‘記事’ カテゴリーのアーカイブ

眼瞼・結膜:ドライアイの自覚症状と他覚所見の解離

2017年7月31日 月曜日

眼瞼・結膜セミナー監修/稲富勉・小幡博人28.ドライアイの自覚症状と他覚所見の解離白石敦愛媛大学大学院医学系研究科器官・形態領域眼科学涙液層破壊時間(BUT)短縮型ドライアイは,涙液の質的異常により涙液膜の安定性が低下した状態である.涙液分泌機能が正常で,角結膜上皮障害がほとんどないにもかかわらず,自覚症状が強いことが特徴である.●はじめに眼表面は常に涙液に覆われており,この安定した涙液層により眼表面の健全性や視機能が維持されている.涙液層は表層から油層,水層,ムチン層の3層で構成されているとされていたが,ムチンには膜型と分泌型があり,水層中にも分泌型ムチンが存在していることから,現在では油層と液層の2層構造をしていると認識されるようになっている.涙液層の安定には適切な水分量,油分,ムチンが必要であり,いずれか欠けても安定性が失われてしまう.この涙液層の破壊が短時間に起こり,ドライアイ症状を呈するのが涙液層破壊時間(tear.lmbreak-uptime:BUT)短縮型ドライアイである.●BUT短縮型ドライアイの診断フルオレセイン染色後,開瞼直後から角膜上にドライスポットが出現するまでの時間を測定したものがBUTであり,5秒以下が異常値である.BUT測定は,フルオレセイン染色検査とともに多くの情報を得ることので治療前きる非常に有用な検査であるが,検査にあたり,いくつかの注意点がある.①フルオレセイン染色方法であるが,最小量のフルオレセインを点入すること.点入量が多いと涙液の水分量に影響を与えてしまい,BUTが長くなる可能性がある.②フルオレセイン点入後は十分な瞬目をさせ,フルオレセインを眼表面に均一に広がらせること.フルオレセインがいきわたらない領域があると,観察が不十分となってしまう.③瞬目の強弱により涙液層の厚さに影響が出るため,できるだけ軽く自然な瞬目を心がけるよう患者に協力してもらうことが重要である.●自覚症状出現の病態BUT短縮型ドライアイで自覚症状が強い原因はまだ解明されていないが,BUT短縮の原因となる涙液の不安定性に起因することが推測される.そこで注目されるのがtransientreceptorpotential(TRP)channelsといわれる感覚受容器ファミリーであり,TRPV1,TRPV4治療後図1フルオレセイン染色によるBUT観察治療前では開瞼直後からスポット状のbreakupを認め,BUTは0秒であった.ジクアホソルナトリム点眼治療後には,開瞼直後にはbreakupは認めず,BUTは3秒に延長した.(93)あたらしい眼科Vol.34,No.7,201710090910-1810/17/\100/頁/JCOPY治療前治療後図2Ocularsurfacethermographyによる眼表面温度の変化治療前は角膜中央の温度が5秒間に0.57℃低下していた.ジクアホソルナトリム点眼治療後は角膜中央の温度低下は0.25℃に抑えられていた.は痛みや高温度に対し,TRPM8は冷感刺激に対して反応し,角膜にも存在していることがわかっている1.3).実際に,BUT短縮型ドライアイでは開瞼直後からの温度低下が正常や涙液短縮型ドライアイよりも大きいことが知られており4),この温度低下がTRPM8を刺激して痛覚を感じるのではないかと推測される.●BUT短縮型ドライアイの治療涙液の安定を誘導するような治療が有効であり,ジクアホソルナトリウム点眼やレバミピド点眼は,ムチン産生や分泌を促進することにより涙液水層のムチン濃度を高めて,涙液の安定化をはかる作用がある.図1の症例はBUT短縮型ドライアイであり,開瞼直後からスポット状のbreakupを認め,BUTは0秒であり,異物感および刺すような痛みを強く訴えており,ocularsur-facethermographyによる眼表面温度測定でも治療前には角膜表面温度が5秒間に0.57℃低下していた.ジクアホソルナトリム点眼治療後にはBUTは3秒に延長し,角膜表面の温度低下は0.25℃に抑えられ,自覚症状も軽減していた.この症例は,点眼治療により涙液膜が安定することにより,眼表面温度も安定化し,症状の緩和につながったと推測される.文献1)PanZ,YangH,MerglerSetal:Dependenceofregulato-ryvolumedecreaseontransientreceptorpotentialvanil-loid4(TRPV4)expressioninhumancornealepithelialcells.CellCalcium44:374-385,20082)ParraA,MadridR,EchevarriaDetal:OcularsurfacewetnessisregulatedbyTRPM8-dependentcoldthermo-receptorsofthecornea.NatMed16:1396-13991,20103)PorED,ChoiJH,LundBJ:Low-levelblastexposureincreasestransientreceptorpotentialvanilloid1(TRPV1)expressionintheratcornea.CurrEyeRes41:1294-1301,20164)KamaoT,YamaguchiM,KawasakiSetal:Screeningfordryeyewithnewlydevelopedocularsurfacethermogra-pher.AmJOphthalmol151:782-791,e781,2011☆☆☆1010あたらしい眼科Vol.34,No.7,2017(94)

抗VEGF治療:糖尿病黄斑浮腫に対する硝子体手術

2017年7月31日 月曜日

●連載監修=安川力髙橋寛二42.糖尿病黄斑浮腫に対する戸島慎二森實祐基岡山大学大学院医歯学総合研究科眼科学分野硝子体手術現在,糖尿病黄斑浮腫に対する治療の第一選択はVEGF阻害薬硝子体内注射であるが,治療に抵抗する症例では他の治療法を考慮する必要がある.本稿では糖尿病黄斑浮腫(DME)の治療における硝子体手術の適応基準,奏効機序と問題点,そして筆者らの施設で行っている新しい術式について概説する.はじめに現在,びまん性糖尿病黄斑浮腫(diabeticmacularedema:DME)に対する治療の第一選択は血管内皮増殖因子(vascularendothelialgrowthfactor:VEGF)阻害薬の硝子体内注射であり1),無効な場合にはステロイド局所投与が考慮される.しかし,これらの薬物治療が奏効しない場合には,硝子体手術が選択される.硝子体手術の適応基準は各治療施設によって異なると考えられるが,筆者らの施設の基準を記す.硝子体手術の適応基準基準1:上述のように,薬物療法が奏効しない症例が適応となる.筆者らの施設では,中心網膜厚(centralretinalthickness:CRT)が275μm以上のDMEを認めた場合,まずVEGF阻害薬硝子体内注射をprorenataで最大3回投与する.3回投与後もCRTが275μm以上ある場合は,ステロイドのTenon.下投与もしくは硝子体内投与を行う.ステロイド投与後もCRTが275μm以上ある場合は,患者と相談のうえ,硝子体手術を考慮する.基準2:網膜に対する明らかな牽引を認める症例が適応となる.黄斑上膜や増殖膜による硝子体黄斑牽引を伴うDMEに対して硝子体手術を行い,牽引を解除すると,浮腫および視力の有意な改善が得られる2).自験例を図1に示す.基準3:薬物治療を継続できない症例が適応となる.VEGF阻害薬投与に伴う経済的負担や全身合併症のために投与を継続できない場合は,硝子体手術を検討する.硝子体手術の奏効機序DMEに対する硝子体手術の奏効機序として,おもに三つのメカニズムがあげられる.一つ目は網膜硝子体界面における黄斑牽引の解除である.黄斑牽引を完全に解除するため,硝子体切除に加えて,内境界膜(innerlimitingmembrane:ILM).離を併施する.二つ目は眼内酸素分圧の上昇である.硝子体手術により硝子体腔が酸素分圧の高い房水に置き換わることで網膜内層への酸素供給が改善し,VEGFの産生が抑制され,黄斑浮腫が改善する3).三つ目は硝子体切除による,眼内のVEGFをはじめとした炎症性サイトカインの除去効果である3).硝子体手術の問題点DMEに対する硝子体手術の最大の問題点として,硝図1黄斑上膜を合併した糖尿病黄斑浮腫左:術前.黄斑浮腫および黄斑上膜(..)を認める.右:術後.黄斑上膜を除去すると浮腫が消失した.(91)あたらしい眼科Vol.34,No.7,201710070910-1810/17/\100/頁/JCOPY術前術後1週間術後6カ月図2眼内灌流液の網膜下注入術硝子体手術+内境界膜.離に加え,眼内灌流液を網膜下に注入した.術後1週間より浮腫の改善認め,術後6カ月まで☆☆☆維持された.子体手術によって黄斑浮腫は改善するが,視力は必ずしも改善しないという点があげられる4).この原因としては,硝子体手術に至る症例は一般に経過が長く,視細胞の不可逆的な障害が術前にすでに生じていることが考えられる.さらに,硝子体手術による黄斑浮腫の改善には半年から1年を要することから,その間にも視細胞の障害が進行してしまう可能性がある4).DMEに対する新しい術式筆者らの施設では,DMEに対する新しい術式として眼内灌流液(ビーエススプラスR,以下BSS)を網膜下に注入する方法を考案した5).本術式では通常の硝子体手術+ILM.離に加え,38ゲージカニューラを用いてBSSを網膜下に少量注入する.この術式により術後早期(1週間)よりCRTの有意な減少を認め,それは術後6カ月まで維持された(図2).また,65%の症例で3段階以上の視力改善を認めた.従来の硝子体手術と比較して非常に早期に黄斑浮腫の改善が得られたことで,術後の視細胞障害の進行が抑えられた可能性がある.今後,本術式の奏効機序や長期経過について,さらなる検討が必要である.文献1)NguyenQD,BrownDM,MarcusDMetal:Ranibizumabfordiabeticmacularedema:resultsfrom2phaseIIIran-domizedtrials:RISEandRIDE.Ophthalmology119:789-801,20122)LewisH,AbramsGW,BlumenkranzMSetal:Vitrecto-myfordiabeticmaculartractionandedemaassociatedwithposteriorhyaloidaltraction.Ophthalmology99:753-759,19923)LaidlawDAH:Vitrectomyfordiabeticmacularoedema.Eye22:1337-1341,20084)DiabeticRetinopathyClinicalResearchNetworkWritingCommittee,HallerJA,QinHetal:Vitrectomyoutcomesineyeswithdiabeticmacularedemaandvitreomaculartraction.Ophthalmology117:1087-1093,20105)MorizaneY,KimuraS,HosokawaMetal:Plannedfovealdetachmenttechniquefortheresolutionofdi.usediabeticmacularedema.JpnJOphthalmol59:279-287,20151008あたらしい眼科Vol.34,No.7,2017(92)

