———————————————————————-Page1あたらしい眼科Vol.26,No.2,2009223私が思うことシリーズ⑮(85)2人の恩師と臨床遺伝学私が生まれたのは昭和24年で,小学校の頃の思い出のなかには,“敗戦国日本”の情景が浮かんできます.その頃の日本の地域社会では,みんなで夕日を見て明日のことを考えていたように思います.勤務医の父と3人の子育てをしながら開業医をしていた母のもとで育ちました.そのためか,知らず知らずのうちに医師とは地域の人とともにあるものという考えが身についていました.小学生の頃だったと思いますが,皆が寝ていた夜中か明け方に,見るからに苦しそうな喘息発作の男性が急患で駆け込んできました.治療後しばらくして診療室から出てきた男性は,別人のように穏やかな笑顔で帰っていきました.「ステロイドが効いたのよ」という母の言葉とともに,地域に生きる開業医のすばらしさを感じたことを覚えています.勤務医を続けるか開業をするか迷った時期に開業の決断をした原点でもあったと思います.医学部を卒業して,眼科医としての手ほどきをしていただいたのが,当時東京医科歯科大学講師(現名誉教授)の所敬先生でした.所先生は,「目的をもたない研究ならするな」といわれ,研究テーマに迷っていた私に「強度近視の遺伝」を与えてくださいました.この頃は,ほとんどの医学部に遺伝学講座はなく,私も生物学における遺伝の知識程度しかなく,所先生は東京医科歯科大学難治疾患研究所助教授(当時)大倉興司先生を紹介してくださいました.大倉先生は日本における臨床遺伝学の先駆者で,遺伝学を0から教えていただきました.大倉先生には「学問は,国民に還元されなければならない」「臨床遺伝学は生命の質の受容か排除にかかわるもので,過去の歴史から学ぶもの」という医学者としての姿勢を教えていただきました.地域医療における視覚障害者大倉先生とのご縁から,昭和55年頃から社団法人日本家族計画協会遺伝相談センターで遺伝相談を担当することになりました.眼科関連の遺伝性疾患は多く,また他科領域にかかわる疾患も含めると膨大な知識を要求されます.遺伝相談は,遺伝性疾患にかかわる医学的・遺伝学的情報だけでなく,教育・療育・社会の対応・行政サービスなどの情報提供をすることにより,遺伝性疾患の当事者および家族の,自己決定権に基づいた将来設計への手助けをするための医療サービスです.遺伝相談センターには,全国から来所者がありました.地域で生活する方々にはその地域でないと支援できないこともあり,地域支援の必要性を感じたことも多くありました.また,「遺伝」は秘密でなければならないという日本的価値観をおもちのため,遠方より上京された方もあり,遺伝相談の重要性を強く認識することも多くありました.遺伝性眼科疾患の多くは視覚障害をきたします.たとえば,網膜色素変性は臨床症状,眼科的検査から診断は容易ですが,有効な治療法がありません.そのため,「遺伝性視覚障害者」であるという自らの不運と罪悪感から社会より遠ざかり,また治療法がないため医療から離れてしまう方も多くおられます.そのために新しい情報や希望を見いだせないまま,視覚障害者は,他の身体障害者と比べ,行動範囲が狭く,社会からの情報取得の少ないのが実状です.身近なところで視覚障害者が集い励ましあうことは必要であり,それをしたいと考え,私0910-1810/09/\100/頁/JCLS福下公子(KimikoFukushita)烏山眼科医院1949年東京生まれ.東京医科歯科大学医学部附属病院などの勤務を経て東京都世田谷区にて開業(烏山眼科医院).「強度近視の臨床遺伝学的研究」にて学位取得.日本眼科学会認定眼科専門医,日本人類遺伝学会認定臨床遺伝専門医.専門は眼科学一般および遺伝相談.2006年より,視覚障害者同士の交流の場として「烏山さわやかクラブ」を主宰している.