緑内障患者における治療アドヒアランスと継続性のマネジメントManagementofTreatmentAdherenceandContinuityinGlaucomaPatients小島祥*井上俊洋*I災害時における緑内障診療わが国は地震・豪雨・台風などの自然災害が多く,その大部分は予期せず発生する.近年も東日本大震災,熊本地震,能登半島地震など,大規模災害が相次ぎ,医療提供体制やライフラインに甚大な影響を及ぼした.災害発生直後には,救命救急医療や外傷,感染症対策が優先される一方で,慢性疾患の継続治療は中断を余儀なくされることが少なくない.緑内障はわが国の中途失明原因の上位を占める慢性進行性疾患であり,高齢化に伴って患者数はさらに増加すると考えられている.1).その治療の中心は眼圧下降を目的とした点眼治療であり,多くの患者では長期間にわたる継続的な点眼が必要となる.1).点眼の中断は眼圧上昇を招き,視神経障害の進行や視機能の悪化につながる可能性があるため.2),災害時であっても可能な限り治療を継続することが望ましい.しかし実際の災害では,避難や生活再建,食料や水の確保など生命維持に直結する課題が優先され,点眼薬の持ち出しができなかったり,紛失したり,通院や処方継続が困難になったりと,結果的に点眼アドヒアランスが低下してしまう場面は珍しくない.さらに,医療機関側においても,停電や断水,物流の途絶,診療機器の使用制限,医療従事者の不足などにより,通常どおりの診療を継続することが容易ではない状況になることもある.筆者は2016年の熊本地震を経験した.地震発生直後から,水道,電気,ガスなどのライフラインが停止し,日常生活は一変した.病院での診療や外勤診療は可能な限り継続されたものの,通常診療とは大きく異なる環境での診療体制となった.また,筆者は熊本県眼科医会が実施した被災地往診に参加し,とくに被害の大きかった益城町を中心に避難所を巡回した.そこで,点眼薬が持ち出せなかった患者や受診継続が困難となった患者に直接触れ,災害時における眼科診療の必要性や在り方を体感した.これらの経験も含め,本稿では,災害時に緑内障診療が直面する課題を整理するとともに,患者および医療従事者が平時から備えておくべき対策について考察する.II災害時における緑内障診療の問題点災害発生時には,患者側と医療従事者側の双方にさまざまな問題が生じ,緑内障診療の継続が困難となる.緑内障は慢性進行性疾患であり,長期間にわたる眼圧管理が視機能の維持に不可欠である.しかし,災害時には生命や生活の維持が最優先となるため,緑内障診療はどうしても後回しになりやすい.1.患者側の問題点患者側でもっとも大きな問題は,点眼治療の継続が困難になることである.地震や豪雨などの災害では,避難時に点眼薬を持ち出せなかったり,自宅が被災して点眼薬を取り出せなかったりすることがある.また,交通機.*SachiKojima&ToshihiroInoue:熊本大学大学院生命科学研究部眼科学講座〔別刷請求先〕小島祥:〒860-8556熊本市中央区本荘1-1-1熊本大学大学院生命科学研究部眼科学講座(1)(37)10850910-1810/26/\100/頁/JCOPY関の停止や道路の寸断により通院が困難となるだけでなく,医療機関自体が診療を制限している場合も少なくない.さらに,避難所生活では生活環境が大きく変化し,生活リズムの乱れや精神的ストレスから点眼を忘れるなど,アドヒアランスが低下しやすい状況となる.1).加えて,お薬手帳や薬剤情報を紛失した場合には,使用していた点眼薬の種類がわからず,治療再開が遅れる要因にもなりうる.緑内障では,点眼治療の中断がただちに視機能障害を引き起こすとは限らないものの,眼圧上昇によって視神経障害が進行する危険性がある.とくに進行例や眼圧変動の大きい症例では,数週間から数カ月にわたる治療中断が病状の進行につながる可能性も否定できない.3).そのため,災害時においても可能な限り点眼治療を継続し,治療中断期間を最小限に抑えることが重要となる.2.