眼感染症診療50年の軌跡─感染性角膜炎と術後眼内炎を中心にA50Years’TrackoftheClinicalTreatmentofOcularInfections─WithSpecialFocusonInfectiousKeratitisandPostoperativeEndophthalmitis大橋裕一*はじめに眼感染症の診療の歴史は,古典的病原体が支配した戦前期,病原体の多様化をきたした戦後第一期,そして新興・再興感染症に特徴づけられる戦後第二期の三つの時期に大きく分けることができる.この間に生じた大きな出来事としては,1950年代の抗生物質とステロイド点眼の登場,1980年代半ばの今も健在なアシクロビル,ニューキノロン,ピマリシンの三大抗微生物薬の上市(個人的に「抗微生物薬ルネッサンス」とよんでいる),1990年代以降に訪れたコンタクトレンズ装用者の急増と小切開水晶体再建術の進歩,それに伴う白内障手術件数の増加があげられる.刻々と変化していく医療環境の中,姿,形を変えて挑戦をしかけてくる眼感染症に対峙する上で,過去の闘いを振り返り,先人の叡智に触れることには大きな意義がある.そこでタイムスリップし,角膜炎と術後眼内炎をテーマに,半世紀余りを旅することにしたい.なお,本稿は第52回日本眼感染症学会(2015年)で講演した「眼感染症ヒストリア」をベースに執筆したものである.I感染性角膜炎1.角膜ヘルペス(図1)角膜ヘルペスは,三叉神経節に潜伏感染した単純ヘルペスウイルス(herpessimplexvirus:HSV)により生じる再発性角膜炎で,その病態から,ウイルス増殖が主体の上皮型と,ウイルスへの免疫反応が主体の実質型とに分けられる.筆者が入局した頃,後者の実質型ヘルペスが中途失明患者の多くを占めていた.有効な治療法の開発は当時の眼科医にとって喫緊の課題であり,1973年の日本眼科学会では宿題報告にも採り上げられている1).図1に当時の角膜ヘルペスの病像のいくつかを示すが,最近では見ることのない重篤な臨床所見に驚かれるのではないだろうか.a.「ヘルペスは良性疾患だった」これは筆者が留学していたProctor眼研究所のThy-geson名誉教授の言葉である2).彼によれば,上皮型角膜ヘルペスは抗生物質の眼軟膏で寛解する病気だったそうであるが,1950年代に入ってステロイド点眼が使用されはじめると,樹枝状角膜炎は治癒しにくくなり,実質型角膜ヘルペス患者が急増したという.彼はまた,「RedEye症候群」に対する小児科医やかかりつけ医による安易なステロイド使用がこの傾向に拍車をかけたのではないかとも述べている.b.IDUの時代-実質型ヘルペスの重篤化1962年,Kaufmanにより代謝拮抗薬であるIDU(5-iodo-2’deoxyuridine)の点眼が上皮型角膜ヘルペスの治療に有効であることが示された3).世界初の化学療法剤として大いに期待されたが,抗ヘルペス作用や角膜内移行は決して十分なものではなく,実質型ヘルペスに対してステロイドと併用された結果,再発を繰り返すなかで多くの患者が壊死性角膜炎や角膜ぶどう膜炎に陥っ*YuichiOhashi:南松山病院アイセンター〔別刷請求先〕大橋裕一:〒790-8534愛媛県松山市朝生田町1-3-100910-1810/21/\100/頁/JCOPY(25)1389(25)1389IDU時代図2IDU時代とACV時代の臨床経過の違いこの二つの時代で,円板状角膜炎の臨床経過に大きな違いがみられる.IDU時代では,いったん軽快した炎症が再燃し,壊死性角膜炎へと進行したが,ACV時代では,ステロイドによる安定した消炎が可能となり,壊死性角膜炎に至ることはほとんどない.Ⅰ型周辺部浮腫型(LinearForm)Ⅲ型急性中央部浮腫型(DisciformForm)周辺部から対側へ進展する実質浮腫先進部に角膜後面沈着物を形成角膜中央部の円板状浮腫(拒絶反応線に酷似,衛星病巣を伴う)(実質内に炎症所見なし)進行性の内皮細胞減少浮腫病変内に角膜後面沈着物Ⅱ型傍中心部浮腫型(SectorialForm)Ⅳ型びまん性浮腫型(Di.useForm)角膜全体に及ぶ実質浮腫角膜周辺部の扇形浮腫(Pseudoguttataが特徴的)(1象限程度)浮腫は停止性全身性ウイルス感染に続発時に高度の内皮減少あり図3角膜内皮炎の病型分類周辺部に生じるタイプと中央部に生じるタイプとに分けられ,それぞれに臨床所見,経過,予後が異なる.