寄稿私の視点東京地下鉄サリン事件への眼科での対応─24年前を振り返って─山口達夫*はじめに最近,3人の若い先生方から別々に「サリン事件の時に随分苦労されたと聞きましたが,どんな状況だったのか話してもらえませんか」と頼まれ,また「機会があればどのように対応したのかを,どこかに執筆してほしい」と言われた.1995年3月20日にオウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件は,地下鉄日比谷線,丸ノ内線,千代田線の車内で猛毒の神経ガスのサリン1,2,4~6)が散布され,14人が死亡,約6,300人以上が負傷する大惨事となった.大都市の東京で行われた一般市民を標的とした無差別化学テロは,世界中を震撼させた.未曾有のテロ事件から24年が経過し,事件のことは聞いてはいるが実情を知らない若い人たちが増えてきたことを実感する.オウム事件の裁判がすべて結審し,死刑囚13人全員の刑の執行が行われたこともあり(2018年7月),若い先生方が当時の状況を知りたくなったのかと思われる.思い返せばこの事件後,いくつかの報告はしたが7,8,12,13,16,19~21,23,25),実際の生々しい状況や,どう対処したかなどの話は事件後15日目に執筆し,日本眼科医会の編集部のご厚意で『日本の眼科』にすぐに掲載していただいたもの以外は執筆していなかった7).そのときの文章に少し加筆し,若い先生方に読んでもらえれば今後の参考になるかと思い筆をとった.1.経過1995年3月20日(月),事件は起こった.地下鉄の3つの路線の車内でサリンが散布され,多数の人が被曝し緊急停車した駅(築地,小伝馬町,霞ヶ関等)で事件が発生した.日比谷線築地駅(聖路加国際病院より徒歩5分)では午前8:06,電車内で事件が発生した.また小伝馬町駅では被曝した人が薬物の入った袋をプラットホームに移動させ,ガスが車外に拡散された.霞ヶ関駅は日比谷線,丸ノ内線,千代田線が交叉する駅であるが,多数の人が受傷し,駅職員や乗客に多数の死者が出た.聖路加国際病院を受診した人は,築地駅と小伝馬町駅で受傷された人がほとんどであった(図1).8:10A.M.筆者はいつものように中目黒から日比谷線に乗り,銀座の二つ先の築地駅で降車したところ,反対ホームに電*TatsuoYamaguchi:聖路加国際病院眼科,新橋眼科〔別刷請求先〕山口達夫:〒104-8560東京都中央区明石町9-1聖路加国際病院眼科0910-1810/20/\100/頁/JCOPY(91)1131図2救急車で搬送されて来た重症患者(朝日新聞社提供)車(上野から銀座方面に行く電車)が停車しており,人がぞろぞろとゆっくり出口に向かって歩いていた.また,人身事故でも起きたために当分の間,電車が動かないので,皆,降車しているのだろうと想像しながら筆者も出口に向かい,地上に出た.地上に出ると周りはいつもの景色だったが,いつもと違うのは地下鉄の出口からたくさんの人が出てきていることで,特別な緊張感はなかった.8:15A.M.聖路加国際病院に到着し医局でコーヒーを入れはじめた.8:20A.M.院内放送で「地下鉄で爆発事故があり,今後,多数の負傷者が搬送されて来る可能性があるので各科で準備をしておいてください」とのアナウンスがあった.爆発と聞いて,手術が必要な患者が多数来院したらどうしようかと不安が一瞬頭を横切り,アドレナリンが全身に周り,身のひきしまる感じがした.8:30A.M.地下鉄内で刺激臭を伴うガスが漏れ,救急外来に多数の患者が来ているとの情報が入った.8:35A.M.あとで知ったが,最初の心肺停止の患者が聖路加国際病院に搬送されてきた(図2).8:40A.M.眼科外来に最初の患者が単独歩行で来て,主訴は全体が暗く見える,ぼけて見えにくい,であった.築地駅から一人で歩いて来たようで,見えないために不安気で青白い顔をした青年だったが,外傷は認められず,爆発によるものではないと思った.眼を観ると両眼に充血(軽い毛様充血と結膜充血)を認め,瞳孔は今までに見たことのない縮瞳で,pinhole状を呈していた(図3).ピロカルピンやウブレチッドの点眼を使用したときにみられる縮瞳とは比較にならないほどの「極小」の瞳孔だった.気分は悪くないとのことだったが急変を考慮し,すぐに点滴を確保し(ソリタT3),ミドリンPの点眼をして椅子に座って待ってもらうことにした.この患者を診ている間にも,外来に次々と患者が現れ,皆同様に「見えない」「暗い」「眼が痛い」「視野が狭い」などの訴えで「頭痛」を訴える患者もいた.これらの患者は全員外傷がなく,これは爆発事故ではないと安心した.その時点では今後どのくらいの数の患者が来るのかまったく見当がつかず,当日の午前の予約の外来患者が120名ほどあり,その中の少数ではあるが予約の患者がすでに外来に来ていた.緊急の患者の正式なchart(カルテ)を作る時間がないので予約の患者と区別する目的で,眼科の事務員と相談し,緊急患者には黄色い2号用紙(入院用)をカルテとし,名前と生年月日を上方に記入し,受付順に1番から通しナンバーを右上方に記入し使用することにした.その後,数百人の患者が病院に運び込まれるとの情報が入った.医局員は11名だったが,当日の出務者は6名であった.