緑内障:緑内障診療における統計学的視点

2017年7月31日 月曜日

●連載205監修=岩田和雄山本哲也205.緑内障診療における統計学的視点山下高明鹿児島大学病院眼科緑内障診療において統計学的な視点をもてば,より正確な診断,より正確な治療,より正確な予想と患者への説明が可能となる.統計学は国語力と数学力によって裏づけられる,きわめて身近で有用な学問である.本稿では,統計学の基本的な考え方と,数値化・図表による理解・感度と特異度について解説する.●統計学とは何か統計学とは,より正確に物事を数値化し,より正確に分析し,より正確に未来予測をする学問である.この3ステップのうち最重要なのは正確に物事を数値化することである.なぜなら正確な数値化が正しい分析と未来予測を可能にするからである.眼科ではオートレフラクトケラトメータにより屈折と角膜曲率半径,視力表による視力,眼軸長測定装置により眼軸長や前房深度が数値化されてきた.緑内障分野でも眼圧計による眼圧値,静的視野検査による視野感度,光干渉断層計(opticalcoher-encetomography:OCT)により網膜神経線維層厚が数値化され,病態解明および診療に格段の進歩をもたらした.もし,眼圧が数値化されていなかったら,緑内障診療はどうなっているであろうか.眼圧の程度がわからず,眼圧下降薬が有効であるかどうかもわからず,治療はままならない.さらにいえば,眼圧が緑内障に重要であると見出すことも数値化の第一歩であり,語彙力も統計学的には重要となる.これは何を数値化するかということであり,たとえば研修医が前眼部を見ても限られた所見しか得ることはできないが,医学用語を熟知した専門医が前眼部を見れば,容易に20種類以上の所見を得ることができる.このように統計学は言葉の力と数字の力の統合であり,統計学を使いこなすことで正確な理解が可能となるのである.そのため,皆で共有できる科学的論文では,方法で「何をどのように正確に数値化をしたか」を述べて,統計学的な手法で仮説を証明するのである.近年は数値化しにくいと考えられていた社会活動や心理も数値化され,経済学・社会学・心理学も格段の進歩を遂げている.つまりあらゆるものを正確に数値化することで,人は病気だけでなく自然・世界・他人を理解することができるのである.本稿では緑内障診療における統計学的視点の一部を解説する.(89)●数値化の重要性緑内障において正確な数値化は案外むずかしい.自覚的検査である視力・視野感度は検査ごとに変動することは臨床上よく経験されるが,他覚的検査である眼圧値でさえも,検査者の熟練度や患者の緊張,涙液の状態などによって変動する.OCTによる網膜や視神経の数値化でも,検査ごとに変動があり,得られた厚みや容積の情報が正しいか人間がチェックする必要がある.たとえば撮影時に網膜面が傾いていれば,検査光が斜めに網膜を通過するために実際より厚く数値化される.OCTは網膜の層や視神経乳頭の輪郭を自動で認識するが,その認識がうまくいかないことをセグメンテーションエラーとよぶ.セグメンテーションエラーを起こすと,マップの画像や厚みが通常では考えられない乱れを生じる(図1,赤矢印).緑内障診断では,網膜前膜や黄斑浮腫などの他疾患が合併すれば,神経線維層欠損の判定は困難である.図1の右眼では青矢印に黄斑前膜があり,乱れたカラーマップとなっている.乱れたカラーマップを見た場合は,B-scan画像を確認すると原因が判明することが多い(図1,青矢印).つまり正確な数値化を行えるよう検査のノウハウと限界を熟知することが,より正しい緑内障診断,進行判定,治療判定を行うために不可欠といえる.●統計学的な見方正しい数値化ができたと仮定して,OCTによる緑内障診断を例にとって,統計学的な見方を説明する.OCTのプリントアウトでは数多くの数値化がなされており,どれを採用するか迷うかもしれない.統計学者の観点からはカラーマップ(図2,赤枠内)がもっとも有用である.なぜなら,カラーマップにはすべての測定データが含まれているからである.つまり測定した網膜,神経線維層,神経節細胞層,内網状層の厚みが色表示で一見して全領域で理解できる.このようなすべてのあたらしい眼科Vol.34,No.7,201710050910-1810/17/\100/頁/JCOPY図1黄斑マップのプリントアウト右眼は黄斑前膜()のためカラーマップに乱れを認め,緑内障の判定は不可能である.左眼はセグメンテーションエラーによるカラーマップの乱れ()を認める.適切な再測定により,赤矢印のオレンジの領域は消失した.生データをわかりやすく表示することが真の統計学的解析である.逆に図2下段のサークルスキャンでは測定円上の厚み情報となり,12分割,4分割のセクターごとの平均の厚みにいたっては,もはや何が原因で厚みが減少しているのかわからなくなる.つまり要約されてどんどん情報が少なくなっている.統計学では要約する方法,たとえば平均やp値による判定があるが,丸められているため実態が隠されてしまうことも珍しくない.実例としては,萎縮型の加齢黄斑変性で網膜が薄くなっているのを,緑内障が進行したと勘違いしてしまう可能性がある.統計学者は,統計学的有意性,すなわちp値を重視しない.そのかわり,生のデータがすべて確認できる散布図や分布図,この場合はすべての厚みの数字が色で表示されたカラーマップを重視する.カラーマップでは,緑内障に特徴的な神経線維の走行に一致した弓状の網膜神経線維層欠損(図2,左眼下方)や神経節細胞層/内網状層欠損を確認することができるため,丸められた,または,省略されたセクターごとの厚みの平均値よりも正確な緑内障診断が可能となる.●感度と特異度診断精度を示す統計用語として,「真の緑内障を正しく緑内障と診断できる割合=感度」,「真の正常を正しく正常と診断できる割合=特異度」がある.OCT検査の感度と特異度はともに約90.95%と報告されており1,2)眼科医による眼底写真の診断精度よりも高い.しかし,,この診断精度の高い,感度・特異度がともに90%のOCT検査であっても,正常なのに緑内障と誤判定される割合(偽陽性)が10%,緑内障の見逃し(偽陰性)が1006あたらしい眼科Vol.34,No.7,2017図2神経乳頭マップのプリントアウトカラーマップからに従って情報がまるめられて,厚みが減少した原因がわからなくなる.赤枠内のカラーマップが緑内障診断に有効であり,左眼の下耳側には神経線維の走行に沿った減少(網膜神経線維束欠損)を認める.10%あることを意味している.見逃しはもちろん避けたいが,もっと問題となるのは正常者を緑内障と判断してしまう誤判定である.有病率の低い(40歳以上で5%)緑内障では,OCT検査により緑内障と判定された症例のほぼ3分の2が,実際は緑内障ではなく,誤判定となる.しかも,実際の臨床現場では40歳未満の若年者も入ってくるため,さらに診断精度は低くなる.つまりOCT検査だけで緑内障を診断しようとすると大量の誤診をしてしまうことになる.このように感度と特異度を理解すれば,一つの検査で緑内障の判定であったとしても,確定診断には眼底検査や視野検査による確認が必須であることは明白となる.●おわりに今回は緑内障診断で有用な統計学的視点を解説したが,おわかりのように統計学は身の回りのすべてのことに応用できる.すなわち,何をどう数値化するのか理解してからさまざまな経験をすることで,より正確に物事を理解して対処することができ,快適な人生を送ることができる.この文章が,皆さんが統計学を勉強するきっかけになれば幸いである.文献1)MayamaC,SaitoH,HirasawaHetal:Circle-andgrid-wiseanalysesofperipapillarynerve.berlayersbyspec-traldomainopticalcoherencetomographyinearly-stageglaucoma.InvestOphthalmolVisSci54:4519-4526,20132)KimYK,YooBW,KimHCetal:Automateddetectionofhemi.elddi.erenceacrosshorizontalrapheonganglioncell–innerplexiformlayerthicknessmap.Ophthalmology122:2252-2260,2015(90)