進行性の角膜内皮障害をきたす点でもっとも重要な病型が周辺部浮腫型(I型),狭義の角膜内皮炎である.図4角膜内皮炎の病態前房内への間欠的なウイルス放出によって前房関連免疫偏位(ACAID)が成立し,細胞性免疫が抑制されるなかでCcelltropismが働いて線維柱帯,ついで角膜内皮に感染が生じるようになると考えられる.サイレントな眼内炎症であるPosner-Schlossman症候群やCFuchs虹彩異色性虹彩毛様体炎も同様のメカニズムで起こっている可能性がある.表1角膜内皮炎の診断基準2010年に厚生労働省科学研究費の補助を受けて発足した「特発性角膜内皮炎研究班」によってレトロスペクティブスタディが行われ,CMV角膜内皮炎の診断基準が作成された.診断は前房水を用いたCPCRによるウイルス検索と特徴的な臨床所見から行われ,典型例と非典型例に分けられている.I.前房水CPCR検査所見①CcytomegalovirusDNAが陽性②CherpessimplexvirusDNAおよびCvaricella-zostervirusDNAが陰性II.臨床所見①小円形に配列する白色の角膜後面沈着物様病変(コインリージョン)あるいは拒絶反応線様の角膜後面沈着物を認めるもの②角膜後面沈着物を伴う角膜浮腫があり,かつ下記のうちC2項目に該当するもの・角膜内皮細胞密度の減少・再発性・慢性虹彩毛様体炎・眼圧上昇もしくはその既往〈診断基準〉典型例Iおよび,II一①に該当するもの非典型例Iおよび,II一②に該当するもの〈注釈〉1.角膜移植術後の場合は拒絶反応との鑑別が必要であり,次のような症例ではサイトメガロウイルス角膜内皮炎が疑われる.①副腎皮質ステロイド薬あるいは免疫抑制薬による治療効果が乏しい.②Chost側にも角膜浮腫がある.2.治療に対する反応も参考所見となる.①ガンシクロビルあるいはバルガンシクロビルにより臨床所見の改善が認められる.②アシクロビル・バラシクロビルにより臨床所見の改善が認められない.a.肺炎球菌から緑膿菌へ-アミノグリコシド系にスポットが!1950年代に入って抗生物質が使われるようになると,肺炎球菌による角膜炎はほぼ制圧され,入れ替わるように緑膿菌が台頭した21).緑膿菌は土壌や水場に分布する環境菌で,角膜に輪状膿瘍を形成し,角膜穿孔などの重篤な転帰をとる.当時,角膜鉄片異物の除去後に多くみられたとの記載があるが22),これは主力抗菌薬(テトラサイクリンなど)による予防投与が緑膿菌に無効であったためと考えられる.そこで,緑膿菌に有効で,かつグラム陽性球菌からグラム陰性桿菌までをカバーできる抗菌薬としてアミノグリコシド系が大きな注目を集めた.1970年代にはゲンタマイシンを筆頭に多くの点眼薬が開発されたが,眼表面への細胞毒性が足かせとなり,汎用薬とはならなかった.一方で,スルベニシリンやセフメノキシムなど,広域スペクトルのCbラクタム系点眼薬も上市されたが,緑膿菌には力不足であり,これも主役の座を射止めることはできなかったのである.Cb.ニューキノロン・フィーバーそしてC1980年代の半ば,ニューキノロン系のオフロキサシン(タリビッド)点眼液が登場する.外眼部細菌感染症を対象とする多施設臨床試験できわめて優れた臨床効果が確認されたが,その累積発育阻止率曲線は対照薬であるジベカシンやスルベニシリンを遙かに上回るものであった23).ニューキノロン系抗菌点眼薬は,強い抗菌力と抗菌スペクトルの広さ,高い組織内移行性,優れた選択毒性などから,その後の眼感染症の臨床において不動の地位を得るようになった.さまざまな観点から,史上最高の抗菌点眼薬であるといってよいであろう.加えて,AQCmax24)という指標で示される優れた前房内への薬剤移行により,術後点眼薬(前房内汚染の抑制)としても重用されることとなった.以後,オフロキサシンを純化したレボフロキサシン,グラム陽性菌への抗菌力を強化したガチフロキサシン,モキシフロキサシンなどが登場し,抗菌点眼薬の開発はニューキノロン間での競争へとシフトしていく.c.難敵MRSA.MRSEの出現外眼部の常在菌である黄色ブドウ球菌(Staphylococ-cusaureus:SA)と表皮ブドウ球菌(Staphylococcusepidermidis:SE)は,どちらも眼感染症の主要な起炎菌である.