眼科としてすでに来院している一般外来の患者を断るわけにはいかず,筆者以外にスタッフ一人を緊急患者専任として対応することにし,その下にレジデント一人を専任とし予診を取ってもらい,手持スリットを持たせ診察後に点滴を確保してもらった.ささいな事だが,こういう決定も瞬時に行わなければならなかった.10人ほどの患者を診察したら,全員,軽度から中等度の結膜充血と極小の瞳孔が共通した所見であった.外傷が認められないことから,これはガスなどの化学物質によって引き起こされたものだと確信した.このような極小の縮瞳をきたす薬物を調べたいと思い急いで医局に行き,日本語の教科書をいくつか見てみたが記載はなく,祈るような思いで“ToxicologyoftheEye”を見たが,残念ながら,そのような記載はなかった.次々に来る被害者を医長の大越貴志子先生らと3人の医師で診察し,診察後,患者全員に点滴を確保した.病院中から点滴をぶら下げる台を持ってきてもらい,1本を2人で使用するようにした.中には昭和の初期から使われて来た錆びた点滴台も混ざっていた.次々と患者が来て,眼科外来は患者で溢れてきた.9:15A.M.教科書が頼れないのなら人に頼ろうと思い,北里大学眼科に薬物中毒の専門家である石川哲教授がおられるとひらめき,直ちに病院に電話をかけたところ,運良く石川先生がおられ暗黒の中に一条の光を見出した感じがした.石川先生に所見を伝えたところ「農薬中毒3)の症状に似ているが,農薬中毒ではそのような強度の縮瞳は起こさないので,自分の知らない物質によるものと思われる.お役に立てなくて申し訳ない」とおっしゃられ先生との会話は終わった.原因物質が不明であり,縮瞳に対しミドリンP,サイプレジンを点眼しても瞳孔はびくとも動かず困り果て「このままで良いのか?」「ステロイドを点滴で使用していれば毒物による視神経の障害は防げたのにと,後日,後悔することにならないか?」など,頭に浮かんできた.9:30A.M.そこで看護師に患者を診察室に入れないよう指示し,診察室の室内灯を消し,室を真っ暗にして,点滴にステロイドを注入するか否か瞼を閉じて黙考した.将来,万一視覚に障害が発生したならば,すべて筆者の責任である.眼科の責任者として大きな判断をしなければならないと考えた.ステロイドの功罪を5分ほど考えた.筆者の人生で,一つの物事を短い時間で,あのように深く考え抜いたことはなかった.そして出した結論は,「点眼薬の効果が出るのをもう少し待ち,その時点でもう一度考えても良図42階の外来の待合フロアは患者と職員で溢れているいのではないか」であった.10:00A.M.図書館から原因物質はアセトニトリルであるとの情報が入り,資料や論文が配布されてきた.原因物質がわかったぞと喜び勇んですぐに“ToxicologyoftheEye”のアセトニトリルの箇所を読んだが「マウスの腹腔に注射をすると結膜充血が起こる」との記載のみで瞳孔に関しては記述がなく,アセトニトリルは原因物質ではないと直感した.原因物質がわかれば治療法がわかると思っていたので,これには本当にがっかりした.患者の状態が気になり,廊下に出てみると廊下は患者で溢れかえっており,点滴をぶらさげている患者にその後の病状を聞いてまわったところ,診察時と同じ自覚症状で,全身的にも悪い徴候は起こっていないとのことで,ほっとした.瞳孔の所見から,副交感神経が異常に刺激された状態と考え,また神経内科からの助言もあり,全員にソリタT3の点滴の側管から硫酸アトロピン1mgの入った生理食塩水10mlを30分かけて点滴することにした.緊急に来院した患者は救急科の医師,内科医,レジデントが診察し,眼だけの訴えの人は直に眼科を受診するようトリアージされていたようだ.外来のフロアがある2階と3階の廊下は,救急外来を受診した全身症状を訴える患者でいっぱいだった(図4).あとで知ったがその頃,自衛隊中央病院の青木晃医師(サリンを専門に研究していた)が,テレビ報道を観て原因物質はサリンではないかと考え病院に連絡をくださったとのことである.後日談だが,信州大学内科の柳澤信夫教授(松本サリ表1事件当日東京都眼科医会のFAX網を使って,会員に送った症状と治療法東京都眼科医会会員各位サリン中毒について今回のサリン事件被災者の診察について,聖路加国際病院,山口先生のご経験を参考のためにとりあえずお伝えします.(山口先生ご了解済)症状1)毛様充血(かなりの多数)2)極度の縮瞳(大多数)3)浅前房(少数)4)KSD様の変化(少数)5)アレルギー性結膜炎(多数)治療縮瞳している例には(生食100ml,アトロピン1~1.5mg)点滴しています.縮瞳は5~6時間経って治ってくる方と,まだ縮瞳の続く方とあります.6時間~24時間で変化する可能性もあるようです.以上別紙3枚はつくばの日本中中毒情報センターより得た情報で千代田区医師会で取り寄せ,島崎先生ご提供のものです.FAXを繰り返して少し読みにくいのですが,参考にして下さい.東京都眼科医会会長原田住江ン事件で多数の患者を診察された先生)が,テレビ報道を見て,松本サリン事件の患者の症状に似ているので原因物質はサリンであると考え,聖路加国際病院に9時過ぎから何度も電話をかけてくださったのだが,回線が混んでいて通じず,結局11時頃にやっと電話が通じ,サリンの話を伝えてくださったとのことであった.