医療従事者・医療機関側の問題点医療従事者・医療機関側にも多くの課題が生じる.停電や断水などのライフライン障害は,診療そのものに大きな影響を及ぼす.停電が生じれば,細隙灯顕微鏡,光干渉断層計(opticalcoherencetomography:OCT),視野検査装置などの検査機器が使用できなくなるほか,電子カルテへのアクセスが制限されることで,通常診療の継続が困難となる.また,物流の停滞によって点眼薬の供給が滞る可能性もある.さらに,災害医療では救命救急や外傷診療が優先されるため,慢性疾患である緑内障診療の優先順位は相対的に低くならざるをえない.医療従事者自身も被災者となることから,人員不足や診療体制の縮小を余儀なくされる場合もある.このように,災害時には患者側,医療従事者側の双方に複数の要因が重なり,緑内障診療のアドヒアランスが低下し,緑内障進行のリスクが生じてしまう.したがって,災害発生後に対応を考えるのではなく,平時から災害時を想定した備えを行うことが,視機能を守るためにはきわめて重要である.III熊本地震の経験から学んだこと1.突然生活が一変する筆者は2016年4月に発生した熊本地震を当事者として経験した.同年4月14日午後9時26分に前震(M6.5,最大震度7),その約28時間後の16日午前1時25分には本震(M7.3,最大震度7)が発生した.筆者の生活圏である熊本市中央区でも震度6強の激しい揺れが観測され,大きな揺れの直後に一瞬で停電し,その後何度も訪れた激しい揺れの恐ろしさは今でも鮮明に覚えている(図1).発災翌朝に出勤した際,病院内は非常用電源の稼働により電力は維持されていた.しかし,医局の壁面や床面には多数の亀裂が生じ(図2),居室内の書棚や机上からは書籍や研究資材が散乱するなど,室内の被害は甚大であった(図3).一方で,熊本大学病院の入院棟(病棟)は免震構造が採用されていたため,建物本体および内部設備の構造的被害はきわめて軽微にとどまっており,免震構造の有用性を改めて実感した.病院は断水の影響も受けず,インフラ面ではすぐに通常の状態を取り戻し,早期に通常機能を回復できた.眼科においても,検査機器の大きな損害はなく,余震が続く状況下ではあったが,ほぼ通常どおりの外来・入院診療を継続することが可能であった(図4).しかし,市中の状況は全く異なっていた.電力は比較的早期に復旧したものの,上水道とガスの供給停止が長期化し,市民の生活基盤は崩壊した.定期的に巡回する給水車から水を受け取るためにバケツやタンクをもって長い行列に並んだ.ガスが止まっている間はお湯が出ず,入浴などの衛生管理を目的として,夜間に銭湯や温泉まで移動せざるをえない状況が続いた.食料をはじめとする物流は,そこまで停滞はしなかったものの,調理ができない場面もあり食生活の内容も変わった.こうした生活の大きな変化のなかでは,点眼どころではなくなり,あとから「生活維持に精一杯で点眼を忘れていた」という話も聞いた.また,深刻な節水に伴う衛生環境の変化や物流の停止への心配から,点眼が重要であることが意識下にあっても「衛生面が不安だったから点眼を自主的に控えた」という話や,「足りなくなると困るから本来よりも少なめに点眼していた」という患者もいた.緑内障治療において,点眼の継続(アドヒアランスの維持)がきわめて重要であり,緑内障患者自身も十分に理解していることが多い.しかし,生活基盤が崩壊し,1086あたらしい眼科Vol.43,No.9,2026(38)図1医局の壁から落ちた時計図2医局から病棟へ図3医員,大学院生の居室地震発生時刻を示している.ガラスが割れ周囲向かう廊下地震直後の散乱した状態.に散乱している.壁に大きな亀裂が入っている.図4クリニックの写真点眼薬が散乱した状態.図5避難所訪問時の写真a:各教室を巡回して相談に応じた(同行した福島亜矢子医師).b:避難者に声をかける筆者.図6避難所巡回に向かう途中の風景家屋が倒壊し,歩道が分断されている.IV平時からの備え―アドヒアランスを維持するために災害発生後に緑内障診療の中断を完全に防ぐことは困難である.