複視のある斜視の非観血的治療Non-SurgicalTreatmentofStrabismuswithDiplopia─PrismorOcclusionTherapyforStrabismuswithDiplopia臼井千惠*はじめに本特集で扱う病的複視(以下,複視)は,網膜対応や複視の間隔(以下,複像間距離)からそれぞれ以下に分類される1).1)網膜対応による分類は,・調和性複視:網膜対応が正常であり,斜視角の大きさと複像間距離が一致している.・不調和性複視:斜視角と複像間距離が一致しない複視で,網膜異常対応のときにみられる.・背理性複視.不調和性複視の特殊なもので,網膜異常対応に基づいて起こる.2)複像間距離による分類・共同性複視:各むき眼位で複像間距離が同じであるもの.共同性斜視にみられる.・非共同性複視:各むき眼位によって複像間距離が異なるもの.麻痺性斜視にみられる.斜視に伴う複視の非観血的治療にはプリズム療法,遮閉療法,視能訓練およびボツリヌス治療がある2)が,本稿では調和性で共同性または非共同性複視へのプリズム療法と,プリズム療法がむずかしい場合の遮閉療法について解説する.Iプリズム療法複視のプリズム療法はプリズム眼鏡を装用することで行われる3).プリズム眼鏡は,原則として患者が正面視で自覚する複視を軽快あるいは消失させる目的で処方され,とくに以下のような場合に有用である.1)斜視角が小さく,手術の適応にならないとき.2)斜視角に変化が生じる可能性が予想されるとき.3)観血的治療(以下,手術)を受けるまでの複視対策.4)手術を望まないときの複視対策である.一方,プリズムには収差があり,複像間距離が大きい場合は,複視を消失させるプリズムの収差が原因で,眼鏡装用が不可能になることがある.複視は自覚的所見であるが,眼鏡の装用感も自覚的な感覚であるため,たとえプリズムで複視を消失させることが可能であっても,患者が複視の苦痛よりプリズム眼鏡の装用感の悪さを重要視してプリズム療法を選択しないことがあり,この場合は遮閉療法(後述)を試みる.1.プリズムの基礎知識プリズムは,入射面から入り放射面から出る光線を常に基底(base)方向に屈折させる.入射光線を延長させた直線と放射面で屈折された光線の成す角を偏角(devi-ationangle)とよび,偏角の大きさをプリズム度数としてプリズムジオプトリー(prismdiopter,単位記号Δ)で表す(図13)).1Δとは入射面から入った光線を1m先で基底方向に1cm偏角させるプリズムであると定義され,次式の関係がある4).1Δ=100×0.01(m)/1(m)偏角i°=arctan(0.01(m)/1(m))≒0.57°*ChieUsui:帝京大学医療技術学部視能矯正学科〔別刷請求先〕臼井千惠:〒173-8605東京都板橋区加賀2-11-1帝京大学医療技術学部視能矯正学科0910-1810/23/\100/頁/JCOPY(51)1421頂角a°頂角a°b(cm)基底(base)図1プリズムの構造と屈折作用プリズムによる光線の偏角iは頂角aとプリズム屈折率nから次式で求める.i=a(n-1)臨床で用いるプラスチック製プリズムの屈折率は約1.5であるため,i=0.5a,すなわち頂角aの1/2が偏角iとなる.さらに,入射面から入った光線をam先でbcm偏角させるPΔおよびi°は次式で求める.PΔ=100×b(m)/a(m)i°=arctan[b(m)/a(m)]なお,図のように光線が入射面に垂直に入射するプリズムの位置をプレンティスポジション(prenticeposition)とよぶ.