松本サリン事件は9)東京の地下鉄サリン事件よりも9カ月前の1994年6月27日に神経ガスが散布され,死者8人,負傷者600人の大惨事となった事件であった.事件発生6日後に原因物質がサリンであることが判明した.のちにこの事件もオウム真理教の犯行であったことが明らかになった.10:45A.M.ミドリンP,サイプレジン,1%アトロピンを点眼した患者の中で数名,瞳孔が「極小」から「小」になって来て,自覚的にも「少し明るくなって来た」とのことで点眼を続行し,ステロイドの点滴静注はせずに様子をみることにした.11:00A.M.原因がサリンであるという情報とともに治療薬のPAM(pralidoximeiodine)が各科に配布され,サリン中毒への治療が本格的に開始された10).神経内科医の指示により,図書館から配布された資料を読むとすべての症状が合致し,サリンによるものと納得した.眼科はアトロピン点滴静注のみで対応することにした.PAMは農薬中毒の治療に使われるため,地方の基幹病院には常備されているそうだが,どういうわけか当日,都心の聖路加国際病院に偶然,大量に備蓄されており,幸運なことであった.点滴にアトロピンが投与された患者は瞳孔がほんの少し開き,毛様充血や眼痛も軽減してきたが,瞳孔が少し開いてきても対光反応は認められなかった.数名に視力と視野検査を行ったが,数値は0.1~1.0と患者によって差が認められ,視野検査では求心性に20~30°の狭窄を示す例が多く認められた.当初はこの結果をどう解釈すべきか悩んだが,瞳孔が少し開いてきてから再検査したところ,視野が著明に改善されたので,胸をなでおろした.11:30A.M.原因物質がサリンと確定し自覚症状,他覚症状も判明し,治療法も確定したので,都内の眼科の先生方に参考にしていただければと思い,東京都眼科医会会長の原田住江先生に症状と治療法を手書きし,FAXで送った(表1).東京都眼科医会は,当時会員数1,866名で都内23区と多摩地区(7地区)の各支部長に連絡をすれば,各地区の会員に情報が伝わるようにFAX網ができており,原田会長の御判断で,筆者からの情報と,学術部の宇多重員常任理事と総務部の島崎哲雄常任理事からのサリンに関する文献も一緒にFAXされた.後日,会員の先生方から,情報が乏しい中どうしてよいのかわからなかったが,FAXを受取りとても助かったと感謝された.12:00A.M.原因物質が判明し治療中の患者も明るさを取り戻しはじめたこともあり,筆者自身,精神的余裕が出たので2階にある教会(普段は患者の祈りの場であり,職員の集会場でもある)に行ってみたところ,木製の長椅子はすべてベッドになり,患者が横たわっており,医師,看護師も大勢おり,足の踏み場もない状態であった(図5).図52階の教会の長椅子は患者のベッドになり,職員が治療にあたっている1階に降りてみたところ,エントランスは人で溢れており,野戦病院とはこういうものなのだと実感した.聖路加国際病院は1902年に創立され,現在の建物は1992年に建て替えたもので,設計の段階で1923年に起きた関東大震災や1945年の東京大空襲の時に多数の患者が病院に来院した経験を生かし,1階のエントランス部分は,非常時に備え広く作られている.これはエントランス部分もベッドやマットを置けば,病室として使えるという発想である.2階,3階の外来の廊下も同じ考えで広く作られており,今回のサリン事件では設計者の考え通りに,それが機能したといえる.また,病院中の廊下,ラウンジ,教会の壁には「酸素」と「吸引」の配管が設置されており,今回これらが実際に使用され役に立ったということである(図6).この病院を設計したのは当時の脳外科の部長で建築の専門家でもあったので,欧米のおもだった病院を見学して得たアイデアで設計したものである(後年,日野原重明院長がご自分で設計したようにテレビなどで発言されていましたが,それは事実と異なります).当日の予約の患者は215名であったが,30名がキャンセル(一部の方は自発的に診療を辞退してくださった)となり,残りの185名を6名の医師でサリン患者と一緒に2:00PMまでかかって診察した.2:00P.M.細隙灯顕微鏡による診察では,まだほとんどの患者が縮瞳していたが,少数例で対光反応がわずかに認められだし(受傷後6時間),また毛様充血も徐々に軽減しだ図6病院中の廊下,ラウンジ,教会の壁に設置されている「酸素」と「吸引」の配管した.中野11)らは事件当日38例を診察し,81.6%に3mm以下の縮瞳を認め,対光反応は63.2%に消失していたと報告している.筆者らは全員に縮瞳と対光反応の消失を認めたが,中野らは事件現場から1時間以上都心から離れた世田谷区の病院で診察しており,そのためにこの差が生じたものと思われる.聖路加国際病院に多数の被害者が来院しているとの報道で,聖路加国際病院に行けばより適確な治療が受けられると考えられたのか,午後になっても患者が次々に来院した.患者には不安にならぬようにサリン事件の情報がわかりやすく書かれた「ミニかわら版」が配布された.5:00P.M.東京都から40台の簡易ベッドが貸し出され病院に到着した.