,血管壁剛性の変化によって一過性に血管閉塞が生じうるという仮定の下では,この仮説も説明可能である.VEGFは生体が低酸素という危機的状態に陥った際にそれを代償するために作動する分子である.VEGFの機能としては血管透過性亢進と血管新生がよく知られているが,もう一つの低酸素代償作用として血管拡張作用がある.VEGFの下流には一酸化窒素合成酵素(nitricCoxidesynthase:NOS)が存在しており,NOSは誘導されると血管拡張作用のある一酸化窒素(nitricoxide:NO)を産生する.抗CVEGF製剤を硝子体投与すると網膜血管径が狭細化することが知られているが,それはこの経路が阻害されるために生じる事象と考えられている.前述の仮説から考えると,血流が減少して内圧が下がれば血流不均衡は是正され,灌流低下や一過性の血管閉塞が生じていた血管への血流供給が再開される可能性がある(図3).このように,抗CVEGF製剤は白血球接着を介さずに血流動態を変化させることによって無灌流領域を再疎通させているのかもしれない.現時点ではCimagingmodalityの解像度などに限界があるためこの推論も検証はできないが,今後の検討を待ちたい.CII糖尿病眼における脈絡膜血流の変化:糖尿病脈絡膜症の解明脈絡膜は血管に富んだ組織として,網膜色素上皮層や視細胞層などの網膜外層を栄養している.糖尿病は血管系を主要なターゲットの一つとしてその臨床症状を惹起する疾患であることや,脈絡膜血流は脳と比較しても約10倍の血流があることなどから,糖尿病による脈絡膜障害は黄斑浮腫などの病態にかかわると考えられてきた.そのため,糖尿病眼における“脈絡膜症”の存在およびその病態への関与は以前から注目されていたが,検体採取が困難なことや臨床的な観察系が十分でなかったことから,その知見も限られてきた.しかし,imagingmodalityの技術革新によって,以前は観察できなかったその構造や血流が生体で観察できるようになり,この数年は世界中の研究者が競い合って解析を行っている.糖尿病患者における脈絡膜の変化は現在どのように考えられているのだろうか.そして,この糖尿病脈絡膜症は糖尿病患者の視機能や病態形成に影響を与えているのだろうか.C1.組織学的検討糖尿病眼における脈絡膜の病態変化に関する検討については,Luttyらの一連の業績が有名である.1995年に“EnhancedCexpressionCofCintracellularCadhesionCmolecule-1CandCP-selectinCinCtheCdiabeticChumanCreti-naandchoroid”という論文において,糖尿病患者の剖検眼を用いた検討で脈絡膜血管における白血球接着分子の発現は亢進しており,その結果として糖尿病患者の網脈絡膜組織における好中球浸潤が増加していることが報告された11).また,1997年にはCLutty本人が筆頭著者となって,その結果生じる多核白血球浸潤と毛細血管脱落数(血管傷害)の間には強い相関があることを報告している12).その後,健常人に比較して糖尿病患者では脈絡膜血管でも毛細血管瘤などの血管異常が生じていること13),局所的な脈絡膜毛細管板の萎縮が多発していること14)などが報告された.これらの知見は,糖尿病においては網膜のみならず,脈絡膜においても血流障害が生じることを示唆している.C2.OCTを用いた脈絡膜厚解析しかし,糖尿病患者の脈絡膜組織の生検を行う機会は実臨床上ではまずない.そのため,“糖尿病脈絡膜症”に関する検討には剖検組織が用いられたことから生体における現象との乖離が否定しえず,その後は一時進捗が(27)あたらしい眼科Vol.38,No.3,2021C265止まっていた感がある.しかし,近年COCTの解像度および深達度が改良されたことによって糖尿病患者の脈絡膜に再び注目が集まっている.ただ,複数施設からの脈絡膜に関する検討結果は混沌としているのが現状である.網膜症を有さない糖尿病患者の中心窩下脈絡膜厚は減少しているとする報告15,16)が複数先行したが,その後は逆に増加しているとする報告17,18)が相次いだ.脈絡膜血流は,糖尿病の全身状態,治療介入の有無,血圧,VEGFを含めたサイトカインの関与などさまざまな因子によって影響されることがその背景にあるようである.近年,筆者の教室の加瀬らは糖尿病患者の脈絡膜厚に関するC17論文のメタアナリシスを行って,網膜症を有さない糖尿病患者では中心窩下の脈絡膜厚は健常人と比較して減少していることを示した19).本検討結果は組織学的検討の結果を支持するものであり,糖尿病が血管症としての性質を有することから妥当であると考えられるが,この問題に関してはもう少し今後の検討が待たれるところである.C3.OCTAや血流観察系などを用いた脈絡膜血管解析進行した糖尿病網膜症患者のインドシアニングリーン蛍光眼底造影では,脈絡膜毛細管板の血流低下を示唆するCsalt-and-pepperパターンが後期相で観察される.