【略歴】1928年2月12日香川県三豊郡三野町にて出生1954年3月大阪大学医学部卒業1955年4月大阪大学大学院医学研究科入学1955年10月医師免許証取得1959年3月大阪大学大学院医学研究科修了,医学博士取得1959年7月大阪大学医学部眼科助手1963年8月ミュンヘン大学へ留学(.同年12月)1965年1月大阪大学医学部眼科講師1969年7月ボストンレチナファンデーションヘ留学(.昭和47年7月)1974年5月大阪大学医学部眼科学教授(第7代)1991年4月大阪大学名誉教授1991年4月箕面市立病院,藤田保健衛生大学病院院長1996年4月多根記念眼科病院院長2005年3月多根記念眼科病院名誉院長2021年7月19日逝去(93歳)【主な研究分野】電気生理,視覚生理に関する研究と検査機器開発眼球保存液の開発角膜上皮障害の病態解明と治療法の開発角膜ヘルペスの病態解明【主な学外の役職】日本眼科学会理事長1987年.1989年日本角膜学会理事長1995年.1996年日本眼球銀行協会理事長1982年4月.2000成12年4月大阪アイバンク理事長2003年6月.2014年3月日本角膜移植学会(理事),日本眼光学学会(理事),日本眼薬理学会(理事),日本眼科手術学会(理事),日本眼内レンズ学会(理事),日本移植学会(評議員),日本結合組織学会(評議員)国際眼研究会議(ISER)(組織委員)日本眼科紀要編集委員長日本コンタクトレンズ学会誌編集理事学術審議会専門委員1983年2月.1985年1月日本学術会議機能回復医学研究連絡委員会委員1988年10月.1991年10月(51)0910-1810/22/\100/頁/JCOPY眞鍋禮三先生【主な学術講演】1982年第36回日本臨床眼科学会特別講演「角膜疾患の臨床─角膜ヘルペスを中心に」1983年第87回日本眼科学会宿題報告「角膜に関する諸問題─角膜上皮障害に対する新しい治療の試み」1985年第39回日本臨床眼科学会特別講演「治療的角膜移植」1986年第9回日本眼科手術学会特別講演「角膜疾患に対する角膜手術」1987年第91回日本眼科学会特別講演「眼とヘルペス」【主な受賞歴】1998年日本眼科学会賞2003年日本眼科学会特別貢献賞2006年日本角膜学会特別功労賞2009年第1回今泉賞(日本アイバンク協会)2009年PfizerOphthalmicsAwardJapan2009特別賞●眞鍋禮三先生の教えと眼科学への貢献西田幸二大阪大学大学院医学系研究科脳神経感覚器外科学(眼科学)眞鍋禮三先生が2021(令和3)年7月19日に享年93歳でご逝去されました.筆者は1988年に眞鍋先生が主宰される大阪大学眼科学教室に入局致しました.在任期間中に直接ご指導いただいたのは4年余りでしたが,先生はご退官後も名誉教授として,大所高所から常にわれわれをご指導くださいました.このたび木下茂教授より「眼科の先達に学ぶ」の第4回として眞鍋禮三先生を取り上げたい旨のご依頼いただきました.眞鍋先生はこれまでに多くの先生を育ててこられ,薫陶を受けられた眞鍋門下の先生方が日本全国でご活躍されています.それらの諸先輩方をさしおいて大変僭越ではありますが,ご指導いただいた弟子の一人として,眞鍋礼三先生の業績の一端をご紹介させていただきます.眞鍋先生は,1928年2月12日香川県にご誕生されました.1954年3月大阪大学医学部を卒業され,医師実地修練と研究に従事したのち,1959年7月大阪大学助手に任ぜられ,眼科学講座に勤務,1965年1月同大学講師,そして1974年5月1日には第7代眼科学教室教授に就任され,1974年から1991年までの17年間教授を務められました.先生のご専門は,当初,網膜電図(electroretinogram:ERG)で,赤色光と白色光を用いて錐体機能と杆体機能を分離する方法を開発され1),中心フリッカ測定装置やアコモドメーター2)を開発されるなど(図1),臨床検査装置を自ら開発し,その装置を用いて臨床研究をされていました.