神経内科より患者に全身的な異常が認められなければ帰宅させて良いという指示があり,酸素飽和度をチェックし正常であれば点滴を抜去し,受傷後6~24時間で急変する可能性があるので,万一そのような事態が起きたら早めに最寄りの医療機関を訪れるよう指示し,帰宅させた.事件当日,病院に来院したサリンの患者は640名で救急車搬入99名,心停止,呼吸停止患者5名(1名は来院直後死亡,1名は脳死状態でその後死亡,3名は回復し生存)であった.病院全体としては予約患者1,642名とサリン患者640名で総計2,282名を診察した.眼科外来で診察したサリン患者は112名であった.当夜,聖路加国際病院に入院した患者は110名で,比較的症状の軽い23名は病院内の教会で東京都から供与された簡易ベッドで一夜を過ごした(図7).入院患者図7比較的症状の軽い患者は東京都から供与された簡易ベッドで一夜を過ごすことになったのすべての衣類はビニール袋に入れ密封し保管された(あとで述べるが,後日,聖路加国際病院に視察に来た米国からの視察団のメンバーから,この「密封」が絶賛された).当日,事件に対応した職員は1,063名で,医師129名,レジデント36名,看護師477名,看護助手68名,事務職員など323名だった.当院はベッド数520床の中規模の病院であるが,全職員が懸命に活動し総力戦の一日であった.7:00P.M.眼科外来では,急変する患者もなくほっとし,診察が終わったあとの医局では皆グッタリしていた.ただ,外傷を伴う事故ではなかったことは幸いであった.もし,これが爆発などによる外傷も伴った事故であったら,多数の患者をどう診療できたのか,想像もできない.また,テロなどにより電力の供給がストップする状況が生じたとしたら,筆者らの活動は極端に制限されてしまうことになり,想像しただけでも恐ろしいことである.3月21日(火・祝日)(事件発生翌日)9:00A.M.休日ではあったが,院内の医師,看護師,事務職員などの責任者約50名が1階のエントランスホールに集ま表2事件当日退院の患者に渡した注意書サリン中毒による眼の症状についてサリン中毒による眼の症状は,主として縮瞳と言って瞳が極端に小さくなる事です.そのため,ピントが合わせられなくなり,視力低下し,暗い感じがします.また,縮瞳によって痛みや充血が起こります.この状態は2週間くらいかかって徐々に改善いたします.時間が経過していますので特に洗眼の必要はありません.すでに点眼など初期治療を受けている方は心配ありませんので,1週間程度様子を見て,症状が持続するようであれば受診して下さい.読書などの近業作業は程ほどにして下さい.聖路加国際病院眼科1995.3.21り1日の計画を討議した.9:30A.M.サリンで入院した110名の回診を,神経内科,脳外科,眼科(筆者)の3人の医師で行い,問題がなければ退院とした.その際,受傷当日よりも結膜充血が増加している症例が多く認められた.縮瞳は全員に認められた.80名の退院患者には,表2のような通知書を渡し,万一の場合は近医を直ちに受診するように注意をうながした.眼科外来には,医師2名,ORT1名,看護師1名,事務1名が待機し,28名の新たなサリン患者を診察した.外部からの電話での相談には内科の医師2人が対応し,1日で約200件の患者に指示を与えたとのことである.電話の問い合わせでは眼科に関することが多かったようで,①暗さ,②不快感,③頭痛などが主なものであり,①~②に対しては退院患者に渡したものと同じ内容(表2)のことを患者に伝えてもらった.5:00P.M.1日が終り医局に戻ったところ,軽い頭痛を感じ,日頃頭痛を感じることはないので不思議に思い,ひょっとしてと思いレジデントの先生に細隙灯顕微鏡で観てもらったところ「先生,縮瞳していますよ!」といわれびっくりした.2日間緊張しながら忙しく働いていたので,頭痛に気づかなかったのであろう.思い返せば,昨日築地駅で反対側のホームに停車していた電車からのサリンに曝露したものと思われる.筆者の症状は軽微であったが,筆者も被害者の一人だったということである.そうなると,筆者のように自覚症状が軽微で病院を訪ねていない被害者は数多くいたものと思われる.3月C22日(水)(事件発生C2日目)130名の新たなサリン患者が眼科外来を受診した.内科よりCICUに入院している患者を診て欲しいとの依頼があり病室を訪ねると,ベッド上にC23歳位の若い女性が人工呼吸器をつけて横たわっており,ベッドの脇にお母さんが座っておられた.Handy-slitで観ると瞳孔は既にC8割散大していた.診察後,お母さんが「どんな状態でしょうか?」と心配そうに尋ねてこられた.正直に病状を話すことが出来ず,「内科の先生方の治療に期待しましょう」と言って逃げるように病室を出た.切なさと悔しさで廊下の景色が滲んで見えた.この患者さんは数日後に亡くなられた.1週間前に職場が変わり,日比谷線を使うようになり小伝馬駅で被曝されたとのことであった.もし生きていれば,幸せな人生が待っていただろうと思うと胸が痛む.今でも,時々,あの時の病室の情景が思い出される.3月C23日(木)(事件発生C3日目)81名の新たなサリン患者が眼科外来を受診した.1:00P.M.他施設の眼科や他科の先生方より,治療法に関し問い合わせを多くいただいたので,表3のような文章を書き,京橋眼科医会の葉田野雅夫先生(中央区医師会副会長)と日本橋眼科医会会長の川口國臣先生にお願いし,中央区の眼科の先生方にCFAXしていただいた.