屈折矯正手術:フェムトセカンド白内障手術の利点

2017年7月31日 月曜日

監修=木下茂●連載206大橋裕一坪田一男206.フェムトセカンド白内障手術の利点森井勇介医療法人社団新緑会森井眼科医院フェムトセカンド白内障手術(FLACS)の利点はさまざまあるが,主要なものに,超音波時間および出力の短縮,正確な前.切開,自在な角膜切開の3点があげられる.それにより手術難易度を下げ,術後視力の向上,術後合併症の低減が期待できる.ただ,今後,さらなる手術手技の向上が求められる.●はじめにわが国は総人口に対する65歳以上の高齢者人口が占める割合(高齢化率)が年々増加し,世界に先駆けて超高齢社会(2016年現在,内閣府の報告で高齢化率26.7%)に突入した.それに付随して白内障手術件数は年々増加し,今後もさらなる増加が見込まれている.一方,現状の超音波水晶体乳化吸引術は,安全性も確立され素晴らしい手術成績を収めているが,患者の期待はもはや単なる視力の改善ではなく,生活の質(QOL)に関連した視力の向上へと変化しつつある.近年,次世代の白内障手術として,フェムトセカンドレーザーを用いた白内障手術(femtosecondlaser-assistedcataractsurgery:FLACS)が登場し注目されている.本稿では当院での使用経験を基に,FLACSの利点について解説する.●フェムトセカンドレーザーについてフェムトセカンドとは1000兆分の1秒のことで,光でも0.3μmしか進めない非常に短い時間である.フェムトセカンドにまで短縮したレーザーの強度は非常に強く,工業用の微細加工などで用いられていた.このレーザーを使用することにより,ミクロン単位の精度の手術が可能となる.眼科領域では,角膜移植やLASIKのフラップ作製など角膜手術で従来から使用されていたが,技術の進歩により,前.や水晶体への照射が可能になり,白内障手術にも用いられるようになった.2017年1月現在,厚生労働省の認可を受けているレーザー白内障手術装置はLenSx(Alcon)とCatalys(Abbot)の2機種があるが,当院ではLenSxを使用しているため,LenSxでの使用経験に基づいて,利点を解説する.●利点その1:超音波時間および出力の短縮FLACSの最大の利点は,手動による水晶体超音波乳化吸引術よりも核乳化に要する超音波出力を少なくできる点にある.(87)当院ではグリッド照射とよばれる賽の目状の分割を行っているが,フェムトセカンドレーザーによって事前に核処理を行うことによって水晶体核硬度を低下させ,より超音波時間の少ない手術が可能となる.それによって,角膜内皮細胞減少が低減し,術後早期の角膜浮腫などによる視力低下のリスクが低下する可能性がある1).また,Zinn小帯脆弱例など,難症例の白内障手術においても,事前のフェムトセカンドレーザー照射によって水晶体乳化吸引の際,より少ない超音波時間で手術が施行できるため,付随組織損傷の低減が期待できる2).いずれにせよ,難症例であろうがなかろうが,かつての手作業での手術に比べ,事前に手術難易度を下げることができるという意味で,大きなメリットがあると考える.●利点その2:正確な前.切開超音波時間短縮に負けず劣らずのメリットが,正確で再現性の高い正円の前.切開が可能となる点である.前.切開によって作製された切開縁は,安全に超音波乳化吸引術を施行する際の作業スペースになるだけではなく,術後は眼内レンズ(intraocularlens:IOL)を固定するための.の開口部となる.術後の後.混濁やIOL偏心を防ぐためには,IOLの辺縁全周を均等にカバーすることが重要とされている.通常の手作業での前.切開の場合,当院ではサージカルガイダンスシステムであるVERION(Alcon)を使用して,顕微鏡下に理想の前.切開位置を投影しながら鑷子を用いて前.切開を行っているが,眼の挙動や,水晶体の形状,粘弾性物質の分布,鑷子を持つ手の角度などによって,指示された切開位置通りに切開を行うことが非常に困難な状況も多々存在する.また,成熟白内障,Zinn小帯脆弱例など,手動での前.切開自体が困難な症例も存在する.FLACS機器を用いれば,瞳孔縁を基に切開中心を自動的に修正したり,術前の検査結果を基に視軸を予測し,視軸中心で正円の前.切開をすることが可能となり,自分の意図する位置に正円の前.切開を作製することができる.あたらしい眼科Vol.34,No.7,201710030910-1810/17/\100/頁/JCOPY表1FLACSAKのノモグラム.0.5~.1.2540.1.50~.1.7550.2.00~.2.7560強主経線上をOpticalzone7mmの位置で対称性の弧状切開を行う.切開深度は,角膜上皮から60μmの深さから,角膜厚の80%の深さまで.切開弧の長さはノモグラムに従う.(文献4より転載)正しい位置に正しい大きさの前.切開を施行することによって,とくに多焦点IOLに代表されるプレミアムIOLのパフォーマンスを最大化することが期待でき,また,手動で前.切開を行った症例群との比較で,術後のNd:YAGレーザーによる後.切開の頻度が減ったという報告3)もあり,術後視力の予測性の向上,術後合併症の低減という観点から,大きなメリットが得られると考える.●利点その3:自在な角膜切開フェムトセカンドレーザーによる角膜切開は,laserinsitukeratomileusis(LASIK)における角膜フラップ作製が2010年6月より国内承認され,現在ではLASIKにおけるフラップ作製のスタンダードになっているように,従来から存在していた.FLACSにおいても,前眼部光干渉断層計(opticalcoherencetomography:OCT)を用いて,メイン切開創およびサイドポートの切開位置や深度,デザインを自由に設定可能であり,意図した位置に,再現性の高い確実な切開創の作製が可能である.ただ,LASIKのフラップ作製は,おもに若年者の角膜中央部を切開するのに対し,FLACSにおいてはおもに高齢者の角膜周辺部に切開創を作製するため,老人環などの影響で,意図した位置に切開をすることができない症例も存在する.また,意図した位置に自在な深さの切開が可能なので,強主経線方向の角膜を切開することによって角膜減張切開術(astigmatickeratotomy:AK)が容易に施行可能である.すでにFLACSにおけるAKのノモグラムも報告されている4)(表1).当院でも,角膜乱視が1.5D~2.0D未満の患者が多焦点IOL挿入を希望された場合,ノモグラムを参考にして積極的にAK併用FLACSを行っている(図1).まだ症例数が少ないため,ノモグラムの正確性を検証するまではできないが,現時点では十分に角膜乱視が減少し,良好な術後視力を得ている.●おわりに従来の手動による白内障手術は,「より効率よく,よ1004あたらしい眼科Vol.34,No.7,2017図1角膜減張切開術(AK)併用FLACSをプランしている画像術前角膜乱視が強主経線83°で1.75Dあった症例だが,AKを併用してnontoricの多焦点眼内レンズを挿入し,術後,角膜乱視0.75に減じ,遠見裸眼視力1.5,近見裸眼視力1.0と良好な術後視力を得た.り安全に,より侵襲を少なく」という方向で進歩してきたが,FLACSの登場によって,それらに加えて「より正確に」,すなわち,それぞれの患者にとって一番良好な視機能が得られると予想される切開位置,切開方向を事前にプランし,正確に手術を行うことによって,患者のQOLの向上をめざすという方向に進歩したといえる.FLACSの利点を述べてきたが,まだまだ歴史が浅いため,洗練されきっていない発展途上の術式であるともいえる.海外からの報告5)同様,自験例でも前.切開不完全例が数%存在し,残存皮質吸引時など,従来の手動による水晶体超音波乳化吸引術ではまったくストレスを感じなかった状況において,FLACSではストレスを感じることもある.利点を十二分に生かすためにも,今後,さらなる手術手技の洗練が求められる.文献1)BourneWM:Biologyofthecornealendotheliuminhealthanddisease.Eye17:912-918,20032)NagyZ,TakacsA,FilkornTetal:Initialclinicalevalua-tionofanintraocularfemtosecondlaserincataractsur-gery.JRefractSurg25:1053-1060,20093)TranDB,VargasV:Nd:Yagcapsulotomyrates:Fem-tosecondlaser-assistedcataractsurgeryvsmanualphaco.AmericanAcademyofOphthalmology,poster-November20154)VenterJ,BlumenfeldR,SchallhornSCetal:Non-pene-tratingfemtosecondlaserintrastromalastigmatickeratot-omyinpatientswithmixedastigmatismafterpreviousrefractivesurgery.JRefractSurg29:180-186,20135)AbellRG,Darian-SmithE,KanJBetal:Femtosecondlaser-assistedcataractsurgeryversusstandardphacoe-mulsi.cationcataractsurgery:Outcomesandsafetyinmorethan4000casesatasinglecenter.JCataractRefractSurg41:47-52,2015(88)

