———————————————————————- Page 1あたらしい眼科Vol. 26,No. 11,20091515(75)大分大学医学部の前身は,昭和 53 年に創立された大分医科大学で,眼科学教室は翌昭和 54 年に初代教授・山之内夘一先生により開講された.山之内教授は無からの出発でご苦労も多かったと推察されるが,そうした中で単眼倒像鏡アルゴンレーザー光凝固機を考案された.その後を受けて,平成 3 年に助教授から第 2 代の教授に昇任された中塚和夫先生は,網膜の電気生理学の領域で学会をリードしてこられ,その間,平成 15 年に国公立大学の統合・再編の施策により大分大学医学部眼科学教室と改称された.そして,本年 7 月に久保田敏昭先生が第 3 代の教授に就任された.教室の伝統として,網膜疾患の臨床と研究があげられるが,久保田先生自身も網膜硝子体疾患を専門の一つとされており,当然その伝統を引き継いでいかれることになる.尚,前教授の中塚先生が野球部の顧問であった関係からか,現教室員には野球部出身者が多く,毎年の医局対抗野球大会では優勝争いの常連とのことである.*久保田先生は昭和 57 年に九州大学を卒業.平成 2 年から 4 年までドイツのエルランゲン・ニュルンベルグ大学眼科学教室にフンボルト奨学研究生として留学,ナウマン教授に師事された.平成 4 年に九州大学に戻り,平成 11 年には長崎県大村市の長崎中央病院(現:国立病院機構長崎医療センター)の眼科医長として赴任.平成16 年の産業医科大学眼科助教授(現:准教授)への異動を経て,今回,大分大学眼科学教室教授に迎えられた.エルランゲン・ニュルンベルグ大学留学時代は緑内障の病理学研究で実績をあげられ,ナウマン教授の名著「Pathologie des Auges」の緑内障,視神経の項の翻訳も担当された.帰国後は緑内障と網膜硝子体疾患の診療,研究面で多くの実績をあげられ,さらに特筆すべき点として,乳頭周囲網脈絡膜萎縮,落屑緑内障,ステロイド緑内障,血管新生緑内障の病因に関する研究,および緑内障手術成績の報告,硝子体手術の新しい薬剤の応用に関する臨床研究があげられる.長崎医療センターは長崎県の県中央地区の基幹病院で,その地区の難疾患の多くを診療する関係上,幅広い臨床経験が必要とされることから,その修練の機会を得られたほか,NIC のベッド数が県下一で,未熟児網膜症の治療経験も培われた.この時期には又,緑内障手術,硝子体手術,バックル手術など多種類のクリニカルパスを眼科において早期に導入し,学会や論文にて報告された.今後も眼科臨床は幅広く行い,教室としてもそれぞれの専門医を育てて,大分県,および近隣の紹介を受けるすべての患者さんに対応できる眼科をつくること,さらに専門としている緑内障, 網膜硝子体疾患には特に力を注ぎ,新しい情報発信をしていくことを目指しておられる.*地方においてはオールマイティな臨床能力を求められる.そこで,先生はこれまでご自身が受けてこられた「臨床においては,基本的な疾患は診断,治療ができ,その上で専門を少なくとも一つは作る」という教育方針を継承し,そうした要請に対応できるようにすることを目標とされている.手術に関しては,先生ご自身,最近では緑内障手術,バックル手術,硝子体手術,白内障手術を中心に年間 500 例ほどの手術での執刀,助手に入っておられる.そして,「緑内障手術や硝子体手術ができる手術医をできるだけ多く育て,又,大分大学のスタッフおよび大学以外の基幹病院の医長クラスとなる医師をできるだけ多く育成していきたい」とおっしゃる.*先生は学生時代,卓球.テニス,スキーなどのスポーツに親しんでおられたが,今は,年に 1 回ご家族でスキーに行かれる程度とのこと.ここ数年は仕事が趣味のような生活ながら楽しんで仕事ができており,モットーは“楽しんで仕事をする”とのことである.0910-1810/09/\100/頁/JCOPY人の時大分大学医学部眼科学・教授久く保ぼ田た敏とし昭あき 先生