猫ひっかき病Cat-scratchDisease溝渕朋佳*福田憲*はじめに猫ひっかき病(cat-scratchdisease:CSD)はグラム陰性桿菌であるCBartonellahenselae(B.henselae)やCBartonellaquintana(B.quintana)などのCBartonella属菌が原因で罹患する人獣共通感染症である.日本ではCSDの推定発生率は少なくとも年間C1万例と考えられている1).CSDはC1950年にCDebreらが初めて報告し,1970年にはCCSDに伴う視神経網膜炎が報告されている.1992年にCBartonella属菌が原因であることが判明して以降,血清学的診断が可能となり,それ以降報告が増加した.Bartonellaの抗体価が測定できるようになり,Leber特発性星芒状視神経網膜炎の患者のなかに一定数CSDが原因と考えられる患者が含まれていることが明らかとなった.本稿ではCBartonella感染に伴う後眼部病変について概説する.CIBartonellaの感染経路とCSDの臨床像Bartonella属菌は猫による咬傷や引っかき傷,もしくはネコノミ(Ctenocelhalidesfelis:C.felis)を介して感染する.ノミの排泄物を介してネコから人へCB.Chense-laeが伝播し,猫の引っかき傷や咬傷によって生じた皮膚擦過傷にノミの排泄物が取り込まれることにより感染する.若い猫や野良猫は,高齢猫や飼い猫よりもCBar-tonellaに感染しやすい.猫におけるCB.henselae抗体の保有率は,高温多湿の地域で高く,9月からC1月にかけてCB.henselaeのCIgMおよびCIgG抗体の陽性率が高値であることが知られている.CB.henselaeの人から人への感染はこれまで報告されていないが,輸血が原因と推察されるCCSDが報告されている.さらにブラジルやチリからの報告では,健常人から献血された血液のCB.ChenselaeDNAを測定したところ,それぞれC23%,13%で陽性であったとしている2).B.henselaeは細胞内寄生菌であり,赤血球や内皮細胞の内部に生息するが,献血の赤血球ユニットにCB.henselaeを接種すると,献血の保存期間であるC35日間以降にもCB.henselaeが存在したことも報告されている.したがって,今後輸血がバルトネラの感染経路の一つとなる可能性も考えられる.CSDは比較的若年者に多く発症し,季節性や地域差が報告されている.季節としては秋から冬に多いことが知られており3),これは春の繁殖時期を経て生後約半年の子猫がCB.henselaeの菌血症のリスクがもっとも高く,CC.felisの生息数も秋にかけて増えるためと考えられている.筆者らが経験したCCSDにおいても,29例中C24例がC9.12月に発症していた.また,高温多湿の地域に多く,わが国では東日本よりも西日本で猫の保菌率が高い.CSDの典型例では感染の数日後にその部位の丘疹・膨疹が生じ,1.2週間後に所属リンパ節の腫脹が出現する.全身倦怠感・関節痛・頭痛などの風邪様症状が生じるが,多くは自然軽快する.発熱は患者のC1/3.1/2にみられる.非典型的な重症例が約C10%程度存在し,*TomokaMizobuchi&KenFukuda:高知大学医学部眼科学講座〔別刷請求先〕福田憲:〒783-8505高知県南国市岡豊町小蓮C185-1高知大学医学部眼科学講座C0910-1810/24/\100/頁/JCOPY(45)C517長期間の発熱,肝脾腫,感染性心内膜炎,骨髄炎,脳炎,眼病変などを生じる.非典型例でもっとも多いのが眼病変で約2.5%で生じる1).CIICSDの眼病変Bartonella感染による眼病変には,前眼部病変(結膜炎・Parinaud眼腺症候群)と後眼部病変がある4).日本では結膜炎はC2.1%,後眼部病変はC5.2%に生じる1).米国では毎年約C2万C4,000人がCCSDを経験すると推定されており,後眼部病変とCParinaud眼腺症候群は,それぞれこれらの患者のC1.2%,2.5%にみられる.米国ではCParinaud眼腺症候群のほうが後眼部病変よりも多いが,日本ではその逆である.これらのCCSDの眼合併症の発生率に日米間で実際に差があるのか,あるいは未診断例による見かけ上の差なのかは明らかでない.後眼部病変は片眼性が多いが,両眼性に生じることもある.全身症状の発現から数日.2週間後に始まることが多く,軽症例では自覚症状はないが,重症例では視力低下や種々の視野障害などを自覚して受診する.