眼内レンズ:白内障術後の角膜裏面沈着物と温流

2017年7月31日 月曜日

眼内レンズセミナー監修/大鹿哲郎・佐々木洋鈴木久晴368.白内障術後の角膜裏面沈着物と温流日本医科大学武蔵小杉病院高橋浩日本医科大学眼科学教室白内障手術翌日の角膜裏面に,白色のさまざまな形をした沈着物が出現することがある.この沈着物は1週間後にはほぼ吸収される.しかし,なかには角膜浮腫を伴って明らかに角膜内皮障害を起こしている症例もある.筆者らは,この現象について,豚眼を用いてその発生機序と原因を実験的に検証した.●白内障術後の角膜裏面沈着物白内障手術後早期に,角膜裏面に図1のような沈着物をみることがある.この不思議なリングや線状の形をした沈着物はどこから発生し,何を意味するのであろうか.現在までこのような所見に関する報告はない.これらの術後にみられる沈着物は,さまざまな形で現れる.図1aに示すように円状であったり,切開層の付近(図1b)や角膜浮腫を伴ったドーナツ状(図1c)になるものもあり,角膜内皮細胞障害を示唆する所見を呈することもある.これらの痕跡は,前房内の水の流れが関係していると推察される.また,切開創からの水の漏出痕とも考えられよう.しかし,それだけでは説明できない形も出現する.今回筆者らは,この現象を,広い海に浮かぶさまざまな形をした島のように見えることからkeraticprecip-itateslikeislands(KPLI)と名づけた.KPLIは円状やドーナツ状に見える所見も多いことから,術中に生ずる気泡が何かしらかかわっていると推察できる.過去の報告では,術中に生じる気泡は角膜内皮障害を生じる可能性があることがわかっている1).しかし,術中に明らかに粘弾性物質で角膜内皮細胞を保護できていたと思われる症例でさえ,このような所見をみることがある.そこで,豚眼を用いて実験的にこの現象の発生機序の再現を試みた.●豚眼を用いた温流の再現豚目を半切し,セラミックヒーターの上に設置したシャーレに貼りつけ,下から温めることによって強膜側を約36℃,角膜表面を約31℃に設定し,温度差を生じさせた(図2).その後,前房内に蛍光色素を注入し,前房の水の流れを細隙灯顕微鏡にて観察した.すると,図(85)0910-1810/17/\100/頁/JCOPY図1Keraticprecipitateslikeislands(KPLI)術後1日目の角膜内皮面に白色物質の沈着を認める.a:円状,b:線状,c:ドーナツ状.3aに示すように,色素は水晶体前面に認められる上昇水流に乗って上にのぼり,頂点に達した後,角膜裏面に沿って下方に流れていることが観察された.この所見は,通常の診療でもみられる温流という角膜表面と眼内の温度差による前房水の流れであり,実験的に再現可能であることが実証された.水の流れは温度が高いほうから低いほうに流れる.よって,水晶体から角膜のほうへ水の流れが生じると考えられるが,通常の診療における患者の体位は座位であるため,角膜に向かった水は重力の関係で下に流れていき,水晶体側の水は上方へ上がっていく,いわゆる温流ができるといわれている.しかし,術後の患者は仰向けで安静にしている状態のため,温流の流れは変わるはずである.そこで,角膜を上方に向けた状態で観察してみると,蛍光色素は角膜内皮面に向かって流れていくことがわかった(図3b).この実験により温流は体位によって変わる可能性があることが示唆された.あたらしい眼科Vol.34,No.7,20171001図2セラミックヒーターで温めた豚眼と温度計測強膜側を温め,温度差を生じさせた.a:角膜表面温度(31℃),b:強膜表面温度(36℃).図4仰臥位時における温流の方向水晶体脳.の方向から角膜裏面に向かって房水が流れていると考えられる.●KPLIの発生機序の推察上記の実験により,体位によって温流が変わる可能性がわかった.では,この温流がどのようにKPLIの発生にかかわっているかを推察してみる.KPLIにはリング状の形をしたものが多い.この形状から気泡が関連して図3色素による温流再現モデル色素の動きにより温流の再現を確認できた.矢印の方向に色素の動きを確認できた.a:座位時,b:仰臥位時.いると推察される.術中虹彩裏面などにトラップされていた気泡が,術後仰臥位によって角膜内皮側の頂点に移動する可能性は大いにある.実験では,図3bに示すように前房内の空気が角膜裏面に接している場合,蛍光色素が空気の周りに集まっていく状態が観察された.このことからリング状のKPLIは,前房内に残った気泡が関連していることが示唆された.次に沈着物質であるが,実際に付着しているものを採取することは非常に困難であるため推察となってしまうが,術後の水晶体.内には取りきれなかった水晶体上皮細胞などが多く残存しており,この細胞がやはり温流に乗って角膜内皮に貼りつけられた可能性が示唆される(図4).文献1)KimEK,CristolSM,KangSJetal:Endothelialprotec-tion:Avoidingairbubbleformationatthephacoemulsi.-cationtip.JCataractRefractSurg28:531-537,2002

