———————————————————————-Page1あたらしい眼科Vol.25,No.9,200812710910-1810/08/\100/頁/JCLS姜尚中氏の『悩む力』の主題は,とにかく「悩め」ということである.東京大学大学院情報学環教授である著者が,身近にあるさまざまな問題について悩んだ過程を語っている.─世の中はすべて「金」なのか.著者は夏目漱石の小説『それから』の主人公,代助について述べる.代助は金銭的に裕福な父親の財力に依存して,気ままな生活をしている.生活のための労力は卑しい,というのが持論である.代助の父親は,他の漱石作品にも頻出する「金」の悪い面の象徴として扱われている.「鼻もちならない金持ち」として登場させられている.19世紀から20世紀に迎えた資本主義の変容の波に乗り,己のハングリー精神でのし上がった,いわゆる「新興ブルジョワジー」である.確かに彼らと,彼らの動かす金が時代の流れを変えたのは事実である.しかし,彼らには「自分たちが新時代を創った」という自負と,それを成したのは「自分たちの金」であるという開き直りがある.そして,華やかな生活をし,元々上流階級の出であったようなメッキをしたりすることでその開き直りに対する罪悪感を隠している.その点において漱石は新興ブルジョワジーを嫌悪する.では漱石本人はどうだったか.漱石は新興ブルジョワジー,ひいては彼らが主役を張る19世紀資本主義の時代を憂い,その作品を通して警鐘を鳴らしていた.しかし現実それらの作品は教師を地道に務めた後,朝日新聞社に入社し,借家住まいで文筆活動をしたなかで生まれていた.そんななかでもたまには流行の背広で写真を撮られたり,食べ物にもうるさかったりするような,ちょっとした贅沢もしていた.漱石もまた時代に流されて生きる小市民であったのだ.『それから』の代助は父親と対立しつつも金銭的に依存していたことで,自分の流儀のままに暮らしていられた.ところが,友人の妻である美千代を愛してしまったために,親の逆鱗に触れ勘当されてしまう.そして美千代を養うために彼の哲学に反する「生活のための労力」をするために奔走しなければなくなるのである.代助の進退を決めたものは他でもない「金」だった.著者は,『それから』は漱石の復讐の作品であると考察する.漱石は本質では金のために働くこと,そしてそれを正当化するために虚飾化することを嫌悪していた.しかし,彼の生きる時代ではその理想を求めて現実に生活することは不可能であった.だから父親の財力で知性も得て気ままに暮らしていた代助を「愛」という罠をもって現実世界にたたき落とした,と.著者は,自身の早稲田大学政経学部在学中の研究テーマであったマックス・ウェーバーも引き合いに出している.ウェーバーはドイツの経済学者であり,19世紀の資本主義社会に警鐘を鳴らした人物だった.しかしウェーバーの場合は,彼自身が新興ブルジョワジーの息子だった.父親の財により一流の教育を受け,知性を手にいれた.まさに『それから』の代助と似通った境遇だった.ウェーバーはその知性によって,漱石と同じように新興ブルジョワジーを嫌悪した.彼もまた,父親との対立,自分の立場,彼自身の思想に大いに悩んだ人物だった.─何のために働くのか.人は何のために働くのか.生活を送る金を得るためだけか.よく「宝くじが当たって3億円手に入ったらもう働かないで一生暮らしてゆける」などという台詞を耳にする.しかし,本当に金があれば人は働かないだろうか.専業主婦が「誰それの奥さん」「誰それちゃんのお母さん」という呼ばれ方をするのを嫌がるのは何故か.(83)■9月の推薦図書■悩む力姜尚中著(集英社新書)シリーズ─84◆阿部さち山形大学医学部眼科———————————————————————-Page21272あたらしい眼科Vol.25,No.9,2008さらにテーマは経済や社会に関係するものだけにとどまらない.─「変わらぬ愛」は存在するか.男女の間の恋愛感情ほど気分の高揚するものはない.しかし一旦,恋愛が成就すると話が違う.漱石の作品にもあまり幸せそうには見えない夫婦が登場する.「永遠の愛」とはわれわれの幻想にすぎないのか.著者はそれぞれの「悩み」一つひとつに,“くどくど”“うじうじ”と悩んでいる.その様は,近年ことに疎まれるようになった「まじめ」という姿勢そのものである.書店に行けばマニュアル本がブックランキングの上位を占めている.個人の心の問題にしても「脳」や「スピリチュアル」などというもので解決しようとしたり.周囲に心の壁を作って「鈍感」になることで解決しようとしたり.人々はよりわかりやすいほうへ向かい,シンプルなものを求めているようである.しかしこの本では,この時代にあって真面目に悩むということを正面切ってやって見せていると思う.そしてそれぞれの問題に著者なりの答えを提案している.ここまで真面目に悩んだ後で,著者は言う.「横着者」でいこう.老いて「死」が現実のものとして見えてきたときに,怖がるものはない.「プチナショナリスト」「ちょい悪おやじ」はつまらない,どうせならスケール大きくいこう,と.私が著者を知ったのは,深夜のテレビ討論番組だった.討論が徐々にヒートアップし声高に自分の意見を述べる政治家やジャーナリストのなかにあって,伏し目がちに他者の意見を聞き,一拍置いて,低音の冷静な口調でそれに対する自分の意見を言う人.それが私が彼に対してもった印象だった.何のテーマについて話し合っていたのか,著者は何を話していたのか,今となっては確かな記憶には残ってはいない.ちょうど,3年前,医師国家試験に向けて深夜に自宅で勉強していた頃の話だ.連日の詰め込み勉強でパンク寸前の頭に,その佇まいと,姜尚中という韓国系の名前が印象に残っていた.あれから私は2年間の初期研修期間を終え,「眼科医」という新たな名札を付けてから早3カ月が経とうとしている.毎日無我夢中で,日々の業務をこなすのに精いっぱいだった.急流のように流れる日々のなかで,自分なりのマニュアルを探すようになっていた.少しは自分のできることをこなすことに慣れてきたかな,などと自分の力を測ったような気になりかけていたようにも思う.そして,自分の勉強不足を感じることにも,力不足を感じることにも鈍感になりかけていた.前向きな横着さは大きな力になる.しかしそれは悩んだ末のものであるから価値があるのだ.著者は最後に,悩んで突き抜けた横着者という立場からわれわれに投げかけている.若い人には大いに悩んでほしい.悩み続けて突き抜けて横着者になってほしい.今の日本の明るい未来のために必要な破壊力はそんな強さである,と.私の立場でこんなことを言うのは失礼にあたるかもしれないが,あえて言ってしまおうと思う.今,私の周りには突き抜けて横着者となられたような諸先輩先生方がおられて,日々の診療のなか,手術場で存分にその力を見せてくださっている.先生方の,困っている患者さんを前にしたときの頼もしさは傍で見ている私をも納得,安心させてくれる.しかしそうした先生たちの強さもまた,悩んで悩んで手に入れたものなのだろう.一朝一夕には手に入れられないものだからこそ,価値があり,かつ周囲を納得させる強さなのだろう.私もいつか悩んで突き抜けた強さを手に入れられるように,今のうちにたくさん悩もう.私の周りには悩みを共有できる仲間たちもたくさんいてくれる.また,悩みを理解してくださる先輩方もたくさんおられる.それはとても,とても幸せなことである.この本を読んで,そんなことを考えた.(84)☆☆☆