この文章はのちに,両先生のご配慮により,中央区の医師会を通して他科の先生方にも送っていただいたとのことである.3月C24日(金)(事件発生C4日目)25名の新たなサリン患者が眼科外来を受診した.3月C29日(水)(事件発生C9日目)厚生省から聖路加国際病院に,米国政府からサリンの専門家が病院を訪問しアドバイスをしたいとの申し出があった.当院は元々,米国のキリスト教聖公会が設立した米国との結びつきに強い病院であり,また筆者らも何か新しい情報がもらえると思い受けることになった.表3事件3日後に東京都中央区の医師会の会員に送った眼症状と治療法会員の皆様会員の皆様より,サリンの患者さんの眼症状に関して問い合わせを多数頂きました.本日まで,当眼科で約C480人の患者さんを診察致しました.私共の判断が正しいか否か分かりませんが,現時点での我々の治療方針を会員の皆様にお知らせし,それが診療のお役に立てれば幸いです.受傷後C3日経った現在,自覚症状は1)瞳孔の問題(縮瞳,暗さ,見にくさ)2)充血3)眼痛4)頭痛が主なものであると思われます.1)瞳孔の問題ですが,極度の縮瞳は少しずつ緩んできており,もし対光反応が認められるようであれば,そのまま放置して構わないと思われます.まだ縮瞳していてなおかつ眼痛を訴える症例では,ミドリンCPの点眼(3~4回/日)を使用させてください.2)充血ですが,結膜充血であればC0.02%フルメトロン点眼(3回/日)を使用させてください.症例によって,受傷後C2~3日目より毛様充血を認めることがあります.この例ではミドリンCPを使用させてください.3)眼痛に関しては,ミドリンCPの使用と,重症例に対しては鎮痛剤を使用させてください.4)頭痛に関しては,軽度と思われますので様子を見ていただいて良いと思われます.以上,何かご質問がございましたら電話C5550-7050(眼科直通)迄御連絡ください.聖路加国際病院眼科部長山口達夫3月23日午後2時現在3月C30日(木)(事件発生C10日目)米国より保健福祉省の役人,軍関係の役人(陸軍化学物質防衛医療研究所の医師),駐日アメリカ大使館員ら10人ほどが来院した.聖路加国際病院からは日野原重明院長,各科の部長,看護師長数名が会議室に集合し,病院全体の活動が説明された後,各科でどのような活動をしたかをC10分程度で発表した.筆者らの発表が終わると,米国側から次々に質問があり,細かいことまで聞いてきた.被害者の衣服をビニール袋に入れて密封して保管したと報告されると,その行為がさらなる被害を防いだと,彼らから賞賛されたことが印象的であった.筆者らへアドバイスをする人達の訪問と聞いていたのだが,彼らからのアドバイスは一切なく,会は終了した.あとで気づいたのだが,彼らの目的はアドバイスをすることではなく,今回の事件に関する一切の情報を入手することであったと確信した.忙しい中,会に出席して半日を費やし,何のための会だったのかと疲労感のみが残った.しかしながら,後日,駐日米国大使館を通し米国保健福祉省よりワシントンCD.C.に来て,講演をして欲しいとの連絡が入った.演者は,信州大学内科:柳澤信夫教授,聖路加国際病院神経内科医長:大生定義先生,そして筆者であった.どういう理由で眼科医である筆者が選ばれたのか不明であった.1995年C7月C10日,ワシントンのダラス国際空港に到着すると保健福祉省の職員が出迎えてくれ,パスポート審査と税関はフリーパスで通過し,その後,用意されたホテルに到着し他の二人の先生方と合流し,本当に「招聘されて講演する」ことを実感した.ただ筆者はC50~60人の保健福祉省の役人がサリン事件の情報を聞きたくてこのような会を聞くのだろうと軽く考えていた.7月C12日,会場のあるCBethesdaのビルに入ると,会場は保健福祉省の大きな講堂で出席者は約C550人とのことであった.会場に入ると予想以上の参加者で,その人数の多さにびっくりし,これはしっかりやらないといけないなと気持ちを新たにした.参加者はワシントンの連邦政府の役人と各州の衛生部とテロ対策の人たちとのことで,会場は熱気に溢れていた.あとで知ったが,東京のサリン事件のC1カ月後のC1995年C4月C19日に,オクラホマ州のオクラホマシティー連邦政府ビルがテロリスト達により爆発され,死者C167人,総被害者C759人という大惨事が起きたばかりであり,サリンのような化学テロも含め非常事態が起きたとき,どのように対処すべきかを国を挙げて対策を練りたいとのことでこの会が催されたようであった.イラク政府がクルド人に対しサリンを使用し多量殺戮を行ったとの情報はあったが詳細はわかっておらず,多数の一般の市民を対象にこれだけの多量のサリンを使用した事件は世界で例がないことから,松本市と東京で起きた事件の情報を筆者らから得たかったのだと思われた.会は最初に保健福祉大臣が挨拶したことにびっくりし,連邦政府の力の入れ具合を肌で感じ,この会はなまじの会ではないと再認識した.その後,筆者らがC45分ずつ講演したあと,質疑応答があり,柳澤先生と大生先生への全身的なことに関して多くの質問があった.質疑応答が終わりほっとし,これで終わりだと帰ろうとしていると,司会者から筆者らC3人に壇上の前に出るように促された.