眼病変を生じる患者は全身症状が重症な例が多く,自験例では9割近くの患者で発熱していた5,6).CSDに伴う後眼部病変は,大きく視神経網膜炎と限局性網脈絡膜炎に分類される.また,網膜血管閉塞症,黄斑円孔などを併発する症例も報告されている.後眼部病変を伴うCCSDの自験例C23例C28眼では,視神経網膜炎がC18眼(64%)・16例(70%),限局性網脈絡膜炎はC10眼(36%)・7例(30%)であった.片眼性が多いが(18例,78%),両眼性もC5例(22%)にみられた5,6).眼底所見別に頻度を調べると,視神経乳頭腫脹C68%,漿液性網膜.離C55%,星芒状白斑(macularstar)61%,網膜出血C65%,白色の網脈絡膜浸潤病変C86%と,もっとも頻度が高い病変は白色の網脈絡膜浸潤病変であった5,6).米国でのC24例のCCSDによる後眼部病変においても,白色の網脈絡膜浸潤病変がもっとも頻度が高い所見であった7).C1.視神経網膜炎視神経網膜炎は,視神経乳頭腫脹と視神経乳頭周囲の漿液性網膜.離・網膜浮腫を認める病型である(図1a).漿液性網膜.離・網膜浮腫の軽減に伴い黄斑部の網膜外網状層に脂質が蓄積して生じる星芒状白斑を呈するのが特徴である(図1b).また,白色の網脈絡膜浸潤病変や網膜出血などの所見もみられる.フルオレセイン蛍光造影(.uoresceinangiography:FA)では,早期から視神経乳頭や視神経乳頭周囲の毛細血管の拡張が認められ,後期では視神経乳頭からの蛍光漏出を認める.光干渉断層血管撮影(opticalcoherencetomographyangi-ography:OCTA)は,視神経乳頭周囲の毛細血管拡張が検出できる.患者は視神経・黄斑の病変の重症度によって視力低下や種々の視野異常を自覚して受診する.初診時の視野検査では中心暗点,傍中心暗点あるいはMariotte盲点の拡大などを呈する.C2.限局性網脈絡膜炎視神経病変を伴わず網脈絡膜炎のみを呈するものが,限局性網脈絡膜炎に分類される(図2,3).黄斑部に病変がない場合は視力低下などの自覚症状は乏しく,不明熱の原因精査目的で眼科を受診して診断に至ることもある(図2).白色の浸潤病巣は網膜上から脈絡膜病変までさまざまな場所に生じ,網膜表層C30%,網膜深層C49%,網膜全層C14%,脈絡膜7%に生じると報告されている7).網膜表層の病変は時間経過とともに瘢痕を残さず消失するが,網膜深層や全層,脈絡膜病変は瘢痕化することが多い.FAでは,周囲が輪状の過蛍光で囲まれ中央が低蛍光のCblackcenterがみられることがあり,眼トキソプラズマ症との鑑別がむずかしいケースがある.C3.網膜血管閉塞症CSDに伴う網膜血管閉塞は,動脈閉塞症・静脈閉塞症ともに若年者の報告例が複数ある.網膜病変による直接的な網膜動脈の圧迫や,細菌が血管内皮細胞に侵入することによって血栓形成因子が働き網膜動脈を閉塞させるなどの原因が考えられている.筆者らもC21歳の網膜動脈分枝閉塞症を経験した(図4).健康な若年者の網膜血管閉塞症を診断した場合にはCCSDも鑑別診断の一つにするとよい.518あたらしい眼科Vol.41,No.5,2024(46)図1CSDに伴う視神経網膜炎a:初診時は視神経乳頭の発赤腫脹,視神経乳頭周辺から黄斑部にかけて漿液性網膜.離,白色の網膜浸潤および網膜出血を認める.光干渉断層計(OCT)では乳頭周囲の神経網膜の肥厚と漿液性網膜.離が認められる.Cb:抗菌薬およびステロイド内服で加療したC2週間後,視神経乳頭の腫脹と漿液性網膜.離は軽減し,黄斑部にはCmacularstarがみられる.OCTではCmacularstarは網膜の外網状層に高輝度の沈着物として観察される.(文献C5より転載)図2CSDに伴う限局性網脈絡膜炎5歳,女児.2週間前からの抗菌薬で軽快しない発熱で小児科に入院中,不明熱の原因精査で眼科に紹介された.左眼に不整形の白色の網膜浸潤病巣がみられ,CSDの診断につながった.図3眼トキソプラズマ症に類似したCSDに伴う網膜病変限局性網脈絡膜炎の症例で,後極部に二つの白色の網膜病変を認める(Ca).FAでは造影早期には周囲が輪状の過蛍光で囲まれる,中央が低蛍光のCblackcenterとよばれる像がみられる(Cb).造影後期には病巣部全体が過蛍光となった(Cc).(文献C5より転載)d図4CSDによる限局性網脈絡膜炎に伴う網膜動脈分枝閉塞症21歳,男性.2週間続く発熱と左耳前リンパ節腫脹があり,視野欠損を自覚し受診した.