コンタクトレンズ:カラーコンタクトレンズの合併症

2017年7月31日 月曜日

提供コンタクトレンズセミナーコンタクトレンズ処方つぎの一歩~症例からみるCL処方~監修/下村嘉一33.カラーコンタクトレンズの合併症糸井素純道玄坂糸井眼科医院●はじめにカラーコンタクトレンズ(カラーCL)はインターネット,大型雑貨店,薬局などで医師の処方を受けず購入している人が非常に多い.そのため,カラーCL装用者数の実態をつかむことは困難であるが,カラーCL販売枚数は年々着実に増加しており,カラーCL装用者数も増加しているものと考えられる.カラーCL装用による眼障害を診察する機会も急増している.日本で流通しているカラーCLは,すべてソフトコンタクトレンズ(SCL)であり,SCLに発症する合併症はカラーCLですべて発症するが,本稿ではカラーCLに多い,あるいは特有な合併症について解説する.●酸素不足一部を除き,多くのカラーCLは医師の処方を受けず購入されている.そのため,レンズの素材の酸素透過性を考慮しないで,カラーのデザインや価格だけで選択している人が多い.通常,流通している透明なSCLは,そのほとんどが酸素透過性の高い高含水性HEMA(ヒドロキシエチルメタクリレート)か中含水性HEMA,あるいはシリコーンハイドロゲル素材であるが,眼障害を招いているカラーCLの多くは低含水性HEMA素材である1).とくに若い女性たちが好む虹彩の色を変えるタイプは,低含水性HEMA素材のものしか流通していない.低含水性HEMA素材のカラーCL装用による酸素不足が原因で生じる眼障害は,透明なSCLよりも顕著で,比較的短期間の装用で発症することが多い.この理由については今後の研究が待たれる.酸素不足による眼障害は,短時間の装用で生じる急性症状と,長期間の装用で生じる慢性症状がある.低含水性HEMA素材のカラーCL装用による急性の酸素不足症状としては角膜浮腫,角膜上皮障害,輪部充血,慢性の酸素不足症状としては角膜血管新生,角膜内皮細胞障害(図1),角膜上皮障害,角膜の菲薄化,角膜変形などがあげられる.図1約1年間の1日使い捨てカラーコンタクトレンズ装用者にみられた角膜内皮細胞障害(右)と正常角膜(左)●色素による機械的障害多くのカラーCLはサンドイッチ構造をうたっているが,実際の色素の分布を断面で確認すると,色素はレンズの表層近くに分布し,角膜側,あるいは眼瞼側に偏在している2).低含水性HEMA素材のカラーCLを実体顕微鏡で確認すると,色素が多層にプリントされ,最表面は薄い透明な膜で覆われていることが確認できる.低含水性カラーCL装用による眼障害例でレンズ表面を確認すると,色素の一部が透明な膜で完全には被われていないことがある.色素の露出は角膜上皮障害を招く.たとえ色素の露出がなくても,低含水性HEMA素材のカラーCLは被われる透明な膜が薄いために,レンズ表面には凹凸がある3).このレンズ表面の凹凸により,摩擦係数が高くなる.凹凸が顕著な場合,角膜側であれば角膜上皮障害,眼瞼側であれば乳頭結膜炎の原因となる.色素の露出による角膜上皮障害は局所的であるが,顕著な凹凸による角膜上皮障害は角膜の広い範囲に及ぶ(図2).●タイト症状(タイトフィッティング)低含水性HEMA素材のカラーCLは,中~高含水性(83)あたらしい眼科Vol.34,No.7,20179990910-1810/17/\100/頁/JCOPY図21カ月交換カラーコンタクトレンズ装用者にみられた角膜上皮障害色素による角膜側のレンズ表面の凹凸が原因と考えられた.素材のレンズよりも硬く,透明なSCLよりも黒目拡大効果のためにレンズ径が大きいものが多い.眼の表面でずれると見た目に大きく影響するために,ずれないようにベースカーブも通常の透明なSCLよりもスティープなものが多い.そのためタイトフィッティングによる眼障害を招きやすい.タイトフィッティングにより角膜上皮障害,結膜ステイニング(図3),輪部充血,角膜変形などの眼障害を生じる.角膜変形はSCL矯正視力の低下にもつながる.●正しいレンズケア方法を知らない多くのカラーCLは,医師の処方を受けないでインターネット,大型雑貨店,薬局で購入されている.そのためほとんどのカラーCL装用者は正しいレンズケア方法を知らない.自己流でレンズケアを行っている.もっとも問題となるのが,複数のカラーCLを交代で使用し図31カ月交換カラーコンタクトレンズ装用者にみられた結膜ステイニングタイト症状が原因と考えられた.ているカラーCL装用者である.長期にレンズケース内に保存したカラーCLを,レンズケアをせずに,そのまま取り出し,直接,装着し,角膜感染症になるケースが後を絶たない.このような状況では,重篤な角膜感染症が高率に発症し,将来もさらに増加していくのではないかと懸念される.文献1)HoldenBA,MertzGW:Criticaloxygenleveltoavoidcornealedemafordailyandextendedwearcontactlenses.InvestOphthalmolVisSci25:1161-1117,19842)独立行政法人国民生活センター:カラーコンタクトレンズの安全性─カラコンの使用で眼に障害も─.平成26年5月22日.http://www.kokusen.go.jp/news/data/n-20140522_1.html3)LorenzKO,KakkasseryJ,BoreeDetal:Atomicforcemicroscopyandscanningelectronmicroscopyanalysisofdailylimbalringcontactlenses.ClinExpOptom97:411-417,2014ZS983

写真:偽眼類天疱瘡

2017年7月31日 月曜日

写真セミナー監修/島﨑潤横井則彦398.偽眼類天疱瘡加藤久美子三重大学大学院医学系研究科神経感覚医学講座眼科学図1初診時の前眼部写真重度の結膜充血があり,輪部の角膜上皮幹細胞が疲弊したため,周囲の結膜が角膜内に侵入していた.眼瞼縁の腫脹と瞼縁周囲の強い充血が認められた.図3図1のフルオレセイン染色角結膜の上皮欠損が認められた.図4シクロスポリン全身投与後2カ月の前眼部写真結膜充血,眼瞼縁の腫脹は軽快したが,瘢痕性変化は残存していた.(81)あたらしい眼科Vol.34,No.7,20179970910-1810/17/\100/頁/JCOPY偽眼類天疱瘡(pseudoocularcicatricialpemphi-goid)は,眼類天疱瘡に類似する瘢痕性角結膜症を呈する疾患の総称であり,1974年にKristensenらが初めて報告した1).偽眼類天疱瘡は,点眼薬の使用に関連するものと,幼少時のトラコーマ感染など,それ以外のものに大別される.点眼薬では,抗緑内障点眼液やアシクロビル眼軟膏など,上皮細胞への毒性を有する薬剤が原因となることが多い.細隙灯顕微鏡では,結膜.の短縮と結膜下組織の増生が認められる.角膜輪部機能不全になると遷延性の角膜上皮欠損が生じ,周囲の結膜が角膜内に侵入する.眼瞼縁を観察すると,マイボーム腺機能不全を思わせる眼瞼縁の腫脹と,マイボーム腺開口部周囲の血管拡張が観察される.重症例では眼表面が角化する.トラコーマによるものでは,上眼瞼結膜の瘢痕形成やパンヌスを認めることがある2).診断は細隙灯顕微鏡所見と既往歴,点眼薬の長期使用の有無により行う.眼類天疱瘡は両眼性であるが,偽眼類天疱瘡については,原因となった点眼液を片眼のみに使用していた場合には片眼性となる3).結膜生検を行うと,結膜杯細胞の減少,結膜の角化と線維化,さまざまな炎症細胞の侵入が認められる4).薬剤性偽眼類天疱瘡の治療は,まず疑わしい点眼薬を中止し,防腐剤を含まない人工涙液の頻回点眼でwashoutを行う.およそ1~2カ月で病変の進行は停止するが,それでも強い充血が継続する重症例では,消炎のためにステロイドの局所投与,またはステロイドあるいは免疫抑制薬の全身投与が必要となる3).消炎されても,瘢痕性変化は不可逆的であるため,必要に応じて羊膜移植や輪部移植,培養輪部上皮移植,培養口腔粘膜上皮移植などを行う5,6).筆者は,市販薬点眼液を長期間,頻回に使用したことが原因となり発症した偽眼類天疱瘡を経験した.原因となった点眼薬を中止しても強い充血が遷延したため,シクロスポリンの全身投与を行った.約2カ月で角結膜病変は軽快したが,瘢痕性変化が残存したため,今後外科的治療を予定している.文献1)AndersN,WollensakJ:Ocularpseudopemphigoidaftertopicaldrugadministration.KlinMonblAugenheilkd205:61-64,19942)島崎潤:偽眼類天疱瘡.眼科プラクティス18前眼部アトラス(大鹿哲郎編),p61,文光堂,20073)上田真由美:点眼薬関連アレルギー:偽眼類天疱瘡.日本の眼科87:863-866,20164)PattenJT,CavanaghHD,AllansmithMR:Inducedocularpseudopemphigoid.AmJOphthalmol82:272-276,19765)KoizumiN,InatomiT,SuzukiTetal:Cultivatedcornealepithelialstemcelltransplantationinocularsurfacedisor-ders.Ophthalmology108:1569-1574,20016)稲富勉:薬剤毒性結膜炎(偽類天疱瘡を含む).専門医のための眼科診療クオリファイ2結膜炎オールラウンド(大橋裕一編),p149-152,中山書店,2010

