糖尿病の内科的治療の進歩RecentProgressintheTreatmentofDiabetes税所芳史*島田朗**はじめに現在,わが国における糖尿病患者は約1,000万人,「境界型」である耐糖能異常の患者も約1,000万人と推定されており,成人の4人に1人がなんらかの糖代謝異常を有することになる1).近年,糖尿病の病態の理解が進み,それに伴い新たな治療薬も次々と開発され,糖尿病の治療は大きく進歩した.しかし,過食による過剰なエネルギー摂取や身体活動量の低下による肥満の増加,また社会の高齢化などにより糖尿病患者の増加は続いており,未だに糖尿病網膜症は視覚障害の主要な原因となっている2).また,高齢糖尿病患者の増加は現在大きな課題となっており,高齢者特有の併存症や病態を考慮した糖尿病治療が求められている.本稿では,眼科医と内科医が協同して網膜症の発症・進展予防にかかわるために,現在の糖尿病の内科的治療について概説する.I糖尿病治療の目標糖尿病治療の目標は,血糖,血圧,脂質代謝の良好なコントロール状態と適正体重の維持,および禁煙の遵守を行うことにより,糖尿病の合併症の発症,進展を予防し,健康な人と変わらない生活の質(qualityoflife:QOL)の維持,寿命を確保することである(図1)3).糖尿病の合併症には,いわゆる三大合併症とよばれる網膜症,腎症,神経障害からなる細小血管合併症,および心筋梗塞,脳梗塞などの動脈硬化性心血管疾患があるが,近年,わが国の高齢化と糖尿病患者の寿命の延伸に伴い高齢糖尿病患者におけるサルコペニア(用語解説参照),フレイル(用語解説参照),認知症,悪性腫瘍などの併存症の増加も大きな問題となっている.糖尿病患者ではこれらの併存症の発症リスクが増加することから,糖尿病患者が健康な人と変わらない人生をめざすためには,こうした併存症の予防や管理も重要となっている.また,近年,スティグマ(stigma)(用語解説参照)という言葉が世界的に注目されている.スティグマとは「負の烙印」という意味をもち,糖尿病に関する誤った知識や情報により糖尿病患者が社会的な差別や不利益を受けることをさす.スティグマの解消も健康な人と変わらない人生をめざすうえで重要な側面であり,学会,患者団体,行政が中心となりアドボカシー(用語解説参照)活動を行っている.II血糖コントロール目標2013年,日本糖尿病学会は新たな血糖コントロール目標を発表し,合併症予防のための目標としてHbA1c7.0%未満を提唱した(図2)3).ただし治療目標は,年齢,罹病期間,臓器障害,低血糖リスク,サポート体制などを考慮して個別に設定する「個別化HbA1c目標値」が推奨されている.さらに高齢糖尿病患者の増加に伴い,2016年,日本糖尿病学会と日本老年医学会は合同で高齢者糖尿病の血糖コントロール目標を発表した(図3)3).高齢者では重*YoshifumiSaisho:慶應義塾大学医学部腎臓内分泌代謝内科**AkiraShimada:埼玉医科大学内分泌糖尿病内科〔別刷請求先〕税所芳史:〒160-8582東京都新宿区信濃町35慶應義塾大学医学部腎臓内分泌代謝内科0910-1810/21/\100/頁/JCOPY(31)269コントロール目標値注4)図2血糖コントロール目標(文献3より引用)-重症低血糖が危惧される薬剤(インスリン製剤,SU薬,グリニド薬など)の使用なし注2)7.0%未満7.0%未満8.0%未満あり注3)65歳以上75歳未満7.5%未満(下限6.5%)75歳以上8.0%未満(下限7.0%)8.0%未満(下限7.0%)8.5%未満(下限7.5%)【重要な注意事項】糖尿病治療薬の使用にあたっては,日本老年医学会編「高齢者の安全な薬物療法ガイドライン」を参照すること.薬剤使用時には多剤併用を避け,副作用の出現に十分に注意する.図3高齢者糖尿病の血糖コントロール目標(文献3より引用)NGTPDMT2DMインスリングルカゴン図4糖尿病と膵b細胞量.