ブドウ球菌はさまざまな抗菌薬の耐性遺伝子を菌内に取り込むことから「進化する細菌」ともよばれるが,そのなかで,1990年頃からはメチシリン耐性ブドウ球菌(methicillin-resistantStaphylococci:MRS)が増加し,難敵として常態化している25).MRSはCMecA遺伝子の働きでCPBP-2’を発現しCb-ラクタム系を無効化するが,加えて,キノロンポケット変異によるキノロン耐性も併せもっている.現在,MRSAの多くがキノロン耐性であり,メチシリン耐性表皮ブドウ球菌(methicillin-resistantStaphylococcusepidermid-is:MRSE)においても耐性化が進行していることが指摘されている26).とくに,入院患者由来の株には多数の変異点があり,外来患者由来の株に比べて高い耐性を示す27).ニューキノロン系が無効な場合には,バンコマイシンあるいはアルベカシンをいずれもC0.5%の濃度で自家調整し,上皮障害に留意しつつ使用する.また,静菌的だがクロラムフェニコール点眼液も有力な選択肢とされている28,29).Cd.感染性角膜炎全国サーベイランス2003年,日本眼感染症学会はわが国における角膜感染症(ウイルスを除く)の動向を把握する目的で全国C24施設を対象とする症例調査を行った30).起炎菌の分離された症例の大半を細菌感染(グラム陽性球菌が主体)が占め,真菌感染はC1割弱,アカントアメーバ感染はまだわずかだった.もっとも注目されたのは,コンタクトレンズ(contactlens:CL)装用者が大部分を占める若年層患者の急激な増加で,年齢分布がC20代とC60代をピークとする二峰性を示すことが明らかになったことである.緑膿菌,真菌,アカントアメーバによる感染の多くがCCL装用者であり,この頃に,後述するC2005年のアウトブレークへの素地が生まれつつあったことがうかがわれる.Ce.感染性角膜炎診療ガイドライン細菌性角膜炎の起炎菌はグラム陽性球菌と陰性桿菌と(31)あたらしい眼科Vol.38,No.12,2021C1395図6細菌性角膜炎の治療手順現在はニューキノロン系を中核とする治療の流れが完成している.感染性角膜炎診療ガイドライン第C2版では,臨床的な手がかりをもとにグラム陽性球菌か陰性桿菌かを推測して,2剤併用によるCempirictherapyを行い,その後,de.nitivetherapyのフェーズへと移ることを勧めている.(文献C31より改変引用)図7ニューキノロン系抗菌薬のほころび眼科臨床分離株に対するニューキノロン系C3剤のCMICC90の分布曲線.グラム陽性菌,陰性菌に対する幅広い抗菌力が示される一方で,MRSA,表皮ブドウ球菌の一部,およびコリネバクテリウムに対する効力が低下している(赤色矢印部分).その代替薬剤を右欄外に示す.(宇野敏彦ほか:あたらしい眼科23:1359-1367,2006より改変引用)第1期第2期第3期1952C1970C1985C1989C2020Cステロイドにより誘発!アムホテリシンBピマリシンアゾール系無機農業による土壌変化CAlternaria/Paecilomyces農村型糸状菌(Fusarium)CMoistureLocC図8真菌性角膜炎の変遷第C1期の農村型(糸状菌)感染に始まり,第C2期ではステロイドの影響下に患者数が急増し,都会型(酵母様真菌)が半数を占めるようになる.現在,われわれはCFusariumが優位の第C3期にいると考えられるが,病原体は多様化の傾向を示している.図9主要抗真菌薬の感受性スペクトル真菌性角膜炎研究班が定めた抗真菌薬の感受性基準をもとに,S判定の累積有効率がC100%,50.90%,50%未満のC3段階に分けて表示している.枠内の数字は累積有効率であるが,あくまでも試験管内の評価であることを前提に参照されたい.(文献C41より作成)195719751980~1990~2005~2020CL装用者の増加図10アカントアメーバ角膜炎の変遷CL装用者の急増とともに難治性の角膜感染症として台頭し,CL消毒薬の効力不足,不適切なレンズケアなどを背景に世界的なアウトブレークを繰り返している.現在は小康状態にあるが,オルソケラトロジー,カラーCCLの普及のなかで動向に注意が必要である.図11CL関連角膜感染症の発症図式と対策発症パターンは大きく二つある.パターンC1は,CLケース内で繁殖した環境菌が汚染CCLを介して角膜感染を起こすケースで,MPS使用と頻回交換ソフトCCL(SCL)がキーワードである.