———————————————————————-Page1あたらしい眼科Vol.24,No.6,2007???私が思うこと●シリーズ⑤(103)はじめに今年は年始早々胃腸を壊してしまい,食べられることのありがたさを再認識しました.ということで,今回は食をテーマに書かせていただきます.全員参加の家族料理私たち一家の休日の楽しみの一つに家族で料理をするということがあります.もともと家族一同食べるのが大好きで,いわゆる食いしん坊の一家なのです.以前,テレビ番組で日本一食いしん坊な県民は愛知県民と聞きましたが,わが家から類推する限りではなんとなくあたっている気がします.うちの料理などは質素なものですが,手作りの料理というのはやはり既製品とは違うおいしさがあるものですし,自分たちで作れば多少出来が悪くてもそこはご愛嬌で,実際以上においしく感じるものです.なにより料理を作るのは楽しいよ,ということで一家そろって料理を楽しんでいます.家族の会話も弾み,コミュニケーションにも一役買っています.こんなことになったのも,私の料理好きに端を発しているのでしょう.以前から料理を作るのが好きで,比較的よく台所に立っています.もっとも,男の料理というと大変凝った料理を作られる方が多いようですが(聞くところによれば某教授もなかなか凝った料理を作られるとか),私の場合どちらかというとあまり凝ったものは苦手で,お菓子類を除けば本当に普通の家庭料理が中心です.私の料理好きは子どものときからのもので,年季だけは入っています.小学校低学年のころから家の料理を手伝っていました.当時実家が青果商を営んでいたこともあり,食品に対する目もその当時に養われたように思います.テレビでも料理番組を欠かさず見ているような子でした.長ずるにつれだんだんに難しい料理やお菓子を作るようになり,高校のころには普通に家庭で食べるものはたいてい作れるようになりました.大学生のころは一人暮らしだったので時折自分で食事を作ることもありましたが,一人で自炊するのは何かと無駄も多く,思ったほどやりませんでした.結婚してからは妻と二人で台所に立つのが楽しくて,再びよく料理するようになりました.そして最近では家族全員で料理をするようになったというわけです.特にここ1年ほどは長女が料理好きになり,家族で料理をする機会が増えました.水上勉氏の「土を食う日々」に学んだこと話ががらっと変わりますが,私が大学生のときに水上勉氏の「土を喰う日々」という書物に出会いました.巻末に昭和53年12月に文化出版局から刊行されたとあり,私が今も持っているのは昭和57年8月に発行された新潮文庫版の初版本なので,おそらく私が大学1年生のころに手に入れたものと思われます.この本はコミック「美味しんぼ」でも紹介されたそうなので,読まれた方もあるでしょうが,ご存知でない方のために簡単にご紹介します.この作品は水上氏が軽井沢に家(仕事場)を持ち,仕事場の庭に畑を作ってこれを耕し,四季折々の旬の野菜を収穫し,さらには自ら料理するという(水上氏は少年のころ禅寺で修行したために精進料理にご堪能だったそうです)日常をエッセー風につづったものです.このエッセーには畑から生まれる野菜たちのみずみずしさと,それを思うままに料理し,味わいつくすさまが素朴な筆致ながら生き生きと描かれ,それだけでもすばらしいのですが,それに加えて食と料理を通じて,禅の心で人生の教訓を説いている点にまた感銘を受けま0910-1810/07/\100/頁/JCLS吉田宗徳(????????????????)名古屋市立大学大学院医学研究科視覚科学1988年京都大学医学部卒業,京都大学,市立岸和田市民病院,米国ハーバード大学スケペンス眼研究所,神戸市立中央市民病院などを経て2001年より名古屋市立大学講師.2003年より現職…と思ったら今年4月に助教授から准教授に役職名が変わってしまいました.専門は網膜硝子体疾患とぶどう膜炎.趣味は読書(娯楽もの中心),ウォーキング,その他もろもろ.歩くインドア派.(吉田)食いしん坊一家の休日の楽しみ———————————————————————-Page2???あたらしい眼科Vol.24,No.6,2007す.この本の中には曹洞宗を開いた道元禅師の「典座教訓」という古い書物がたびたび引用され,水上氏なりの解釈で解説を加えておられます.たとえば,「米を淘り菜等を調ふるに,自ら手づから親しく見,精勤誠心にして作せ.一念も疎怠緩慢にして,一事をば管看し,一事をば管看せざるべからず.功徳海中一滴も也た譲ること莫れ,善根山上一塵も亦積むべき袈歟」という道元禅師の言葉を「米を洗ったり,菜などをととのえたりする時,典座(禅寺の食事係のようなもの)は直接,自分の手でやらねばならぬ.その材料を親しく見つめ,こまかいところまでゆきとどいた心であつかわねばならぬ.一瞬とてなまけてはいけない.一つは見ていたが一つは見のがしていたということがあってはならない.功徳を積むことにかけては大海の一滴というべき小さなことでも,人まかせにしてはいけない.善根を積むことも,高い山の一個のチリほどのようなことでもなおざりにしないことだ.大海も滴の集まり,高い山も塵のあつまりではないか.」と解説してくれています(「土を喰う日々」より引用).私はこの言葉の典座を医師に置き換え,自分にとってありがたい教訓として肝に銘じています.ほかにもご紹介したいすばらしい言葉がたくさん書かれていますが,紙面の都合上ここまでにします.蛇足ですが,私なりの勝手な解釈を付け加えれば,食べるということは私たち人間にとって根源的に必要なことであって,その食べるということは決しておろそかにしてはならない.また,食べるということを真剣に考えることは私たちの生き方そのものを考えることに通じるということだろうと思います.私たちが食べさせていただいているということはほかの生きものや,さまざまなものの犠牲と多くの人や物のおかげの上に成り立っていることも忘れてはなりません.楽しみながら教育効果も話が回り道をしましたが,こんなことから家族で料理を作るのは子供の教育にもなると考えています.作るときは材料を無駄にしないように教えていますし,自分で作るようになってからは子どもたちが食べ物を残すことが減ったように思います.子どもとて,食事を作ることを人任せにしないで自分でやるようになれば,日ごろ三度三度の食事が取れることや,その食事を作ってもらえるありがたさがわかるのです.さらには食べる人に喜んでもらおうと一生懸命に工夫をして作ることは,人に対する優しい気持ちにつながっていくのではないかと思います.またこういう場面で役割を与えると,少々難しくても意外と子供はがんばるもので,なるべくそれぞれに責任を持ってやらせるようにしています.時に大変な結果に終わることもありますが.話が説教くさくなってしまいましたが,むろんこんなことを毎日考えているわけではありません.なんにせよ,家族みんなでわいわいと騒がしく作って,完成した料理を(時には完成前から?)奪い合いながら食べることが,わが食いしん坊一家の大きな楽しみであることは間違いありません.こんなことにささやかな幸せを感じている今日この頃です.皆様方もいかがですか?(104)図1家族で料理をしているところ私と次男と長女です.ちょっと演技っぽいですが,まあだいたいこんな雰囲気でやってます.妻は恥ずかしいからということで,長男は撮影者のため,その二人は写真には入っておりませんが,もちろん普段は参加しています.念のため.図2完成したクッキーを手にご満悦の長女見かけはともかく味は一級品?