日本人剖検膵組織のインスリンおよびグルカゴン染色インスリン陽性面積(b細胞量)は正常耐糖能者(NGT)に比べ,耐糖能異常者(PDM),2型糖尿病患者(T2DM)と糖代謝異常の進展に伴い減少している.(文献6より引用)正常耐糖能2型糖尿病~IGT100%0%β細胞機能回復・β細胞保護図52型糖尿病の病態の新しい考え方2型糖尿病はインスリン抵抗性とインスリン分泌不全を特徴とするが,2型糖尿病におけるb細胞障害の重要性が近年明らかとなっており,2型糖尿病は図の右半分に位置すると考えられる.一方,インスリン抵抗性が主体の病態は2型糖尿病発症前の正常耐糖能肥満.耐糖能異常(impairedglucosetolerance:IGT)の状態と考えられる.したがって2型糖尿病では,障害されたb細胞機能の回復や残存するb細胞の保護が重要な治療戦略となる.(文献8より改変引用)<目標体重(kg)の目安>総死亡が最も低いCBMIは年齢によって異なり,一定の幅があることを考慮し,以下の式から算出する.65歳未満:[身長(m)]C2×2265歳からC74歳:[身長(m)]C2×22.2575歳以上:[身長(m)]C2×22.25C※C※:75歳以上の後期高齢者では現体重に基づき,フレイル,(基本的)ADL低下,併発症,体組成,身長の短縮,摂取状況や代謝状態の評価を踏まえ,適宜判断する.<身体活動レベルと病態によるエネルギー係数(kcal/kg)>①軽い労作(大部分が座位の静的活動):25.30②普通の労作(座位中心だが通勤・家事,軽い運動を含む):30.35③重い労作(力仕事,活発な運動習慣がある):35.高齢者のフレイル予防では,身体活動レベルより大きい係数を設定できる.また,肥満で減量をはかる場合には,身体活動レベルより小さい係数を設定できる.いずれにおいても目標体重と現体重との間に大きな乖離がある場合は,上記①.③を参考に柔軟に係数を設定する.<総エネルギー摂取量の目安>総エネルギー摂取量(kcal/日)=目標体重(kg)C※※×エネルギー係数(kcal/kg)C※※:原則として年齢を考慮に入れた目標体重を用いる.図61日エネルギー摂取量の算出(文献C9より引用)●有酸素運動とレジスタンス運動は,ともに血糖コントロールに有効であり,併用によりさらに効果がある.高齢者糖尿病においては,バランス能力(静止姿勢または動的動作中の姿勢を任意の状態に保つ,また不安定な姿勢から速やかに回復させる能力)を向上させるバランス運動は生活機能の維持・向上に有用である.図7運動療法の種類(文献C3より引用)ビグアナイド薬胃腸障害,乳酸ア肥満2型糖尿病者に対する肝臓での糖新生抑制低なしシドーシス,ビタ大血管症抑制効果があるミンB12低下HDL-Cを上昇させ,TGを浮腫,心不全低下させる効果がある胃腸障害,放屁,肝障害性器・尿路感染症,①心・腎の保護効果がある脱水,皮疹,②心不全の抑制効果があるケトーシスSU薬との併用で低血糖増強,胃腸障害,皮膚障害,類天疱瘡胃腸障害,注射部位反応(発赤,皮心・腎の保護効果がある疹など)肝障害注射部位反応(発赤,皮疹,浮腫,皮下結節など)図82型糖尿病の血糖降下薬の種類と特徴(文献C3より改変引用)*心不全高リスクは,BNP100pg/ml以上もしくはNT-proBNP400pg/ml以上,心筋梗塞の既往,eGFR30ml/min/1.73m2以上の慢性腎臓病など図9糖尿病における心不全予防(文献C11より引用)図1024時間持続血糖モニタリング(CGM)のレポート例(フリースタイルリブレ)上段には血糖指標の統計量や目標範囲内の時間(timeinrange:TIR)(用語解説参照)が,中段にはC1日血糖プロファイル(ambulatoryglucosepro.le:AGP)が,下段にはC1日ごとの血糖プロファイルが提示されている.(アボットジャパンより許可を得て転載)図11SAP療法(ミニメド640Gシステム)CGMで測定したグルコース値とそのトレンドがリアルタイムでインスリンポンプ本体に表示される.