何だろうと思いつつ前に出ると,司会者が「日本から来たC3人のヒーローに盛大な拍手を送りましょう!」と言った直後,会場全体の参加者全員が立ち上がりCstandingovationとなった.予想もしていない出来事であり,感謝の気持ちで筆者らC3人が日本式のおじぎを深々としたら,また盛大な拍手が起こりしばらく鳴り止まず,生まれて初めてのCstandingovationであり期待もしていないことことが起こりびっくりし,感激で涙ぐんでしまった.出席者の皆さんからすれば,東京では6,300人余りの被害者が出たにもかかわらず,たったC14人の死者しか出さなかった「日本人の努力」「日本社会の規律あるシステム」への賞賛であったように思われた.その日の夕方,保健福祉省(?)の役人の方がホワイトハウスの中を案内してくれるとのことで大生先生とC2人で行き,「普通の人達には絶対見せないのだが,あなた方は特別な方達だから」といって,クリントン大統領の私的な室以外をすべて丁重に案内してくれた.テレビで報道官が記者たちを前にしてスピーチをするのをよく見かけるが,その室では「報道官がスピーチする所に立ってスピーチしてもよいですよ」といってくれ,スピーチのマネをして写真を撮ってもらった.こういった経験は一生でもうC2度とないと思い,感慨深いものがあった.C2.サリンガス受傷後3カ月の眼所見(表4)事故後,当院眼科を受診した患者の中から無作為に41人(全体の約C1割)を抽出し,受傷後C3カ月となる1995年C6月末に眼科外来を受診してもらい検査を行った(無料).受傷後C3カ月の自覚症状としては,疲労感,不快感などの不定愁訴的な訴えが主なものであった17).視力の低下はなかった.縮瞳は全体のC29.3%に認められた.対光反応の欠如あるいは遅延はC7.3%に認められた.網膜電図の変化がC15.9%に認められたので,その結果を国立リハビリテーションセンターの簗島謙次先生に見ていただいたところ,縮瞳がおもな原因であろうとの表4受傷後3カ月の眼所見(41人)表5受傷後1年の眼所見(26人)視力低下0/82眼(0%)24/82眼(2C9.3%)(瞳孔径C4Cmm以下または左右差C0.5Cmm以上)6/82眼(7C.3%)13/82眼(1C5.9%)4/82眼(4C.8%)(うっ血:2眼,境界不鮮明:2眼)3/82眼(3C.6%)2/82眼(2C.4%)2/82眼(2C.4%)縮瞳対光反応の遅延網膜電図の異常視神経の異常視野異常角膜厚の増加アレルギー性結膜炎眼疲労感18/52眼(3C4.6%)9/52眼(1C7.3%)8/52眼(1C5.4%)8/52眼(1C5.4%)4/52眼(7.7%)0/52眼(0%)0/52眼(0%)0/52眼(0%)28/52眼(5C4.0%)縮瞳視力低下対光反応の遅延網膜電図の異常視神経の異常視野の異常角膜厚の異常調節力の異常表6受傷後2年,眼科を受診した40人の自覚症状診断であった.谷らは17)サリン曝露C3カ月後に両眼の瞼球癒着を生じた症例を報告しているが,筆者らの症例の中には外眼部の異常をきたした症例は認められなかった.野原らは15,18)瞳孔径はC1週間後にはほぼ正常になったと報告しているが,筆者らの症例では受傷後C3カ月経ってもC29.3%に縮瞳が認められた.これは用いられたサリンの成分や濃度,散布方法などの違いによるものだった可能性が考えられる.Katoらは14)サリン曝露C2時間後の眼圧の平均値はC11.6±1.9CmmHgであったが,瞳孔径が改善した後の眼圧はC14.6C±1.8CmmHgに上昇したと報告している.筆者らは眼圧に注意を払っていなかったので,比較するデータを持っていない.視野の異常がC3.6%に認められた.C3.サリンガス受傷後1年の眼所見(表5)受傷後C1年が経過しても通院している患者はC26人であった.眼所見では,自覚症状としては眼疲労感(34.6%),視力低下(15.4%)などが主なものであった.他覚症状としては縮瞳(17.3%),対光反応の遅延(15.4%),網膜電図の異常(7.7%)などが主なものであった19,20).調節力の緊張がC54.0%と比較的多数例に認められたが,サリン中毒によるものか否か断定することは困難であった.対光反応の遅延については,縮瞳がC5~6週間続いたとのCSidellらの報告4)があるが,筆者らは受傷後1年経ってもC2名に縮瞳と対光反応の欠如を認めた.サリンによる障害が従来の報告よりも長く続くことが判明した19).C4.サリンガス受傷後2年の自覚症状と眼所見(表6)当院救急部のアンケート調査に応じ,全身検査を希望した患者のうち眼科的検査を希望した患者C40名(自覚症状のある例C23人,自覚症状のない例C17人)を観察した20).症状の中では視力の低下(27.5%),疲れやすい(22.5%)などが主なものであった.疲れやすい,違和感がある,疲れると瞼が重い,などの自覚症状は機能的な障害では説明できず,不定愁訴的な自覚症状と思われた.視力低下,焦点が合わない,かすむ,などの訴えは調節力の異常と関連していると考えられた.細隙灯顕微鏡で対光反応を調べてみると,反応の遅い症例や虹彩の一部が反応していない症例などC6眼(7.5%)に異常を認めた.