眼底検査で右眼の耳下側に網膜出血を伴う虚血性の網膜浮腫を認め(Ca),両眼に白色の網膜浸潤を認める(Ca,b).FAでは,右眼耳下側の網膜動脈分枝閉塞がみられる(Cc).白色の網膜浸潤部分はCOCTで網膜の肥厚がみられる(Cd).(文献C5より転載)CSDの診断においてもっとも重要なことは,眼底病変・全身症状からまずCCSDを疑い問診することである.猫や犬のペット飼育歴に加えて野良猫やノミとの接触歴を問う.確定診断は血清学的診断で行うことが多い.血清のCB.henselaeやCB.quintanaのCIgMおよびCIgG抗体価を測定する.単一血清で①CIgM抗体価がC20倍以上,②CIgG抗体価がC512倍以上,ペア血清で③CIgG抗体価がC4倍以上上昇した場合に確定診断となる.わが国では,血清学的検査は保険適用外であること,検査が米国で行われ,結果の判明までC2週間程度の時間を要することが,広く普及していない原因と思われる.日本では健常者のCB.ChenselaeIgGの陽性率が1.25%との報告があり,診断にあたっては注意が必要である.上述のとおり,現在,日本で検査オーダーしたCB.henselaeの抗体価は米国で測定されている.米国で行われている間接蛍光抗体法は米国の標準株(Houston-1株)を使用しているが,日本でのCCSD患者における陽性率は日本の猫由来のCB.henselae株を用いた間接蛍光抗体法のほうが感度が高い可能性も報告されている.今後日本のCB.henselae株を用いた検査法の開発と保険収載が望まれる.また,眼科では施行がむずかしいが,リンパ節生検からCPCR法でバルトネラCDNAを証明することで診断も可能である.また,Parinaud眼腺症候群では,結膜の病変部にCWarthin-Starrysilver染色陽性の桿菌が観察されており,結膜擦過物をCPCR法を行うことでCB.henselaeDNAを検出し診断することも可能である.培養を用いたCB.henselaeの同定は,細菌の増殖速度が遅く困難である.CIV治療CSDは自然治癒傾向がある疾患のため,抗菌薬療法に関するプロスペクティブ対照研究はアジスロマイシンを用いた少数例のC1件しか報告されておらず,エビデンスのある治療法は確立されていない.したがって,CSDに伴う後眼部病変に対するエビデンスのある治療法はない.Bartonellaは細胞内寄生菌であり,抗菌薬としてはマクロライド系(アジスロマイシン,エリスロマイシン),テトラサイクリン系(ドキシサイクリン),ニューキノロン系(シプロキサン),リファンピシンなどを用いた治療が報告されている.前述のとおり血清学的診断が確定するまでに時間を要するため,筆者らは初診時より治療を開始することが多い.視機能障害がないか軽度の患者,もしくは漿液性網膜.離が軽度で星芒状白斑がみられる患者など,治癒過程にあると考えられる場合は経過観察としている.視機能障害は軽度だが,発熱などの全身症状を呈している場合は抗菌薬(アジスロマイシン)の全身投与を行う.視機能が著しく障害されている場合には,抗菌薬とステロイドの全身投与で治療を行う.筆者らは,マクロライド系抗菌薬(アジスロマイシン)とステロイド(プレドニン)内服をC0.5Cmg/kg程度で加療を開始し,漸減している.ステロイドの全身投与については,抗菌薬単独の全身投与よりも抗菌薬と併用で投与することにより視力予後がよいとする報告と,抗菌薬投与のみと比較しても視力予後には関係しないという報告がある.CSDにおける視力予後は比較的良好であり,筆者らが経験した視神経網膜炎の患者では全例で視力の改善を認めた5,6).限局性網脈絡膜炎や網膜動脈分枝閉塞症の患者では黄斑部に病変がなければ視力は低下しない.しかし,視神経網膜炎の重症例では,治療により視野障害は改善するものの,傍中心暗点やCMariotte盲点の拡大は残存する患者が多い.CSDの予防法としては,猫との接触,とくに子猫の野良猫との接触を避けることがもっとも有効である.飼い猫の場合にはCBartonella感染を予防するワクチンは存在しないため,猫との接触後の手洗い,猫の清潔を保つ,野良猫やほかの猫との接触を最小限にする,などを心がけるとよい.おわりにCSDは診断に至らず見逃されている患者も多いと思われるが,眼病変から疑うことで少しでも早期に診断・治療介入できる可能性がある.視神経網膜炎のみならず,白色の網脈絡膜浸潤病変もCCSDを疑うべき眼底所見であり,これらの所見がみられる患者においては野良猫などの接触歴などについて問診を詳細に行うことが重(49)あたらしい眼科Vol.41,No.5,2024C521