(メドトロニックより許可を得て転載)■用語解説■糖尿病にかかわるスティグマとアドボカシー:スティグマ(stigma)とは,特定の属性に対して刻まれる「負の烙印」という意味で,誤った知識や情報が拡散することにより,対象となった者が精神的・物理的に困難な状況に陥ることをさす.糖尿病患者ということで必要なサービスを受けられない,就職や昇進に影響するなどの不利益を被るケースも報告されており,その結果,患者が糖尿病であることを周囲に隠すことで適切な治療の機会を失い,糖尿病や合併症の重症化につながる恐れがある.現在,日本糖尿病学会と日本糖尿病協会は,糖尿病患者を取り巻くスティグマの重大な悪影響を改めて認識し,それを取り除くことで糖尿病であることを隠さずにいられる社会を作ることをめざしている.このように特定の集団や取り組みを支援する活動をアドボカシー(advoca-cy)活動という.サルコペニアとフレイル:サルコペニアは,加齢に伴う筋量と筋力の低下によって身体活動能力が減弱した状態と定義される.サルコペニアの発症には,栄養不足や身体活動低下に加え,内分泌変化や神経系の機能低下など,加齢に伴うさまざまな要因が関与すると考えられている.フレイルは「健常と要介護の中間」の状態をいい,筋力低下,活動量の低下,歩行速度の低下,易疲労,体重減少などが臨床的診断の基準となる.サルコペニアや軽度認知機能障害,うつ,社会的孤立,独居,経済的困窮など要介護に陥りやすい状態がフレイルの背景にあるが,適切な介入により健常な状態に復することが可能な状態である.サルコペニア予防を踏まえた糖尿病治療では,栄養バランスへの配慮とともに,エネルギー摂取量を制限し過ぎないことも重要である.CTimeinrange(TIR):TIRとは,血糖値(グルコース値)が目標範囲内に入っていた時間の割合である.通常,血糖値C70Cmg/dl以上C180Cmg/dl以下が目標血糖範囲とされる.また,それを下回る血糖値の時間の割合をCtimebelowrange(TBR),それを上回る血糖値の時間の割合をCtimeaboverange(TAR)とよぶ.現在,国際的なコンセンサスとして,CGMで得られる血糖コントロール指標としてCTIRを用いることが推奨され,1型,2型糖尿病患者の血糖コントロール目標としてCTIRC70%以上が推奨されている.糖尿病治療薬と眼科疾患:GLP-1受容体作動薬は血糖依存性のインスリン分泌促進および食欲抑制・胃運動抑制などを介した体重減少効果により血糖降下作用を発揮する.週C1回投与のCGLP-1受容体作動薬であるセマグルチドを用いた第CIII相臨床試験(SUSTAIN-6)において,糖尿病網膜症の発症・進展リスクが上昇したことが報告された.しかし,これはその後の追加解析にて,網膜症の悪化を認めた患者では大部分が試験開始時にすでに網膜症を有していたこと,血糖コントロールが悪かったこと,インスリン使用者が多かったこと,網膜症の悪化は投与初期に多かったことなどから,セマグルチドが直接網膜症を悪化させるのではなく,セマグルチドの強力な血糖降下作用による急激な血糖コントロールが網膜症悪化の原因だったのではないかと考えられている.SGLT2阻害薬は腎臓からの尿糖排泄促進により高血糖を改善するが,同時に浸透圧利尿が起こる.近年,糖尿病黄斑浮腫がCSGLT2阻害薬投与により改善する可能性が指摘されている.また,2019年C9月に腎性貧血の新規治療薬であるCHIF-PHD阻害薬が製造販売承認された.HIF-PHD阻害薬はプロリン水酸化酵素(PHD)を阻害し,低酸素誘導因子(HIF)を安定化することで貧血を改善する.現在透析患者および保存期慢性腎臓病に対して保険適用があるが,HIFは血管新生に関与する血管内皮増殖因子(VEGF)を誘導するため,糖尿病網膜症を増悪させる可能性が懸念されている.—