(文献3より改変引用)基底(base)矯正する対象プリズムの基底(両眼に分けて装用する場合)眼鏡処方箋の記入水平斜視内斜視(内斜位)外方(baseout)右眼:基底外方(baseout)左眼:基底外方(baseout)外斜視(外斜位)内方(basein)右眼:基底内方(basein)左眼:基底内方(basein)垂直斜視右眼上斜視RL下方(basedown)右眼:基底下方(basedown)左眼:基底上方(baseup)右眼下斜視RL上方(baseup)右眼:基底上方(baseup)左眼:基底下方(basedown)図2a水平・垂直斜視のプリズム基底方向(検者からみた場合)プリズムを両眼に分けて装用する場合を想定した眼位別の基底方向を示す.ただし,以下のような例外もある.麻痺性斜視:麻痺眼のみにプリズムを装用したり,左右眼に分ける場合も麻痺眼に強い度数を装用する.共同性斜視だが優位眼が明確な場合:非優位眼(斜視眼)を主体にプリズムを装用する.(文献3より改変引用)矯正する対象プリズムの基底(両眼に分けて装用する場合)眼鏡処方箋の記入水平斜視+垂直斜視例)外斜視右眼上斜視方法1右眼で垂直斜視矯正RL左眼で水平斜視矯正右眼:基底下方(basedown)左眼:基底内方(basein)方法2右眼で垂直・水平斜視矯正L左眼で水平斜視矯正(補足)R右眼:基底内下方(275-355°)左眼:基底外方(basein)方法3L両眼で垂直・水平斜視矯正R右眼:基底内下方(275-355°)左眼:基底内上方(95-175°)例)内斜視右眼上斜視方法1右眼で垂直斜視矯正RL左眼で水平斜視矯正右眼:基底下方(basedown)左眼:基底外方(baseout)方法2右眼で垂直・水平斜視矯正RL左眼で水平斜視矯正(補足)右眼:基底外下方(185-265°)左眼:基底外方(baseout)方法3RL両眼で垂直・水平斜視矯正右眼:基底外下方(185-265°)左眼:基底外上方(5-85°)図2b水平斜視と垂直斜視が合併する場合のプリズム基底方向(検者からみた場合)水平斜視と上下斜視が合併する場合のプリズム基底方向の組み合わせを,上段に水平斜視が外斜視,下段に内斜視の場合でそれぞれ示す.垂直斜視が合併しても外斜視は基底内方(basein),内斜視は基底外方(baseout)で基本的な方向性は変わらない.方法1:水平と垂直の斜視角が近似しない場合は,一眼に水平,他眼に垂直のプリズムを装用する.方法2:水平斜視角を2分して,一方を垂直斜視角と近似させて1枚の合成プリズムとし,基底を斜め方向に装用する.残りの水平斜視角矯正分のプリズムを他眼に装用する.方法3:水平斜視角と垂直斜視角が近似している場合は1枚の合成プリズムとし,それを2等分して等量を各眼に基底を斜め方向に装用する.【実際例】内斜視,右上斜視に由来する複視を8Δ基底外方,垂直5Δ基底下方のプリズムで矯正した.方法1:右眼に5Δ基底下方,左眼に8Δ基底外方に装用する.方法2:垂直斜視角5Δに合わせて水平斜視角8Δを5Δと3Δに分け,水平・垂直5Δの合成プリズム7Δを右眼に225°,水平の残り3Δを左眼に基底外方に入れる.方法3:水平斜視角8Δを左右5Δと3Δに,垂直斜視角5Δを3Δと2Δにそれぞれ分け,右眼に水平・垂直3Δの合成プリズム4Δを225°,左眼に水平5Δ・垂直2Δの合成プリズム5Δを20°に入れる.実際には,方法1は左眼のプリズムを特別注文の組み込みレンズか膜プリズムにするが,左右眼のプリズムの基底方向が大きく異なるため良好な装用感は得られない可能性が高い.方法2は右眼のプリズムを特別注文の組み込みレンズか膜プリズムにし,左眼は組み込みレンズにすることになる.外見は両眼組み込みレンズがよく,価格的には右眼膜プリズムの選択が安価になる.