パターンC2は,常在菌が角膜感染を起こすケースで連続装用や過剰装用がキーワードである.今後ともレンズケア,装用についての適切な対策とユーザーへの啓発活動が望まれる.根治にはシスト対策が重要上皮下浸潤放射状角膜神経炎偽樹枝状角膜炎TrophozoiteCysticidalactivityamoebicidalactivityDiamine系消毒薬〇〇〇〇〇〇~△〇〇〇~×〇~△クロルヘキシジンPAヨードピマリシンボリコナゾールプロパミジン〇:あり△:株により不定×:なし図12アカントアメーバ角膜炎の治療治療のポイントはシストの除去にあり,病変.爬に加えて強い抗シスト作用をもつ薬剤で治療する必要がある.主力はビグアナイド系消毒薬で,欧米ではこれにCDiamine消毒薬を,わが国では抗真菌薬(ピマリシン眼軟膏あるいはボリコナゾール点眼)を併用するのが基本である.図中のCtrophozoiteamebicidalactivityとCcysticidalactivityはそれぞれ栄養体およびシストへの抗アカントアメーバ活性を表わす.-使用可能図13術後眼内炎の発症メカニズム主として外眼部細菌叢から持ち込まれた病原体が,眼表面を通じて前房内に,さられ後房バリアの破綻を通じて硝子体内に侵入し,眼内炎を生じる.従来の後.破損に加えて,前部硝子体破裂の可能性にも注目すべきである.菌法」である.2007年,日本眼感染症学会はその有用性を検証する多施設臨床試験を実施し,レボフロキサシンC1日あるいはC3日間の点眼により術直前の結膜.からの細菌分離率が有意に低下することを明らかにした59).2021年の日本白内障屈折矯正手術学会(JSCRS)の調査によると,現在,9割近いサージャンがC3日間の術前点眼を実施しているが60),これを見直すべきとの議論もある.他方,このスタディでは,術中の眼表面に表皮ブドウ球菌(起炎菌のトップ)とアクネ菌(遅発性眼内炎の起炎菌)が再出現し,一定のレベルで前房内汚染が生じることも明らかにされたが,この課題の解決までにはもう少しの年月が必要となる.C2.EVSの位置づけ術後眼内炎に遭遇したらどうすべきであろうか?1990年代の米国で,術後眼内炎に対する治療方針を検討するための前向き多施設試験が行われたことはよく知られている.有名なCEndophthalmitisCVitrectomyCStudy(EVS)である61).結果,抗菌薬の全身投与に有意な効果がないこと,診断時に光覚弁の症例には硝子体切除術を行うべきであることが示されたが,この結論には医療経済的な側面が強く出ているとの批判もある.現在,術後眼内炎に対しては,硝子体手術を実施して病巣の郭清を図るとともに,全身投与も含めた最大限の薬物投与を行って視機能の維持改善を図ることがコンセンサスとなっている.EVSの提言を現在に当てはめることはできないが,前向きプロトコールで検証しようとした点は高く評価されるべきと考える.C3.日本眼科手術学会術後眼内炎スタディグループの活動今世紀に入り,わが国の眼科サージャンの間で術後眼内炎への取組みが盛んになるが,そのきっかけを作ったのが,日本眼科手術学会に設けられた術後眼内炎スタディグループの活動である.同グループがC2003年に行ったアンケート調査によれば,2003年のC1年間での白内障術後眼内炎の発症率はC0.052%(白内障手術総件数100,539件中C52件),およそC2,000人にC1人という結果であった62)無作為に抽出した会員C652人のC78.7%からの回答が得られた点でかなり信頼できる数字と思われる.また,同時に行った術後眼内炎症例調査ではC1年間に152例が登録され,起炎菌のトップはコアグラーゼ陰性ブドウ球菌で,MRSAや腸球菌による症例の視力予後が不良であること,後.破損が大きな危険因子(20%に発生)であることなどが示されたほか63),バンコマイシン+セフタジジムの硝子体内注射など,発症時の緊急対策を詳細に記した「初期治療プロトコール」が発表された64).その後のC2012.2013年にかけては,JSCRSおよび日本眼感染症学会の主導により,エンドポイントを眼内炎の発症に置いた,わが国初の大規模疫学調査(白内障術後眼内炎スタディ)が行われた.