(福下)地域の視覚障害者との共生を目指して———————————————————————-Page2224あたらしい眼科Vol.26,No.2,2009のしている遺伝相談の仕事が視覚障害者との共生社会の実現に向けて何ができるかを模索したのでした.私にできること私が開業している世田谷区には区立総合福祉センター(現在は財団法人)があり,当時の担当者に,区民の身近な場所で視覚障害者を対象とした支援の会を開くことを提案したところ賛同していただき,それこそ総合福祉センター職員が手弁当で参加してくれました.翌年から予算がつき,以来毎年,現在は区内3カ所で,眼科医の講演と拡大読書器やロービジョングッズの紹介の会が開催されています.行政側からもきっかけがあると協力をしていただけますし,熱意のある職員の存在を知ることができましたのは,うれしいことでした.しかし,行政の立場には自ずと限界があります.私は,支援者も視覚障害者も自由な環境で自由な発想での交流会を開催したいと考え,「烏山さわやかクラブ」を立ち上げました.わたしのクリニックは,眼科医1人,非常勤視能訓練士1人,眼科コメディカル4人の小規模な診療所です.それでも何かできることを示したかったのです.「烏山さわやかクラブ」は毎月1回第4土曜日に開かれます.小説・随筆などの朗読またはミニコンサート,医学・社会・行政からの情報提供,ロービジョン・エイドの紹介,おしゃべり,などなどです.参加者は12~17名前後です.診療所従業員の理解と協力,福祉センター職員の個人的協力,各ボランティアの協力があって成り立っています.参加される障害者の家族の方は,その時間が,介助から解放され自由になります.また,世田谷区内に,多くのボランティア団体があることを知り,地域の暖かさを再認識することもできました.3年前の開始以来,顔と顔が見える,声と声がわかる小さい集まりが安心感につながっているのでしょうか,参加者は毎回を楽しみに出席されています.治療という医療行為では限界を感じながら,このように同じ時間を共有することで医療者である私も癒されます.同じ疾患の患者さんが皆参加されるわけではありませんが,望み望まれる場合は暖かな交流が生まれます.“Ihaveadream”日本の医療は研究者と病院勤務医と開業医の3者が支えていると思います.すべてを経験した私からみて,どの立場も決して楽ではありませんが,学んだ知識・経験を国民に還元するという目的をしっかりもって,地域医療での仕事をしていきたいと思っています.まだ申し上げられない夢をもち続けながら.福下公子(ふくした・きみこ)1974年東京女子医科大学医学部卒業1974年東京医科歯科大学医学部眼科学教室入局1975年東京医科歯科大学医学部助手1981年東京医科歯科大学医学部講師1983年取手協同病院眼科医長1984年烏山眼科医院院長現在,社団法人日本眼科医会常任理事,社団法人東京都眼科医会常任理事,社団法人日本家族計画協会遺伝相談センター専門委員.(86)烏山眼科医院:〒157-0062東京都世田谷区南烏山5-16-20ハラシマビル3FTEL:03-3308-0777ロービジョンルーム「烏山さわやかクラブ」へのお誘い烏山眼科医院目のご不自由な方々が、集まり、交流し、社会の情報を得る場所が、身近な地域社会の中にあっても良いと考えて、交流会「烏山さわやかクラブ」を作りました。「烏山さわやかクラブ」では、朗読会やミニコンサート、講演会等を企画しております。また、拡大読書器やルーペ、日用品等日常生活に便利なものを紹介し、実際に手にとって試すことが出来るよう考えております。小さな場所で、充分に整った設備ではございませんが、皆様と共に考えて、過ごしやすい場所にしていきたいと考えております。皆様のご利用をお待ちしております。***「烏山さわやかクラブ」の日***7月15日(土)午後1時30分~2時ミニコンサート“懐かしい日本の歌”午後2時~3時30分交流会・自由展示拡大読書器、ルーペ、日常生活用品等次回は8月19日(土):朗読会を予定☆☆☆