方法3は左右眼のΔが近似し,既製品の組み込みレンズが対応可能な度数のため,最も理想的なプリズム眼鏡になると思われる.なお,合成プリズム度数は計算時に小数点以下を切り捨てるため実際の計算値より低矯正となり,自覚的に複視が残存する可能性がある.その場合は微調整を行う.==上方上方右(baseup)(baseup)左外上方外上方95~175°5~85°外方外方(baseout)(baseout)180°0°外下方外下方185~265°下方下方275~355°(basedown)(basedown)270°270°図3検眼枠の乱視軸とプリズム基底との関係プリズム基底方向と検眼枠の乱視軸との関係を示す(基底方向を全て360°で表記することを推奨する意見もある).斜めの基底は,水平斜視と垂直斜視が合併し,それぞれを矯正するプリズムを合成して1枚のプリズムで矯正するときの基底方向となり,角度(°)で表す.1/2D1D2D3D4D6D図4眼鏡処方に用いる組み込みプリズムレンズ検眼レンズセットの組み込みプリズムトライアルレンズ各種.度数が増えると基底方向の厚さが増し,レンズによる収差が強くなる.厚いほうが基底方向(図中央下では黒線方向).装用練習では,トライアルレンズは検眼枠のもっとも眼に近いところに挿入する.膜プリズム断面(拡大図)前眼部側レンズ側平らな面をレンズに貼りつける軟質のポリ塩化ビニル35D10D膜プリズムトライアルレンズ検眼枠にはもっとも眼に近い場所に挿入する図5眼鏡処方に用いる膜プリズム柔らかいシート状のプリズムで,片面に幅の狭いプリズムが帯状に並び,反対面は平面になっている.平面側を眼鏡レンズの内側に貼る.右下は眼鏡の左レンズに膜プリズムを装用した時の外見.帯の幅はプリズム度数が強くなるほど細かくなる(図中央上,右10Δ,左35Δ).装用練習に用いる膜プリズムトライアルレンズは検眼枠のもっとも眼に近いところに挿入する.左レンズに膜プリズム装着検討には患者の融像幅による融像域を考慮する.5.症例別にみるプリズム治療a.麻痺性斜視による複視原則として正面視の水平・垂直複視の軽減や消失を目的に処方を行う(回旋複視はプリズムでは矯正できない).眼筋麻痺では麻痺筋の作用方向で複視が増悪するが,すべての方向で複視を消失させることはできない.ただし,融像幅の狭い垂直斜視角をプリズムで矯正すると水平・回旋の融像が容易になり,水平斜視角も実測値より弱いプリズム度数で複視を矯正できることがある.また,正面視の複視を矯正すると,むき眼位の複視や代償性頭位異常が軽減することもある.開散麻痺ではおもに遠見で同側性複視を自覚するため,遠見の複視を矯正すると近見で交差性複視が出現する可能性がある.患者の融像幅を考慮し,近見で複視が出現せず,遠見の複視も軽快できるプリズム度数を検討する.症例1:60代,男性.右眼上斜筋麻痺.主訴:5年前からのおもに近見での上下・回旋複視と遠見での奥行き感の喪失.所見:眼位は右眼上斜視で,左眼固視による大型弱視鏡検査では正面視+3°R/L1.5°外方回旋8°で,融像域は正面視で上下・回旋偏位を矯正すれば.2.+19°であった.対応:正面視での右眼上斜視(R/L1.5°)に対して,右眼2Δ基底下方(基底270°),左眼2Δ基底上方(基底90°)を装用したところ,上下・回旋複視が軽快し,遠見の奥行き感も改善したため,累進屈折力レンズによる遠近プリズム眼鏡(後述)を作製した.症例2:40代,男性.開散麻痺.主訴:1年前からの遠見での同側性複視.所見:眼球運動検査で各むき眼位に運動制限を認めず,遠近プリズム遮閉試験では遠見30Δ,近見6Δであった.大型弱視鏡による融像幅は.8.+29°であったが融像域は+4.