全国の施設からエントリーされた約C6万例における発症率はC0.025%とほぼ半減しており,予後良好な軽症例が多数を占めるようになっていることも明らかとなった65).C4.術中減菌法―ヨード点眼による眼表面再汚染の抑制先に述べた術中の眼表面再汚染に対抗する手段として,2011年,Shimadaらは術中の頻回ヨード点眼を報告した66).これは宿年の課題を解決する実に素晴らしいアイデアで,連続C400例余りでの前向き試験では,投与群に前房内汚染は認められず,非使用群との間での有意な低下が実証された.現在,術中のオプションとして30%程度のサージャンに採用されているようだが60),手術のどのステージでどの程度使用するかは術者の考え次第である.そのなかで,Matsuuraらの推奨する眼内レンズ挿入前の点眼投与は後に述べる.内汚染を防ぐ点で非常に合目的と考えられる67).振り返れば,ヨード点眼による術野(結膜.)の消毒はC1980年代中頃にCApt68)らにより提唱されたもので,それほど長い歴史があるわけではないが,2002年のCiullaのレビューでは,もっともエビデンスのある感染予防策と評価されている.まさに周術期管理における金字塔の一つといえるであろう.1404あたらしい眼科Vol.38,No.12,2021(40)5.後房バリアの破綻が危険因子―前部硝子体膜破裂(AHT)に注目眼内炎の主座である硝子体は水晶体.とCZinn小帯とで構成される「後房バリア」によって守られているが,このバリアがなんらかの原因で破綻すれば眼内炎のリスクは一気に高まる(図13).代表格である後.破損はあらゆる疫学調査における最大の危険因子だが,わが国での発生率は年々減少し,直近ではC0.48%という数字である60).さて,術後眼内炎の症例報告には,「後.破損など明らかな術中合併症は認めなかった」との記載がよくみられるが,一見ノートラブルと思えても後房バリアの破綻がない限りにおいて眼内炎は発症しない.ひとつの可能性として考えられるのが,Kawasakiらの報告した前部硝子体膜破裂(anteriorChyaloidCmembranetear:AHT)である69).これは前部硝子体膜がCWieger靭帯付近で破裂,離断する現象で,ハイドロダイセクション時の過度の高眼圧によって生じることが示されている.術者には見えない後房バリアの破綻であり,術中のC.uidCmisdirectionsyndromeの要因となっている可能性もある.C6..内洗浄の重要性―可視化実験による検証後.と挿入された眼内レンズ(intraocularlens:IOL)の裏面との間のスペースが細菌汚染の温床となる可能性については早くから指摘があり,これを裏付けるように,Suzukiらは術後眼内炎で摘出したCIOLの裏面に多数の球菌集簇像を観察している70).そのなかで,.内汚染の病態解明に向けて,スジャータ71)やミルク粒子72)などの微細粒子を用いた可視化実験が盛んとなり,レンズ挿入に伴う眼内(とくに.内)への汚染持ち込みの危険性と洗浄除去の必要性が示された.他方,Oshikaらは,1万眼を対象としたCIOL臨床試験において,術終了時の.内洗浄,とくにレンズ下洗浄の有用性を実証した73).IOLインジェクター(現在はプレロード式)の使用とともに74),レンズ下の.内洗浄は汚染制御にもはや欠かすことのできない手技といえるであろう.7.抗菌薬前房内投与(灌流)のインパクト手術終了時の前房内汚染が術後眼内炎発症の基盤的な要因であることは論を待たない.そこで,汚染を抑制する有力な手段として,術終了時における抗菌薬の眼内投与という発想が浮かぶ.EuropeanCSocietyCofCCataractCandCRefractiveSuegeons(ESCRS)は,2003年より術直後の抗菌薬前房内投与の有用性を検証する前向きの多国間多施設試験を開始した.世界的な注目を集めたESCRSスタディである75).これは,眼内炎発症をエンドポイントとする大規模な取組みで,結果としてセフロキシム(cefuroxime)の前房内投与が眼内炎の発症頻度を有意に低下させることが示された.対照群の眼内炎発症率がかなり高かった点,使用されているセフェム系は腸球菌に無効である点,キッチンファーマシーによる事故がありうる点などから,懸念を示すサージャンも依然として存在しており,全面的な普及には至っていない.