時の人 篠田 啓 先生

2017年7月31日 月曜日

埼玉医科大学医学部眼科学教授しのだけい篠田啓先生昨年(2016年)8月,埼玉医科大学医学部眼科の第4代教授に篠田啓先生が就任した.先生は昭和39年生まれの52歳.高校までは故郷の岐阜県で過ごし,大学は慶應義塾大学医学部に進学した.大学卒業後は同大眼科に入局し,小口芳久教授(当時)の下で眼科医としての研修を積んだ.小口教授のご専門は電気生理学で,その薫陶を受けた篠田先生も,電気生理学に基づいた「網膜硝子体の機能と形態両側面からの評価」を自身の研究テーマに選び,今日に至っている.網膜硝子体疾患の治療に実績のある埼玉医科大学の教授に就任したことで,先生の専門と手腕がいかんなく発揮される条件が整った.*埼玉医科大学は1892年(明治25年)に精神科の毛呂病院として出発した.戦後は埼玉県西部の医療を担う総合病院として発展し,1972年(昭和47年)に大学が開設された.眼科学教室は野寄喜美春初代教授,米谷新教授,板谷正紀教授の3代にわたって,眼底レーザー,眼底イメージング,網膜疾患遺伝子解明などの眼底疾患分野に大きな業績を築いてきた.眼科の教室員は現在,研修医5名を含む18名.非常勤の16名と合わせて34人で年間約2,500件の手術をこなしている.硝子体手術は15年連続700件超,緑内障は約200件と多く,近年は角膜手術にも力を入れている.これらの診療を実践する場として,2009年に「アイセンター」が組織された.アイセンターには眼科専用の手術室があり,毎日手術を行うことができる.病棟の看護体制とアイセンターの手術室との連係により,年間の入院手術件数は2,000件に及ぶ.*篠田先生に話を戻そう.岐阜時代の篠田先生は,サッカーに夢中な元気いっぱいの少年だったそうだ.両親はともに小学校の先生で非常に忙しく,代わりに先生の世話を焼いてくれたのは母方の祖母.だから,先生は自らを「おばあちゃん子」だと言っている.さて,医学部を卒業して眼科医になることを選んだ篠田先生には,前述の小口教授のほかにも,師と仰ぐ人が3人いる.そのうちの1人は,修業時代に杏林大学病院で教えを受けた樋田哲夫先生である.樋田先生の下では網膜硝子体疾患のマネージメントを勉強した.その後,いったん慶應義塾大学に戻った篠田先生は,今度はドイツのチュービンゲン大学に留学し,そこで遺伝性網膜疾患および視覚生理学の権威であるEberhartZrenner教授に師事する.篠田先生はZrenner教授の主宰する「人工網膜開発プロジェクト」に参加して,3年間研究に没頭した.2004年に帰国して母校の医局長を務めたあと,2005年に国立病院機構東京医療センターに眼科医長として赴任.ここでは,当時センター所長であった網膜機能研究の権威,三宅養三先生(現・愛知医科大学理事長)に親しく教えを受けた.*このように,篠田先生は常に専門を深く掘り下げる努力を惜しまず,世界レベルの眼科医とともに網膜硝子体疾患の研究に励み,それを臨床に反映してきた.これまでを振り返って篠田先生は「小口先生,三宅先生,樋田先生,Zrenner先生という巨人に薫陶を受けることができ,私は大変な幸せ者です」と謙虚に語る.今後は,自身が指導者として,「埼玉医科大学の眼科チームの一人一人が,個性・興味・得意分野に応じたやりがいのある目標設定をして,それに取り組むことのできる環境つくり」をめざす.篠田先生は,家庭では「映画や読書など,たくさんの作品を妻,子どもたちとともに楽しんでいます」という言葉からわかるように,家族との時間を大切にする良き夫,良き父である.(79)あたらしい眼科Vol.34,No.7,20179950910-1810/17/\100/頁/JCOPY