ボストンレチナファンデーションに留学後は角膜の研究に専念され,角膜実質の含水率と散乱特性の関係,角膜潰瘍におけるコラゲナーゼの関与と治療法の開発,角膜上皮創傷治癒の基礎研究とフィブロネクチン点眼による治療法の開発3),角膜ヘルペスの病態4),ドナー保存液EP-2の開発(図2)5)などにかかわられ,臨床においては2,000眼以上の角膜移植を施行されました.優れた研究業績のもと,日本眼科学会や臨床眼科学会をはじめとする多くの主要学会で特別講演の栄誉にあずかられました.そして,1983年日本医師会医学研究奨励賞,2003年日本眼科学会賞,2003年日本眼科学会特別貢献賞など数多くの賞を受賞されました.教授在任中は,臨床,研究,教育に尽力されました.在任された1972年.1979年頃は,昭和40年代始めからの大学学園紛争がようやく終焉し,エネルギー溢れる団塊の世代が入局しはじめた時期でした.そして,眼科の診療・研究レベルは欧米と比べ未だ低く,欧米に追いつく日を夢みた時代でもありました.実際,眞鍋時代の17年間に阪大眼科の臨床・研究レベルは飛躍的に向上し,世界のトップグループに数えられる角膜,網膜などの分野が育ちました.教授就任から5年が経過し,若手教官層の急速な成長に加え,毎年10名を超す新入局者数とも相まって教室は発展期に入りました.この頃には専門領域を基軸とした臨床・研究活動が主流となり,関連病院に出向中の若手医局員がこれらのグループに所属するなかで,角膜,ぶどう膜炎,網膜.離,緑内障,糖尿病網膜症,神経眼科などさまざまな研究グループが発展し,臨床への社会実装をめざす研究テーマが数多く生まれました.就任から10年目となる1984年頃を境に教室は円熟期に入り,とくに眞鍋先生が専門とする角膜領域を中心に優れた人材が多く輩出し,1977年に眞鍋先生が角膜領域の小集会として創設した「角膜カンファランス」はより大きな学術組織へと成長し,40年以上を経た現在,同会は日本角膜学会として参加者1,000名を擁する学術組織に発展しています.眞鍋先生の医局運営はいわゆるトップダウン型ではありません.むしろ,ボトムアップで湧き上がってくる医局員のモチベーションを自由に伸ばしていくことをことのほか好まれました.とはいっても単なる放任主義ではなく,課題解決に悩む医局員には的確なアドバイスとともに温かい手を差し伸べられました.「なんでや」という言葉を好まれていたようにブラックボックスの存在を嫌い,真理の追究をこよなく愛されていました.また,教室員の指導育成にたゆまぬ熱意を注がれ,40名を超える教室員を海外に留学させ,あるいは外国人研究者を招聘して共同研究を行い,眼科学の国際交流の促進に貢献されました.筆者にも多くのチャンスを与えていただき,また機会があるごとに貴重なアドバイスをいただきましたが,その門下からは第一線で活躍している俊英を多数輩出し,18名が自大学または他大学の教授に就任し,自由闊達な「眞鍋イズム」は全国に波及していくこととなりました.このように,17年間の教授在任中に教育,研究,臨床のあらゆる面で大阪大学眼科学教室を世界レベルに押し上げられた比類なき名教授です.1975年からは日本眼科紀要の編集委員長を務められ,a.阪大式アコモドメータb.阪大式中心フリッカー値測定器図1臨床検査装置の開発図2眼球保存液(EP.II)の開発図4米寿の会(2015年)1979年からは日本コンタクトレンズ学会誌の編集理事として両誌の発展に尽力されました.1975年以降は日本眼科学会の評議員を務める一方,2年任期の理事を6年務められ,1987年6月から1989年6月までの2年間は日本眼科学会の理事長としてその運営と発展に貢献されました.