わが国では,米国と同様,おもにモキシフロキサシンを用いた前房内灌流が行われているが76),現在の普及度はC35%前後である60).ただし,後.破損を生じた症例に対する感染予防策としては非常に有力なオプションであると考えられる.C8.中毒性前眼部症候群(TASS)にも注意2006年,Mamalisらは内眼手術後に生じる無菌性の眼内炎症を中毒性前眼部症候群(toxicCanteriorCseg-mentsyndrome:TASS)とよぶ一つのクリニカルエンティティとして定義することを提唱した77).発症までの期間には術後数時間から数カ月までの幅があり,角膜浮腫,フィブリン形成,前房蓄膿,硝子体混濁などの所見を呈する.原因として,手術器具,眼内灌流液,手術材料,手術用薬剤の汚染,誤用や眼軟膏,異物の混入などがあげられ,ときに集団発生する.IOLが関与した最初のクラスター事例はCMemorylensによる遅発性の無菌性眼内炎であったが78),わが国でも最近,大きなアウトブレークが二つも生じ,診療面に大きな影響を及ぼしたのは記憶に新しいところである.ここでは,筆者がその調査にかかわる機会を得たHOYAおよびCAlcon社の事例について紹介する.(41)あたらしい眼科Vol.38,No.12,2021C1405ハイドロビスコ高度の圧負荷残留前部硝子体膜破裂(AHT)図14現代白内障手術における感染リスクと対応眼表面の再汚染を抑制し,前房内汚染,.内汚染をゼロにできれば眼内炎の発症は阻止できる.ここでは,眼表面の汚染が前房内,硝子体内へと波及するプロセスを,各ステップにおける危険因子とともにリストアップし,対応策を表記した.(*BeigiB,etal.Eye12:390,1998.,**ShimizuK,etal.JCataractRefractSurg.34:1157,2008.,***MasudaYetal.CataractRefractSurg40:1327,2014より作成)眼表面に術創口を作製する白内障手術においては,とくに外眼部(眼瞼,結膜)から術野に持ち込まれる汚染を抑制し,前房内,水晶体.内,さらには硝子体内に波及することをいかにして防止するかがポイントであり,個々のサージャンの戦略立案と危機管理のセンスが大いに問われるところである.日々変化を続ける現代の極小切開創白内障手術には,図14に示すとおり,それぞれのステップに特有な感染リスクがある.エビデンスに裏付けられた予防対策の採用を通じて,術後眼内炎の発症を限りなくゼロに近づける努力が必要である.おわりに今回,眼感染症のうちで重篤な視機能低下をきたすことの多い「感染性角膜炎」と「術後眼内炎」をテーマに過去の歩みを概説した.執筆を通じ,この半世紀で数多くの疑問,課題が解決されてきたことを改めて知ることができた.病原体がますます多様化するなか,有力な治療手段である抗微生物薬の開発のスピードは決して満足すべきものではない.この点を踏まえれば,現在まで生き残っているアシクロビル,ニューキノロン,ピマリシンという三つの抗微生物薬に加えて,安定した抗微生物活性をもつシクロヘキシジンやヨード製剤などの消毒薬の特性を最大限に生かし,より実践的な治療指針を構築していくべきと考えられる.そのなかでは,抗微生物薬の宿命ともいえる「薬剤耐性」への対応,さらに,真菌性角膜炎やCAKの治療効果に深くかかわる「併用時の拮抗現象」についての十分な議論が必要であろう.他方,眼科診療は年間にC100万件を超える水晶体再建術の患者,1,500万人を超えるCCL装用者を背景に抱えている.これまでの歴史が証明してきたように,われわれを取り巻く医療環境のほんの少しの変調が,重大な社会的問題につながる恐れのあることを肝に銘じなければならない.最後に,専門学会が主導される前向き研究や多施設試験のさらなる展開に期待を寄せるとともに,眼感染症の病態解明に貢献されたすべての先人に心よりの敬意を表し,筆を置く.眼感染症との戦いの中,われわれは今,未来への回廊に立っているのである.文献1)内田幸男,北野周作,小林俊策:角膜ヘルペスの病型分類.