ゲノム情報と国内・国際ネットワーク

2017年7月31日 月曜日

ゲノム情報と国内・国際ネットワークIntra/InternationalNetworktoShareGenomeInformation藤波芳*はじめに21世紀における情報革命の恩恵を受けて,医療におけるエビデンスの概念に変化がもたらされている.かつて,診察室内で医療者と患者間のみの経験に基づいて行われていた医療が,エビデンスというビッグデータに基づいた医療へ進展した(evidencebasedmedicine).さらに,近未来にはすべての医療機関においてコアデータサーバへのアクセスが開通し,診察室での情報がエビデンスとしてリアルタイムに更新され,そこで参照されるビックデータがそのまま個人の医療に活用される時代(nestgenerationevidencebasedmedicine)へ変容することが確実視されている(図1).また,医療を取り巻く科学技術の進歩は目覚ましく,2010年代より爆発的に普及したnextgenerationsequ-encing(NGS)methodにより遺伝情報を含めた100万規模の研究コホートの構築が可能となり,precisionmedicineinitiative(遺伝子,環境,ライフスタイルに関する個人ごとの違いを考慮した予防や治療法を確立する医療;https://obamawhitehouse.archives.gov/node/333101)の実践が現実のものなっている.これらの正常群,疾患群での臨床・遺伝情報の統合・共有化はあらゆる医学・生物学領域に及んでおり,眼遺伝学領域に与える影響も絶大である1).臨床・遺伝情報の統合・共有化の恩恵を最大に受けている分野の一つが,遺伝性希少網膜疾患分野である.遺伝性希少網膜疾患は臨床像が多様で,電気生理学的検査図1Nextgenerationevidencebasedmedicine近未来において,すべての医療機関においてコアデータサーバへのアクセスが開通すると,診察室での情報をエビデンスとしてリアルタイムに収集することが可能となる.すなわち,患者の主訴,検査所見などがリアルタイムにデータベースに取り込まれエビデンスを構築するビックデータの一部となる.それと同時にビークデータより提供された治療指針や疾患に関するすべての情報が個人の医療に活かされ,真の意味での個別化医療が実践される.を含む包括的臨床検査が診断に不可欠であり,診断に苦慮することも少なくない(図2,3)2~6).加えて原因遺伝子の変異が多彩なため,遺伝子診断が容易でなく,治療については実現困難であるとされてきた.しかしながら,近年の変革のなかで,遺伝性希少網膜疾患においても,数百症例単位の国際コホートが設立され,病態理解が急速に進み,欧米では治療についての臨床治験が各所で進行中である.*KaoruFujinami:東京医療センター・臨床研究センター視覚研究部・視覚生理学研究室,慶應義塾大学医学部眼科学教室網膜細胞生物学グループ,Genetics,UCLInstituteofOphthalmology,UK〔別刷請求先〕藤波芳:〒152-8902東京都目黒区東が丘2-5-1東京医療センター・臨床研究センター視覚研究部・視覚生理学研究室0910-1810/17/\100/頁/JCOPY(71)987図2多彩な表現型を示す遺伝性網膜疾患ABCA4遺伝子異常に起因する遺伝性網膜疾患患者の眼底自発蛍光所見.原因遺伝子が共通であったとしても,きわめて多彩な表現型が認められ,診断に苦慮することも少なくない.図3遺伝性網膜疾患の電気生理学的所見ABCA4遺伝子異常に起因する遺伝性網膜疾患患者の電気生理学的所見.遺伝性網膜疾患において電気生理学的検査は必要不可欠であり,診断,機能評価,予後予測にきわめて有用である.遺伝性希少網膜疾患日本欧米・Step1:コホート作成(自然経過観察)・Step2:網羅的遺伝子診断・Step3:遺伝子型表現型相関確立・Step4:治療考案・導入・Step5:治療効果判定(経過観察)図4遺伝性希少疾患へのアプローチ難治性である遺伝性希少疾患へのアプローチはコホート作成(自然経過観察),網羅的遺伝子診断,遺伝子型表現型相関確立,治療考案・導入,治療効果判定(経過観察)の5段階と考えるのが一般的である.第一段階であるコホート作成が大規模に行われるほど,治療導入以降の段階の症例が多くなるため,画一的診断に基づく大規模コホートの作成が治療への近道となる.図5JapanEyeGeneticsConsortium(JEGC)における協力体制国内協力施設で画一化された臨床検査が施行され,完全匿名化された臨床情報がオンラインデータバンクを通して,各疾患の担当者に送られる.それぞれの疾患担当者と主治医の協議のもと,最終的な臨床診断が行われる.インフォームド・コンセントが得られた後,患者末梢血もしくは唾液が採取され,東京医療センター・臨床研究センターへ送付される.東京医療センター・臨床研究センターでDNAが抽出され,次世代シークエンスの結果を元に,遺伝学的確定診断が行われる.また,上記診断フローと並行して新規遺伝子については機能解析を通して,病態解明へのアプローチが実践される.さらに,国内外の複数の施設との協力のもと,最終目的である遺伝性網膜疾患の治療導入が強力に推進される.さらに,得られたデータリソースは,オミクス研究事業などに活用される.図6JEGCにおける基幹施設JapanEyeGeneticsConsortium(JEGC)では2017年現在26の国内基幹施設を有しており(図中★),オールジャパンで遺伝性網膜・視神経疾患への協力体制が構築されている.(日本医療研究開発機構委託研究事業拠点班:遺伝性網脈絡膜疾患の生体試料の収集・管理・提供と病態解明:http://www.eye.go.jp/)表1JEGC関連施設ならびに施設代表者岩田岳独立行政法人国立病院機構東京医療センター臨床研究センター分子細胞生物学研究部角田和繁独立行政法人国立病院機構東京医療センター視覚研究部藤波芳独立行政法人国立病院機構東京医療センター視覚研究部三宅養三愛知医科大学堀口正之藤田保健衛生大学医学部眼科学教室山本修一千葉大学大学院医学研究院眼科学寺崎浩子名古屋大学大学院医学系研究科眼科学・感覚器障害制御学教室久世真奈美JA三重厚生連松阪中央総合病院眼科溝田淳帝京大学医学部眼科学講座直井信久宮崎大学医学部感覚運動医学講座眼科学分野町田繁樹獨協医科大学越谷病院島田佳明藤田保健衛生大学坂文種報徳會病院中村誠神戸大学医学部眼科学教室不二門尚大阪大学大学院医学系研究科感覚機能形成学教室堀田喜裕浜松医科大学医学部眼科学講座近藤峰生三重大学大学院医学系研究科臨床医学系講座眼科学國吉一樹近畿大学医学部眼科学教室篠田啓埼玉医科大学医学部眼科学教室林孝彰東京慈恵会医科大学医学部眼科学講座福地健郎新潟大学医学部眼科学教室坪田一男慶應義塾大学医学部眼科学教室望月清文岐阜大学医学部眼科学教室亀谷修平日本医科大学千葉北総病院近藤寛之産業医科大学眼科学教室石田晋北海道大学大学院研究科眼科学分野村上晶順天堂大学大学院医学研究科眼科学講座高橋政代理化学研究所多細胞システム形成研究センター網膜再生医療研究開発プロジェクト三宅養三出田眼科病院中澤満弘前大学大学院医学研究科眼科学講座NISO-NEl/NIH-UCLtrilateralresearchagreement図7遺伝性希少網膜疾患を対象とした国際協力体制遺伝性希少網膜疾患の病態理解・治療導入には,国境・民族を超えた形での国際コホート作成が必要不可欠となり,世界各地でコンソシアム形成が進んでいる.NISO:NationalInsituteofSensoryOrgans,NationalHospitalOrganization,TokyoMedicalCenter,Japan,AEGC:AsianEyeGeneticsConsortium,JEGC:JapanEyeGeneticsConsortium,EastAsiaIRDC:EastAsiaInheritedRetinalDiseaseConsortium,UKIRDC:UKInheritedRetinalDiseaseConsortium,UCL:UniversityCollegeLondon,NEI/NIH:NationalEyeInstitute,NationalInstituteofHealth,USA.表2遺伝性網膜疾患に関する国際協力体制CollaborativeResearchagreement(日米)PaulSieving,TakeshiIwataNEI/NIH,NISO二施設間共同研究契約CollaborativeResearchagreement(日英)AndrewDick,TakeshiIwataUCL,NISO二施設間共同研究契約CollaborativeResearchagreement(英米)PengTeeKhaw,PaulSievingUCL,NEI二施設間共同研究契約AsianEyeGeneticsConsortium(アジア)TakeshiIwataNISO14か国間共同研究EastAsiaInheritedRetinalDiseaseConsortium(日,中,韓)KaoruFujinamiNISO3カ国6施設間共同研究UKInheritedRetinalDiseaseConsortium(英)GraemeBlackTheUniversityofManchester英国内7施設共同研究,国際パートナーシップ(NISO)ProgStarStdudies(米英仏独)HendrikSchollWilmerEyeInstitute,JHUSM4カ国9施設間共同研究,国際パートナーシップ(NISO)GlobalEyeGeneticsConsortiumKaoruFujinamiNISO北米,南米,欧州,アジア,豪州における国際共同研究NEI/NIH:NationalEyeInstitute,NationalInstituteofHealth,USA.NISO:NationalInsituteofSensoryOrgans,NationalHospitalOrganization,TokyoMedicalCenter,Japan.UCL:UniversityCollegeLondon.JHUSM:JohnsHopkinsUniversitySchoolofMedicine.図8ABCA4関連網膜症インハウスデータベース遺伝性希少網膜疾患でもっとも頻度の高いABCA4関連網膜症については,約600症例の疾患群における変異頻度情報が10万を超える正常人の変異頻度情報(http://exac.broadinstitute.org/)にインテグレートされ,正常群・疾患群における各民族・コホート間変異頻度比較がブラウザにおける情報共有により可能となっている.

