———————————————————————-Page1あたらしい眼科Vol.24,No.8,2007????私が思うこと●シリーズ⑥(79)はじめに好きなことを書いていいということで,少し私の医師人生を振り返って書いてみようと思います.私は大学卒業後の1年間は小牧市民病院で内科,外科ほかのローテート研修を受けました(眼科は1週間だけでした).その後,名古屋大学医学部眼科に入局,同時に大学院に入学し,生理学を専攻しておりました(三次元視覚刺激に対するヒトの生理学的反応を研究していました).その分野も興味深かったのですが,大学院卒業後は臨床に根ざした研究をしたいと考えていました.その頃出会ったのが,「眼科レジデント戦略ガイド」という本です.その本を読んで,角膜をやられている先生は楽しそう,という印象を受けました.また坪田一男先生の書かれていたお話がおもしろく,会ってみたいなと思っていました.その頃,たまたま角膜カンファランス(1997年道後温泉)に誘われ,参加したのですが,実はこれが,私が参加した初めての眼科の全国学会だったのです.学会とはこんな楽しいものなのか,とショックを受けました.学会の懇親会で,モイスチャーエイドを眼鏡につけている坪田先生はすぐにわかりました.面識もありませんでしたが,会場でお話をさせていただき,二次会では東京歯科大学の先生方が泊まられていた大広間に移り,いろいろと話をさせていただきました(図1).そのなかで,国内留学,海外留学,これからどうしたいのか,といろいろ将来のビジョンを明確にする重要性についてご教示いただいた記憶があります.その際は,この先生のところで勉強してみたいな,と漠然と考えていました.これを機に,東京歯科大学の見学,忘年会の参加などをさせていただくようになり,2000年の角膜レジデント枠を予約しました.東京歯科大学レジデント時代そうして,大学院卒業後2000年から,東京歯科大学で角膜レジデントとして学ぶこととなりました.行って間もなく,将来は海外留学希望があることをお伝えしたところ,明確にいつから留学したいのかを決めたほうがいいと助言され,2002年からアメリカに留学して角膜の基礎研究をやることに決めました.ここまで振り返りますと,絶妙なタイミングで自分のいきたい方向へ誘導していただいた気がします.今までの経験で,いろいろな方に出会って助けられてきましたが,そういう出会いは人生の宝だと思います.しかし自分がなにをやりたいか,アンテナをしっかり張っていないとそういう出会いを見逃してしまうと考え,何をやりたいのかを具体的に周りの方々に伝えるようにしていました.研究面では,アレルギーにおける線維芽細胞の役割に関する研究を手がけ,細胞培養の基礎を学び,藤島浩先生や深川和己先生らにお世話になりました.0910-1810/07/\100/頁/JCLS川北哲也(????????????????)東京歯科大学市川総合病院眼科1970年三重県鈴鹿市生まれ.趣味はスキー,ゴルフ,テニスなどだが,嗜む程度である.私の眼科医としての人生で大きな変革点となったのは,2000年に坪田一男先生と出会い角膜分野に進むことを決意したこと,2002年にDr.Sche?erTsengと出会い研究の基礎を学んだことである.こういった人生の節目となる出会いと,いろいろな周囲からのサポートとで自分の人生は大きく変わっていると感じている.(川北)人生の節目となる出会い図11997年角膜カンファランスでの写真東京歯科大学チームの部屋で(坪田先生と初めて出会った日).———————————————————————-Page2????あたらしい眼科Vol.24,No.8,2007アメリカ留学坪田先生が絶大な信頼をおくDr.Sche?erTsengがマイアミ大学の教授職を辞任し,車で30分ほど離れた住宅街に研究施設,羊膜のバイオベンチャーとともに開業しました.私の海外留学は通常と違って,この小規模な研究施設に留学しました.前任者として,後藤英樹先生がちょうどその過渡期に留学されていて,ドライアイ,DR-1などの臨床研究で業績を残されていました.その後任として,私が行くことに決まったのです.もともと海外で基礎研究をやろうとは考えていましたが,実はそのときは,甘い考えで努力すればDR-1などの臨床研究も同時にできるかな,と考えていました.しかしいざマイアミに行ってみると,後藤先生の残された資料をみても自分にはチンプンカンプンで理解できなかったので,そちらはきっぱりあきらめて基礎研究に集中することにしました.といっても初めはなにをやっていいのやらわからず,怒られてばかりで時が過ぎ去り,自分はいったい何をしに留学しているのだろうと考えていました.しかし,つらいときは周りに仲間がいるもので,逆にフェロー同士がとても親しく心から信頼し合えました.こういう友人も人生の財産となると思います.マイアミでは,ボストンといったアカデミックな大都市の大学で研究生活とは,またひと味違った留学生活を送ることができました.こういった小規模なラボのメリットは,ボスと接する時間が長く,自分のプロジェクトを早くからもたせてもらえることでしょう.設備,コラボ,動物実験などのデメリットもいろいろありますが,私にとってはそれらを打ち消すメリットがありました.この留学で得られた成果は,世界中の友人,家族と過ごす時間,研究に対する考え方,論文を書く技術,自分を見つめ直す時間,などです.アメリカ留学後アメリカ留学では,医局にほとんど属していないような状態で行きましたので,帰国後はどうしようか,と考えていました.島?潤先生に“歯科大に戻ってこないか”と声をかけていただいたおかげで,またもとの環境に戻ることができました.研究も角膜センターアイバンク,慶應義塾大学と,いろいろな方面からサポートしていただいています.アメリカで多少の業績をつくることはできましたが,それは布石であり,今からどう発展させることができるか,が大事だと思います.これからもいい出会いを大切にしていこうと思います.川北哲也(かわきた・てつや)1970年生まれ1995年金沢大学医学部卒業,小牧市民病院研修医(ローテート研修)2000年名古屋大学大学院修了,東京歯科大学病院助手2002年OcularSurfaceCenter(Miami,FL)研究員2005年東京歯科大学眼科講師2007年慶應義塾大学医学部眼科講師(80)☆☆☆図22005年ARVOの写真Dr.Sche?erTsengとそのフェローたち.