さらに,日本眼科学会,日本臨床眼科学会,日本コンタクトレンズ学会,日本眼科手術学会,国図3教授退官記念講義(1991年3月)際眼研究会議日本部会の会長を務められ,その発展に寄与されました.加えて,1987年からは国際眼研究会議のカウンシルメンバーに選任され,国際学会の運営でも活躍されました.また,1983年2月から1985年1月まで学術審議会専門委員として活躍され,1988年10月.1991年10月まで日本学術会議機能回復医学研究連絡委員会委員を委嘱され活躍されました.1991年に退官され(図3),大阪大学名誉教授となられました後,1996年から2005年までは多根記念眼科病院院長を務められました.また,1982年.2000年まで日本アイバンク協会理事長,2003年.2014年までは大阪アイバンク理事長を務め,アイバンク活動の普及に貢献されました.眞鍋先生はおいくつになられても門下生とのつながり図5眞鍋禮三名誉教授追悼シンポジウム(2022年)大橋裕一先生(右上),西田輝夫先生(右下),澤充先生(左下),筆者(左上).図6眞鍋禮三名誉教授追悼シンポジウム(2022年)木下茂先生図7眞鍋先生を囲む会(2013年)を大事にしておられました.教室として米寿のお祝いの会を開催させていただきましたのは大変よい想い出です(図4).また,阪大眼科角膜グループの有志で開催した木下茂先生,大橋裕一先生の謝恩会にもご出席いただき,想い出話に花が咲く大変楽しい時間となりました.昨年7月の眞鍋先生のご逝去に際して,私は次世代を担う若者に眞鍋先生の功績やビジョンを伝えていけるような機会を設けたいと考えました.早速,翌年開催が予定されていた「角膜カンファランス2022」の会長である金沢大学の小林顕先生に相談しましたところ,すでにプログラムがおおむねフィックスされている段階であったにもかかわらず,追悼セッションの開催をご快諾いただき,「眞鍋禮三名誉教授追悼シンポジウムBacktotheBasic,LooktotheFuture」を開催いただけることとなりました.このシンポジウムでは,眞鍋先生ゆかりの先生方にご講演いただきました.最初に筆者が眞鍋先生の功績をご紹介した後,木下茂先生が「眞鍋禮三先生から学んだ治療的角膜移植,そして角膜再生医療へ」,大橋裕一先生が「眞鍋イズムに学ぶ」,西田輝夫先生が「眞鍋禮三教授から学ばせていただいたこと」,澤充先生が「アイバンクと後輩の育成」というテーマで,それぞれの先生が眞鍋先生との思い出を語りながら,角膜におけるそれぞれの領域について,眞鍋先生の時代から現在に至るまでの発展,未来の展望について,とくに若者をエンカレッジするような内容のご講演をいただきました(図5,6).以上のように,眞鍋先生は眼科学領域において斬新かつ卓越した業績をあげるとともに,新時代にふさわしい多くの眼科医の養成(図7),新しい眼科学の教育に傑出した能力を発揮したほか,大学の管理運営にも著しい貢献をされるなど,その功績はまことに顕著でありました.われわれには,先生が築かれた教室,そして阪大眼科の精神をこれからも長く伝え,さらに発展させていく責務があることを,改めて強く感じております.文献1)眞鍋礼三,尾辻孟:ERGの臨床特に小児ERGの診断的価値.日眼紀16:38-43,19652)MizukawaT,NakabayashiM,ManabeR:Onanaccom-modometerdevelopedbyusfortheaccommodationtime.BerZusammenkunftDtschOphthalmolGes65:495-499,19643)西田輝夫,八木純平,大鳥利文ほか:フィブロネクチン点眼剤の臨床効果.臨眼42:33-37,19884)真鍋礼三,湯浅武之助,福田全克ほか:眼とヘルペス.日眼会誌92:1-26,19885)真鍋礼三,木下茂,糸井素一:新しい眼球保存液(EP-2)の臨床使用経験.日眼紀35:1263-1265,1984☆☆☆