網膜電位(ERG)では,11眼(13.8%)に異常を認めた.野原らは24)受傷後C1年後の患者でC1名に視野の狭窄を認め,また受傷後C3年半の患者C1名に縮瞳とCERGがsubnormalな症例を報告している.サリン受傷後C2年以上経過してもまだ多数の患者に眼科的障害が残っていることがわかる.C5.サリンガス受傷後16年の眼所見受傷後C16年経過し眼科を受診している患者はC6名で,そのうち自覚症状を有している者はC2名である.1名は強い羞明を自覚しており,体調の良いとき以外はまぶしさで窓のカーテンが開けられず,外出もままならないと表7サリンの急性中毒患者の眼科的治療直接曝露洗浄,洗眼,PAMまたは硫酸アトロピン点滴曝露C7分以内─洗眼曝露C7分以降─結膜充血なければ洗眼不要PAMまたは硫酸アトロピン点滴ミドリンCP(トロピカミド+フェニレフリン)点眼またはサイプレジン点眼毛様充血─ミドリンCP点眼結膜充血─C0.02%フルメトロン点眼毛様充血─ミドリンCP点眼結膜充血─C0.02%フルメトロン点眼点状表層角膜症─眼軟膏,0C.1%ヒアレイン点眼ガスの吸引縮瞳充血異物感(治療薬は商品名で記載)のことである.体温調節も困難で自律神経の失調も伴っていると思われる.被曝前はまったく健康体であったとのことである.真面目な方で詐病の可能性はなく,眼科学的な検査では異常な所見は認められなかった.もうC1名は眼の疲労感,体の不調を訴えているが,眼科学的な検査では異常を認められなかった.他のC4名は自覚的にも,他覚的にも異常を認められなかった.岩佐らは26)被害後C7~15年の患者C305名を検査し,主訴では眼疲労感,焦点が合わない,羞明感,眼痛などが多く,過縮瞳などの眼異常が全体のC19%に認められたと報告している.いずれにしてもサリン受傷後,長期にわたり障害が残ることが判明したことにより,明るさと瞳孔径の対応を制御する中枢機能の破綻と,また調節障害は毛様体筋に対する中枢制御の破綻の可能性があるのではないかと推論している.C6.サリン患者への眼科的治療(表7)治療は,サリン事件直後に筆者らが報告したように,直接曝露では洗浄,洗眼をする.ガスの吸引後,患者自身で来院し,全身状態がよく曝露C7分以内であればまず洗眼を行い,7分以上経過している場合には結膜充血がなければ洗眼は不要である7).全身状態が悪ければCPAM(1Cgを点滴に入れC30分かけてゆっくり静注,その後C1時間ごとにC1Cgを計C4回行う)または,硫酸アトロピン(2~4Cmgを静注,その後30分ごとにC2Cmg静注,その後は全身状態をみながら10~30分ごとにC2Cmg追加する)を点滴する.縮瞳に対しては,ミドリンCP点眼またはサイプレジンを点眼する.充血に対しては,毛様充血にはミドリンCP点眼を,結膜充血にはC0.02%フルメトロンを点眼する.異物感では毛様充血,結膜充血に対しては上記と同じで,点状表層角膜症に対しては眼軟膏,0.1%ヒアレイン点眼などの人工涙液を用いる.被曝直後の自覚症状の中で,縮瞳に伴う「暗さ」「視野狭窄」に対し患者の不安が強いので,散瞳薬を点眼すると少しずつ軽快することを伝え,精神的な不安感をやわらげることは大事であると考える.事件後C15年以上経過しても眼症状や不定愁訴を訴える患者もあり,精神的なものも含めた長期の経過観察とケアーが必要であると考える.C7.今後への提案筆者らの反省点としては,1)災害に備えて非常時の体制を構築しておく.2)病院であれば事故後,院内に核となる対策センターを迅速に設置する.3)各科に対する情報伝達は対策センターを通して出し,迅速に行う.4)状況により一般外来診察の中止を決断する.5)医師会,眼会医会,眼科学会を介して情報を迅速に伝達してもらい情報を共有する.などである.C8.まとめ1995年C3月C20日に東京で起きた地下鉄サリン事件では事件が起きた場所が当院に近く,多数の被害者を診察することになり,サリンが多彩な臨床像を呈することが判明した.サリン中毒患者の急性期の自覚症状としては,「暗い」「見にくい」「近くを見ると眼が痛い」「眼痛」「頭痛」「見ようとしても集中力がない」「異物感」「視野が狭い」などであった.急性期の他覚症状としては,強度の縮瞳,毛様充血,結膜充血,視力低下,視野狭窄,浅前房,角膜と結膜のびまん性表層性のフルオレセインの染色,網膜電図の変化,眼圧の低下,調節力の緊張などが主なものであった.中でも強度の縮瞳がサリン中毒の特徴と思われた.その後の観察で,文献で報告されていたよりも一部の症状は長期に及ぶことが判明した.筆者らが観察した患者の障害の程度は,軽度~中程度のものであったと思われ,さらに重症な症例ではこれらの他覚的症状も変わる可能性があると考えられる.眼科的治療は全身症状が伴わなければ,縮瞳と充血に対する処置を主に行えば良いと考える.受傷後C2年が経過しても対光反応が不完全な患者は少数ながらおり,調節力が不安定な患者はかなりの数にのぼった.受傷後C16年が経過しても,眼科的に積極的な治療を要する患者はいないが羞明や眼精疲労などの不定愁訴的な訴えは続いており,外傷後精神的ストレス症候群などの精神的な障害をもっている方の社会復帰なども含め,今後とも長期の観察が必要であると考える.