日眼会誌76:1384-1389,C19732)ThygesonP:HistoricalCobservationConCherpeticCkeratitis.CSurvOphthalmolC21:82-90,C19763)KaufmanHE:Clinicalcureofherpessimplexkeratitisby5-iodo-2’deoxyuridine.CProcCSocCExpCBiolCMedC109:251-261,C19624)ElionCGB,CFurmanCPA,CFyfeCPCetal:SelectivityCofCactionCofCaCantiherpeticCagent,C9-(2-hydroxyethoxymethyl)guaC-nine.ProcNatlAcadSciUSA74:5716C-5720,C19775)北野周作,山西政昭,周藤昌行ほか:アシクロビル(ACV)とCIDU眼軟膏との単純ヘルペス性角膜炎に対する治療効果の二重盲検法による比較検討.眼臨医C77:1273-1280,C19836)大橋裕一:角膜ヘルペス─新しい病型分類の提案─.眼科C37:759-764,C19957)UchioCE,CHatanoCH,COhnoS:AlteringCclinicalCfeaturesCofCrecurrentCHSV-inducedCkeratitis.CAnnCOphthalmolC25:C271-276,C19938)YaoYF,InoueY,KaseTetal:Clinicalcharacteristicsofacyclovir-resistantCherpeticCkeratitisCandCexperimentalCstudiesCofCisolate.CGraefesCArchCClinCExpCOphthalmolC234(SupplC1):S126-S132,C19969)InoueCT,CKawashimaCR,CSuzukiCTCetal;Real-timeCpoly-meraseCchainCreactionCforCdiagnosingCacyclovir-resistantCherpeticCkeratitisCbasedConCchangesCinCviralCDNACcopyCnumberCbeforeCandCafterCtreatment.CArchCOphthalmolC130:1462-1464,C201210)DuanCR,CdeCVriesCRD,COsterhausCADCetal:Acyclovir-resistantCcornealCHSV-1CisolatesCfromCpatientsCwithCher-petickeratitis.JInfectDisC198:659-663,C200811)SuzukiT,OhashiY:Cornealendotheliitis.SeminOphthal-molC23:235-240,C200812)KhodadoustCAA,CAttarzadehA:PresumedCautoimmuneCcornealCendotheliopathy.CAmCJCOphthalmolC93:718-722,C198213)OhashiCY,CKinoshitaCS,CManoCTCetal:IdiopathicCcornealendotheliopathy:aCreportCofCtwoCcases.CArchCOphthalmolC103:1666-1668,C198514)OhashiCY,CYamamotoCS,CNishidaCKCetal:DemonstrationCofCherpesCsimplexCvirusCDNACinCidiopathicCcornealCendo-theliopathy.AmJOphthalmolC112:419-423,C199115)KoizumiN,YamasakiK,KawasakiSetal:Cytomegalovi-rusinaqueoushumorfromaneyewithcornealendotheli-itis.AmJOphthalmol141:564-565,C200616)SuzukiT,HaraY,UnoTetal:DNAofcytomegalovirusdetectedbyPCRinaqueousofpatientwithcornealendo-(43)あたらしい眼科Vol.38,No.12,2021C1407theliitisCfollowingCpenetratingCkeratoplasty.CCorneaC26:C370-372,C200717)ShiraishiA,HaraY,TakahashiMetal:Demonstrationof“owl’sCeye”morphologyCbyCconfocalCmicroscopyCinCaCpatientwithpresumedcytomegaloviruscornealendotheli-itis.AmJOphthalmol143:715-717,C200718)KoizumiN,SuzukiT,UnoTetal:CytomegalovirusasanetiologicCfactorCinCcornealCendotheliitis.COphthalmologyC115:292-297,C200819)小泉範子:サイトメガロウイルス角膜内皮炎の診断基準と治療指針.あたらしい眼科33:1581-1585,C201620)ZhengCX,CYamaguchiCM,CGotoCTCetal:ExperimentalCcor-nealendotheliitisinrabbit.InvestOphthalmolVisCSciC41:C377-385,C200021)三井幸彦:角膜感染症(会長指名特別講演).日眼会誌C79:C1615-1664,C197522)田中直彦:緑膿菌性角膜潰瘍.眼科12:828-834,C197023)三井幸彦:O.oxacin点眼薬(DE-055)の外眼部感染症に対する治療効果C-多施設CWellCcontrolledstudyによる検討.眼紀37:1115-1140,C198624)三井幸彦,大石正夫,大橋裕一ほか:点眼液の薬動力学的パラメーターとしてのCAQC_<max>の提案.あたらしい眼科12:783-786,C199525)外園千恵:MRSA角膜感染症.あたらしい眼科C19:991-997,C200226)YamadaCM,CYoshidaCJ,CHatouS:MutationsCinCtheCquino-loneCresistanceCdeterminingCregionCinCStaphylococcusCepi-dermidisrecoveredfromconjunctivaandtheirassociationwithCsusceptibilityCtoCvariousC.uoroquinolones.CBrCJCOph-thalmolC92:848-851,C200827)IiharaCH,CSuzukiCT,CKawamuraCYCetal:EmergingCmulti-plemutationsandhigh-level.uoroquinoloneresistanceinmethicillin-resistantCStaphylococcusCaureusCisolatedCfromCocularinfections.DiagnMicrobiolInfectDisC56:297-303,C200628)星最智:感染性角膜炎における点眼治療戦略:EmpirictherapyからCDe.nitivetherapyへ.あたらしい眼科C34:C1243-1250,C201729)北澤耕司,外園千恵:細菌性角膜炎.あたらしい眼科C35:C1599-1605,C201830)感染性角膜炎全国サーベイランス・スタディグループ:感染性角膜炎全国サーベイランス─分離菌・患者背景・治療の現況─.日眼会誌C110:961-972,C200631)日本眼感染症学会:感染性角膜炎診療ガイドライン(第C2版).日眼会誌117:469-469,C201332)石橋康久:角膜真菌症のC2病型.臨眼C51:1447-1452,C199733)三井幸彦:フザリウム感染.眼科33:1333-1339,C199134)石橋康久:本邦における最近C5年間の角膜真菌症について─C1976年からC1980年の集計─.日眼会誌C87:651-656,C198235)三井幸彦,北野周作,内田幸男ほか:ピマリシンの角膜真菌症に対する効果の検討.日眼会誌86:2213-2223,C198236)小島啓尚,井上智之,堀裕一ほか:ボリコナゾールが有効であった糸状真菌による角膜真菌症のC2例.眼臨紀C3:C965-968,C201037)朝生浩,稲田紀子,杉本哲理ほか:コンタクトレンズ装用者に発症した真菌性角膜炎のC2例.眼科C54:1207-1212,C201238)PrajnaCNV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