また,レーザードップラ法を用いた解析では,糖尿病網膜症患者の中心窩下における脈絡膜血流は有意に低下するとされ20),レーザースペックルフローグラフィーを用いた検討でも糖尿病患者の脈絡膜血流速度はCHbA1cと負の相関を有する21).これらの所見は糖尿病の進行とともに脈絡膜血流が低下することを示しており,enCfaceCsweptsource.OCT(SS-OCT)を用いた解析でも,脈絡膜血管密度は糖尿病患者で低下すると報告されている22).SS-OCTAを用いた研究では,明らかな網膜症のない糖尿病患者の脈絡膜毛細管板においては,流入欠損部が非糖尿病患者に比べて増加するとともに,黄斑部血流変化に先行すると報告されている23).また,脈絡膜毛細管板における血管密度は増殖糖尿病網膜症あるいは糖尿病黄斑浮腫を有する症例で減少するという報告もある24).さらに近年になって,糖尿病網膜症患者における脈絡膜毛細管板の血流低下と中心窩および傍中心窩の網膜感度は相関を示したとの報告がなされ,脈絡膜血流の変化が網膜症病態を修飾することが示された25).本検討結果は脈絡膜症の病態意義を示したものであり,大変興味深い.この分野も検査機器性能の向上などによる今後の発展を待ちたい.おわりに糖尿病網膜症における網膜および脈絡膜血流に関して筆者が興味をもっている最近のトピックスについてまとめた.糖尿病網膜症は血管症と神経症としての二つの側面をもつ疾患であるが,血管症の病態理解には血流動態に関する研究の発展が不可欠である.今後本領域の研究成果が蓄積し,今まで知りえなかった新しい病態解明につながることを期待したい.文献1)ErnstE,MatraiA:Alteredredandwhitebloodcellrhe-ologyintypeIIdiabetes.DiabetesC35:1412-1415,C19862)KimCSY,CJohnsonCMA,CMcLeodCDSCetal:NeutrophilsCareCassociatedwithcapillaryclosureinspontaneouslydiabeticmonkeyretinas.DiabetesC54:1534-1542,C20053)SchroderS,PalinskiW,Schmid-SchonbeinGW:ActivatedmonocytesCandCgranulocytes,CcapillaryCnonperfusion,CandCneovascularizationCinCdiabeticCretinopathy.CAmCJCPatholC139:81-100,C19914)LiuY,ShenJ,FortmannSDetal:Reversibleretinalves-selCclosureCfromCVEGF-inducedCleukocyteCplugging.CJCICInsight2:e95530,C20175)MirTA,KheraniS,Ha.zGetal:Changesinretinalnon-perfusionassociatedwithsuppressionofvascularendothe-lialgrowthfactorinretinalveinocclusion.Ophthalmology123:625-634,Ce1,C20166)CampochiaroPA,Wyko.CC,ShapiroHetal:Neutraliza-tionCofCvascularCendothelialCgrowthCfactorCslowsCprogres-sionCofCretinalCnonperfusionCinCpatientsCwithCdiabeticmacu-laredema.OphthalmologyC121:1783-1789,C20147)石橋達朗,吉川洋:糖尿病網膜症の病理.糖尿病C42:C415-417,C19998)StefanssonCE,CChanCYK,CBekCTCetal:LawsCofCphysicsChelpCexplainCcapillaryCnon-perfusionCinCdiabeticCretinopa-thy.Eye(Lond)C32:210-212,C20189)CoganCDG,CKuwabaraT:CapillaryCshuntsCinCtheCpatho-genesisCofCdiabeticCretinopathy.CDiabetesC12:293-300,C196310)TakamuraY,YamadaY,NodaKetal:Characteristicdis-tributionofmicroaneurysmsandcapillarydropoutsindia-beticCmacularCedema.CGraefesCArchCClinCExpCOphthalmolC266あたらしい眼科Vol.38,No.3,2021(28)–