小児眼科

2017年7月31日 月曜日

小児眼科GeneticDiagnosisforPediatricOcularDisorders近藤寛之*はじめに小児眼疾患に対して行われている遺伝子診療は,メンデルの法則に従ういわゆる遺伝性眼疾患の確定診断を目的としたものが多い.遺伝子診断の具体的な方法は他書に譲るが,特定の遺伝子の診断には直接塩基配列を決定する方法(Sanger法とよばれる)が適用されることが多い.近年,個別の遺伝子の解析では不十分な場合などには次世代シークエンサーによる遺伝子解析も行われるようになっているが,費用の問題などからSanger法による個別の遺伝子診断に取って代わるには至っていない.いずれの方法にしても,遺伝子診断は検査や解析にある程度の時間を要し,確定診断といっても臨床診断の補助的な検査としての役割にとどまる.小児に対する遺伝子診断は倫理的な問題も含めて注意すべき点が多いが,眼科領域では確定診断の有用性の高い分野であろう.本稿では小児眼科領域で行われている遺伝子診断について,網膜疾患を例にあげつつ,その役割や問題点を解説する.I小児に対する遺伝子診断と遺伝カウンセリング一般に遺伝子診断に際しては,遺伝情報が血縁者間で一部共有されることや,不適切に扱われた場合には患者や血縁者に社会的不利益がもたらされる可能性があるため,必要に応じて専門家による遺伝カウンセリングを行うこと,検査の結果をわかりやすく説明することなどが求められている(日本医学会「医療における遺伝学的検査・診断に関するガイドライン」2011年2月,http://jams.med.or.jp/guideline/genetics-diagnosis.htmlを参照されたい).小児眼疾患の遺伝子診断についても同様の倫理的な配慮が必要である.上記のガイドラインでは小児など未成年者で同意能力がない患者の検査では,代諾者の同意が必要で,患者本人の最善の利益を考慮すべきとしている.また,患者の理解度に応じた説明を行い,本人の了解(インフォームド・アセント)を得ることが望ましいともある.一方,未成年者に対する非発症保因者の診断や発症前診断については原則として本人が成人し自律的に判断できるまで実施を延期すべきで,両親などの代諾で検査を実施すべきでないとしている.小児眼疾患では,遺伝子診断については患児に対する配慮が必要なのはいうまでもないが,家族が患児のケアについて前向きになるチャンスであることも見逃せないポイントである.遺伝性疾患の多くは治療が確立されていないために,すでに臨床診断がなされているケースでは,家族は大きな不安を抱えていることが多い.説明によっては「治療法がない」と主治医から突き放された気持ちに陥るケースもある.遺伝子診断によって確定診断が得られれば,疾患の経過や予後,治療法,療養に関する情報を提供することで,家族が前向きな気持ちになる場合もある.疾患の種類,患児および家族の性格や置かれた状況を判断し,家族の気持ちに寄り添って遺伝子診断の可否を検討することが望まれる.*HiroyukiKondo:産業医科大学眼科学教室〔別刷請求先〕近藤寛之:〒807-8555福岡県北九州市八幡西区医生ヶ丘1-1産業医科大学眼科学教室0910-1810/17/\100/頁/JCOPY(65)981図1Coats病が疑われた家族性滲出性硝子体網膜症の左眼眼底写真11歳時に右眼の滲出性網膜.離を発症しCoats病と診断されたが,その後失明した.29歳のときに左眼の滲出性網膜.離を併発した.遺伝子診断でFZD4遺伝子変異がみつかり,家族性滲出性硝子体網膜症と確定診断した.b図2Goldenhar症候群を合併した眼白子症の前眼部所見と眼底写真3カ月,男児.a:前眼部写真では右眼耳側強角膜輪部にデルモイドを認める.b:左眼眼底写真,眼底は色素脱出を認める.遺伝子診断の結果GPR143遺伝子に変異を認め,眼白子症と確定診断した.図3Norrie病が疑われた先天性網膜.離(白色瞳孔)の前眼部写真3カ月,男児.両眼の白色瞳孔と網膜.離を主訴に受診.Norrie病または家族性滲出性硝子体網膜症を疑われたが,遺伝子診断によりATOH7遺伝子変異がみつかり,非症候性先天性網膜接着不全症候群(nonsyndromiccongeni-talretinalnonattachment)と診断した.写真は左眼の術中所見,白色瞳孔を認める.図4診断が困難な先天網膜分離症の眼底写真4カ月,男児.右眼(a)に胞状の網膜を認め網膜.離が疑われた.左眼(b)の後極部は一見正常だが,全身麻酔下の精査で黄斑部の網膜分離がみられた.遺伝子診断によりRS1遺伝子変異がみつかり,先天網膜分離症の診断が確定した.図5常染色体劣性ベストロフィノパチーの眼底写真と眼底自発蛍光像11歳,女児.両眼の黄斑異常を指摘されて当科を受診.右眼の眼底写真(a)と眼底自発蛍光所見(b)を示す.眼底所見から常染色体優性Best病(卵黄状黄斑変性)を疑われたが,遺伝子診断によって,BEST1遺伝子による常染色体劣性ベストロフィノパチーと診断した.伝子関連疾患がこれにあてはまる.臨床診断に加え,遺伝子診断による遺伝形式の推定はカウンセリング上有用な情報となる.BEST1遺伝子異常による眼疾患として常染色体優性遺伝の卵黄状黄斑変性がよく知られているが,近年常染色体劣性ベストロフィノパチーが報告されている.両者は臨床所見が似ているため鑑別は容易でではない(図5).遺伝子診断は確定診断と遺伝形式の決定に有用である.2.遺伝子診断が困難な疾患・遺伝子遺伝子診断が困難な疾患として小眼球症や先天白内障,網膜色素変性がある.これらの疾患では臨床所見の異質性が高いだけでなく,原因となる遺伝子も多様であり特定の遺伝子に原因を絞り込むのは容易ではない.このような疾患は複数の類縁疾患の総称と考えたほうがよく,通常は決め手となるなんらかの特徴的所見がないかぎり網羅的に原因遺伝子を調べないと原因を同定するのは困難である.エクソームシークエンスなどの次世代シークエンス法を用いれば,網羅的に検査を行うことが可能であり診断率は高まる.ただし,次世代シークエンス法では一度に多数の遺伝子のバリエーション(多数の塩基配列)が検出される.この中で原因となる遺伝子(変異)は1つ(または1組)であり,新規の原因遺伝子を想定して,1つに絞り込むことは容易ではない.このため,既知の遺伝子による診断率の低い疾患では,網羅的に検査をしても原因となる遺伝子変異を見逃してしまう可能性が高い.また,エクソームシークエンスでは広範囲のヘテロ接合性の塩基欠失を診断することはできない.また,原因が一つの遺伝子の疾患であっても,エクソンの数が多いものはSanger法での診断はやや困難となる.Stickler症候群のうち多くの症例はCOL2A1遺伝子異常が原因であるが,COL2A1遺伝子は54エクソンから構成され,ホットスポットが存在しないため検査には労力を要する.一塩基多型(singlenucleotidepolymorphism:SNP)はゲノム上に多数存在する塩基配列のバリエーションである.SNPは原因となる遺伝子変異とは別の良性のバリエーションを意味することが多いが,遺伝子がコードするアミノ酸が置換されるタイプのSNPでは,病的な変化と良性の変化とを区別することは必ずしも容易ではない.家族性滲出性硝子体網膜症の原因遺伝子の一つであるLRP5遺伝子は23エクソンから構成されるが,罹患者からしばしば新規のSNPが検出され,病的な変化かどうかの判定に苦慮することがある.IIIリスク診断小児眼科領域では非メンデル遺伝性疾患に対する易罹患性の評価を行うことは少ないが,例外は網膜芽細胞腫に対する発症リスクの評価である.網膜芽細胞腫は小児にみられる眼内悪性腫瘍であり,転移すると生命が脅かされる疾患である.通常はCTやMRIなどの画像診断や病理組織検査によって診断され,遺伝子診断は必須ではない.網膜芽細胞腫は癌抑制遺伝子であるRB1遺伝子の体細胞変異によって起こる.RB1遺伝子は13番染色体上にあり,ゲノムには母由来と父由来の一対(二つ)の遺伝子が存在する.この二つともが変異して癌化を起こすが,二つとも体細胞変異を起こして発症する場合と,一つが生殖細胞のRB1遺伝子変異として継承され,もう一つが体細胞変異を起こして発症する場合がある.後者では家族内発症の危険性があり,その考えは提唱者に由来してKnudsonの2ヒット説とよばれる4).このように網膜芽細胞腫の発症は体細胞変異を起こす危険度に由来し,メンデルの法則に従わないが,遺伝素因があると家族性の発症や,他眼・松果体を含めた3側性の発症のリスクとなる.また,遺伝素因により将来,骨肉腫など別の悪性腫瘍を引き起こす可能性がある.このため網膜芽細胞腫では遺伝素因の確認のために遺伝子診断が行われるが,RB1遺伝子の診断には2016年より保険診療が認められている.IV出生前診断出生前診断は胎児に対する遺伝学的検査であり,羊水穿刺など妊婦に対しての侵襲的な検査行為を伴う.妊娠の継続をあきらめるかどうかの判断に用いられることが背景にあり,倫理的に大きな問題を含んでいるため,日本産科婦人科学会は原則として重篤な遺伝性疾患児を出(69)あたらしい眼科Vol.34,No.7,2017985■用語解説■Sanger法:ポリメラーゼ連鎖反応(polymerasechainreaction:PCR)を行って特定の遺伝子配列を増幅したうえで,さらに1塩基ごと長さの異なるPCR断片を作製し,一斉に電気泳動することで遺伝子配列を決定する方法.DNAシークエンスといえばこの方法をさす.次世代シークエンス法と対比する意味合いにより,開発者の名をとりSanger法とよばれるようになった.広範囲のヘテロ接合性の塩基欠失:ヘテロ接合とは片親からの遺伝子に異常がみられ,もう片親の遺伝子配列が正常の場合をさす.ホモ接合の対義語.エクソンが丸ごと塩基欠失するなどのヘテロ接合性変異では遺伝子の量が半減しているため,疾患の原因となる場合があるが,シークエンスの配列は正常と同じとなり異常を検出することはできない.アミノ酸が置換されるタイプのSNP:SNPが遺伝子をコードする配列に存在すると,アミノ酸が置換される場合がある.非同義語配列ともよばれる.同じSNPが健康人に多くみられる場合には疾患の原因とはみなされないが,健康人にないSNPだからといって必ずしも病的とは限らない.体細胞変異:細胞の癌化のように,体の一部の細胞が細胞分裂の際に後天的に遺伝子変異を生じたものをいう.体細胞変異は遺伝性がない.生殖細胞の変異:卵子や精子に遺伝子変異があれば子孫に変異が継承される可能性がある.生殖細胞の遺伝子変異とは親からの継承によって全身のすべての細胞に遺伝子変異がコピーされていることを意味する.体細胞変異と対比される用語.