+43°と開散方向の融像幅でも眼位が0°に達しなかった.対応:融像域の開散側を0°にする目的で,患者の自覚を重視しながら各眼5Δ基底外方(合計10Δ,右眼基底180°,左眼基底0°)のプリズム眼鏡を装用したところ,遠見で複視を自覚する頻度が減少した.手術希望があり,プリズム眼鏡は手術までの複視対策として装用することになった.b.間欠性外斜視による複視(眼精疲労)外斜視が顕性化する頻度を減少させ,斜位の状態に保つ目的で処方を行う.患者の融像幅を考慮し,輻湊を補助する弱いプリズム度数で矯正することが多いが,輻湊不全があり筋性眼精疲労が起きている場合は眼位を完全矯正する度数を選択したほうがよいことがある.症例3:10代,女性.主訴:ときどき自覚する遠見での複視.所見:20Δの間欠性外斜視があり,輻湊良好で,大型弱視鏡検査による融像域は.11.+30°であった.対応:手術を希望しないため,両眼に3Δ基底内方(合計6Δ,右眼基底0°,左眼基底180°)のプリズム眼鏡を装用したところ,斜位の頻度が増え,遠見での複視も消失した.症例4:30代,男性.主訴:PC作業が主体の仕事で,夕方以降に出現する複視で歩くのも躊躇するほどつらい.所見:遠見12Δ,近見30Δの間欠性外斜視だが輻湊は良好で,融像幅は開散側10Δ,輻湊側30Δであった.対応:各眼5Δ基底内方(合計10Δ,右眼基底0°,左眼基底180°)のプリズム眼鏡を作成した.プリズム眼鏡装用直後は地面が立体的に見えて気分が悪くなることが頻繁にあったが,2週間程度で落ち着き,現在は眼疲労と複視が軽快した.c.検査時に発見される複視眼鏡処方のための視力検査などで患者の複視がみつかることがある.患者は片眼ずつの視力検査では良好な視力を得ているにもかかわらず,両眼では視力が低下したり違和感を訴えたりするが,はっきり複視として自覚しないこともある.眼位検査で斜視およびそれに起因する複視が検出されたら,プリズムでの矯正を試みる.なお,眼位異常の説明は主治医が診察時に行うのが望ましく,視能訓練士は検査中の安易な発言を控える.症例5:70代,男性.主訴:両眼視下での違和感.1426あたらしい眼科Vol.40,No.11,2023(56)図6急性内斜視の症例(初診時)10代,男性.主訴:6カ月前からの遠見での複視と内斜視.所見:大型弱視鏡検査で右眼固視の正面視は+24°,融像域は+16.38°で,正位にならない.常に右眼固視のため,左眼内斜視の外見と同側性複視を解消させるために髪型を工夫している.(本人および家族の許諾を得て掲載)全遮閉部分遮閉すべてのむき眼位で右眼の単眼視左方視のみ右眼の単眼視図7眼鏡を利用した遮閉療法の種類図左側:全遮閉はレンズ全体を遮閉して単眼視にする.図右側:部分遮閉は複視を自覚するむき眼位の方向を遮閉して部分的に単眼視にする.abcクリアブラウン30%グレー30%図8眼鏡レンズを遮閉する方法各種a:従来から使用されてきたすりガラスによる片眼遮閉.b:オクルア(東海光学株式会社),すりガラスに比べ,外から遮閉下の眼が見えるため外見が自然である.色はクリア以外にブラウンとグレーがある(%は色の濃度を表す).c:弱視治療法眼鏡箔(RyserMedical,アールイーメディカル株式会社),正方形の膜を用途に応じてカットし,レンズの裏側に貼りつけて使用する(膜プリズムと同様に水滴を利用して貼りつける).上段0.0は肌色の膜による完全遮閉になるため,患者の視力は光覚に低下し,外から遮閉下の眼は見えない.中段LPの患者の視力は指数弁程度,下段<0.1は視力0.1未満の遮閉効果があり,オクルアと同様に外から遮閉下の眼が見える.(a,bの画像提供:東海光学株式会社)