最後に,この事故で亡くなられた方々のご冥福をお祈りし,二度とこのような事件が起こらないことを切に願い筆を擱く.(2019年C11月C16日)文献1)GrobD:TheCmanifestationsCandCtreatmentCofCpoisoningCdueCtoCnerveCgasCandCotherCorganicCphosphateCanticholin-esteraseCcompounds.CAMACArsCInternCMedC98:221-239,C19562)GrobD,HarveyJC:E.ectsinmanoftheanticholinester-aseCcompoundsarin(isopropylCmethylphosphono.uori-date).JClinInvestC37:50-368,C19583)石川哲:公害と眼,有機燐と眼.慢性有機燐中毒症の疫学,臨床および実験的研究.日眼会誌C77:1835-1886,C19734)SidellFR:SomanCandsarin:clinicalCmanifestationsCandCtreatmentCofCaccidentalCpoisoningCbyCorganophosphates.CClinToxicolC7:1-17,C19745)DunnCM,CSidellFR:ProgressCinCmedicalCdefenseCagainstCnerveagents.JAMAC262:649-652,C19896)Rengstor.RH:VisionCandCocularCchangesCfollowingCacci-dentalCexposureCtoCorgano-phosphates.CJCAppliedCToxicolC14:115-118,C19947)山口達夫,眞鍋洋一,大越貴志子ほか:サリン中毒患者の眼科での対応.日本の眼科66:343-349,C19958)山口達夫:聖路加国際病院サリン患者診療報告会から.三.眼症状の取り扱い.日本医事新報3706:47-56,C19959)MoritaH,YanagisawaN,NakajimaTetal:Sarinpoison-inginMatsumoto,Japan.LancetC346:290-293,C199510)大生定義ほか:サリン中毒対応の実状.日内会誌C84:152,C199511)中野栄子:サリン中毒による眼症状.眼科C37:1533-1536,C199512)YasudaCA,CYamaguchiCT,CManabeCYCetal:SarinCterror-ismCinCTokyo,C3CmonthsCfollow-up.CInvCOphthalmCVisCSciC37(suppl):A943,199613)眞鍋洋一,山口達夫,大越貴志子ほか:サリン患者急性期の眼症状と経過.臨眼50:765-767,C199614)KatoT,HamanakaT:OcularsignsandsymptomscausedbyCexposureCtoCsarinCgas.CAmJOphthalmC121:209-210,C199615)野原政彦,中村道紀,中村公俊ほか:松本市における有機リン系ガス(サリン)中毒の眼症状の解析.臨眼C50:769-774,C199616)山口達夫:サリンガスによる急性中毒の眼症状.臨眼C50:C1444-1449,C199617)谷瑞子,秦誠一郎,清水敬一郎ほか:サリン曝露後にみられた瞼球癒着.臨眼50:1845-1848,C199618)NoharaCM,CSegawaK:OcularCsymptomsCdueCtoCorgano-phosphorusgas(Sarin)poisoningCinCMatsumoto.CBrCJOpthalmC80:1023-1027,C199619)YasudaCA,CYamaguchiCT,CManabeCYCetal:SarinCterror-ismCinCTokyo,C1CyearCfollow-up.CInvCOphthalmCVisCSciC38(suppl):A60,199720)聖路加国際病院:地下鉄サリン事件二年後の患者臨床経過報告.眼科からの報告.日本醫事新報3828:42-48,C199721)山口達夫:サリン中毒の眼症状と治療法.有機リン中毒(サリン中毒)─地下鉄サリン事件の臨床と基礎(家城隆次編著),p50-57,診断と治療社,199722)家城隆次:地下鉄サリン事件の概要.有機リン中毒(サリン中毒)─地下鉄サリン事件の臨床と基礎(家城隆次編著),p1-3,診断と治療社,199723)OhbuCS,CYamashinaCA,CTakasuCNCetal:SarinCpoisoningConCTokyoCsubway.CSouthenCMedicalCJournalC90:587-593,C199724)野原雅彦,関島良樹,中島民江ほか:松本サリン事件後の健康診断における眼科所見.臨眼53:659-663,C199925)山口達夫:サリン中毒の眼症状と治療.あたらしい眼科C25:491-496,C200826)岩佐真弓,井上賢治,若倉雅登:サリン被害後の眼科的後遺症.あたらしい眼科29:1435-1439,C2012