しかし,その影響を最小限に抑えるための備えは,平時から実践することが可能である.とくに緑内障では,点眼治療の継続が視機能維持の基本であり,災害時にもアドヒアランスを可能な限り維持できる体制を構築しておくことが重要となる.そのためには,患者,医療従事者,医療機関がそれぞれの立場で備えを行う必要がある.1.患者の備え患者に求められるのは,点眼薬が途切れないよう日頃から準備しておくことである.災害発生直後には医療機関を受診できない状況や,物流の停滞によって点眼薬の供給が遅れる可能性がある.このため,点眼薬は常に1.2週間程度の余裕を持って管理し,非常時にも使用できるよう備えておくことが望ましい.また,お薬手帳や点眼薬リスト,診療情報カード(緑内障手帳)などを,災害時にもすぐに持ち出せるように管理しておき,避難所等でも薬剤名や使用方法を第三者が確認できるような準備を整えておくことも重要である.点眼薬を点眼ボトルの色で認識している患者も多いが,常日頃から点眼薬名を意識してもらうことや,スマートフォンを活用し,薬剤名や処方内容を写真やメモとして保存しておくことも,いざ点眼が必要な時に処方間違いがなく有効である.さらに,非常持ち出し袋のなかに点眼薬や薬剤情報を入れておくことや,家族などと治療内容を共有しておくことは,避難生活においても点眼治療を継続するうえで役立つ.これらの準備はアドヒアランス維持のための対策となる.2.医療従事者の備え医療従事者にも,災害を見据えた患者教育が求められる.災害に備えて「点眼を続けることの重要性」と「受診できない場合の対応」をあらかじめ説明し,患者自身が適切に判断できるよう支援することが望ましい.点眼薬を多めに処方するというのは厳しいが,紛失したときの備えも含めて少し余裕をもった処方を行うこともアドヒアランス維持の対策となる.非常時持ち出し袋に,お薬情報や点眼薬リストを入れておくことの有用性をアドバイスするのも医療従事者の役割と考える.現在の日本では,実際に災害が生じた際の日本医師会や県医師会をはじめとした災害医療支援体制はきちんと整っている.日頃より地域の眼科医療機関との連携を構築し,災害時における点眼薬の確保や災害状況を把握する体制を整備しておくことも重要である.3.医療機関の備え医療機関においては,患者情報を整理しておくことがアドヒアランス維持において重要である.そのために災害時においても医療情報に早くアクセスできるための体制を整備しておくことが重要である.その対策としては,災害時にも診療機能を可能な限り維持・早期復旧するための事業継続計画(businesscontinuityplan:BCP)の策定や,停電や断水,通信障害を想定した診療体制や電子カルテのバックアップ,医薬品供給体制の確認などがあげられる.非常用電源や通信手段の確保,電子カルテのバックアップ,診療情報の保全などは,緑内障患者の継続診療を支える基盤となる.また,災害時マニュアルを作成し,職員間で定期的に共有・訓練を行うことも重要である.加えて,地域医療機関や眼科医会との連携体制を平時から構築しておくことで,被災時にも円滑な患者紹介や情報共有が可能となる.今後は,デジタル技術の活用によって災害時の医療継続性はさらに向上することが期待される.電子処方箋やクラウド型電子カルテの普及は,被災地外でも診療情報へアクセスしやすい環境を整備する可能性がある.被災地においても正しい診療情報が得られることは,素早く正しい処方につながりアドヒアランス維持に貢献する.また,遠隔診療やオンラインによる服薬・点眼指導は,交通網が寸断された状況でも患者との接点を維持する手段となりうる.熊本地震の際は比較的復旧が早かったこともありビジョンバンの派遣は必要としなかったが,ライフラインが止まってしまった地域においては,日本眼科医会の有するビジョンバンを活用することで診療を継続することも可能である.(41)あたらしい眼科Vol.43,No.9,20261089