———————————————————————-Page1あたらしい眼科Vol.23,No.10,2006????私が思うこと●シリーズ①(75)はじめに新しい企画として,今度から好きな文章を書いてリレーするそうです.どういう訳でしょう?小生にトップバッターが回ってきました.何でも書いていいよ…と言われておりますので,個人的な留学の思い出を書いてみようと思います.私は1997年から3年間,アメリカのボストンに留学しました.ボストンは,最初にイギリス人がメイフラワー号で入植した地,いわば今のアメリカが始まった場所です.街中に史跡がちらばり,休日ともなると観光客でいっぱいです.人々はわかりやすく路に赤い線でかかれた「フリーダムトレイル」という遊歩道を歩いたり(線に沿って歩くだけで主な史跡を廻れます),ユニークな形の水陸両用車で街の観光とチャールズ川でのクルージングを両方楽しむ「ダックツアー」なる観光ツアーに参加したりしていました(ガイドの指示で,観光途中アヒルのようにグワッグワッと声を出さねばなりません).ボストンに留学する眼科医は多く,身近な方からお話しを聞くでしょうし,「アニー・マイ・ラブ」というテレビドラマや「バンビーノの呪い」を破った大リーグボストン・レッドソックス等々,きっと皆さんも馴染みある街ではないでしょうか.スケペンス眼研究所スケペンス眼研究所は,ボストン市のダウンタウンにあります.研究所のすぐ前には,アメリカで最初にできたという消防署があり,その後ろにはビーコンヒルと呼ばれる,中世ヨーロッパを思わせる煉瓦づくりの住宅街が広がっていました.Dr.スケペンスはあまりに有名な網膜の先生ですが,もともとDr.スケペンスが創られた研究所がどんどん発展し,臨床研究部門(retinaassoci-ates)と基礎研究部門が両立する,ハーバード大学附属の大研究所となっていました.私のいた基礎研究部門だけでも免疫学,生理学,生化学,病理学,遺伝子学,分子生物学などいくつものラボがあります.かの高名なMassachusettsEyeandEarIn?rmaryやMassachu-0910-1810/06/\100/頁/JCLS園田康平(???-??????????)九州大学大学院医学研究院眼科学分野1965年鹿児島県生まれ.趣味はテニス,スキューバダイビング,睡眠.研修医の頃ベーチェット病の患者さんに接したのを機会に,ライフワークはベーチェット病と決心する.免疫の話で悪酔いするのも好きな,「おたく」なやつである.(園田)留学の思い出▲研究所前のビーコンヒル向かって一番正面がアメリカ最古の消防署.▲スケペンス眼研究所正面———————————————————————-Page2????あたらしい眼科Vol.23,No.10,2006settsGeneralHospitalは歩いて数分以内の距離で,論文で名前しか知らなかった有名な先生と(その気になれば?)容易に共同研究ができる環境です.眼科だけでこれだけ充実して各分野で研究できる環境が揃ったところはあまりないのではないでしょうか?そういう訳でしょうか,日本のいろんな施設から多くの先生が留学されていました.同時期に留学していた先生方とは家族ぐるみのおつき合いをさせていただきました(大きな声では言えませんが,アメリカにいても日本語をしゃべることが多く,英語はあんまり上達しませんでしたが……).このときの先生方とはいろいろ通じ合うところが多く,帰国後いまだに学会の度に集まってお酒を飲んでおります.話題も子供やゴルフ,好きなお酒の話など,なんだか仕事以外のことが多く,尽きることがありません.留学のとき,苦楽をともにした皆さんは,私にとって今もかけがえのない方々です.アメリカでの出産そして怪我最初ボストンには夫婦2人で行ったのですが,ちょうど1年すぎた頃妻が妊娠しました.出産を現地でするか一時帰国するか迷いました.幸いボスのOKをもらい,毎月の定期検診にはラボを休んで妻に同行していました.担当医師とのやりとりや,病院の設備・ケア体制など説明を受けるなかで,妻と話し合ってボストンで出産することにしました.私どもの少し前に愛媛大学の宮本和久先生ご夫妻や東京医科大学の毛塚剛司先生ご夫妻が元気に現地出産されるのを見て,これにも大いに元気づけられました.無事に長女が生まれたのですが,直後1週間はラボをお休みしました.また義母がボストンまでヘルプに来てくれたり,宮本先生・毛塚先生からはベビー用品を譲って頂いたりと,周りの人に助けてもらい何とかやれたのだと思います.そして我が家で使ったベビー用品は,また次の方のところに廻って行きました….帰国後長男が生まれ,日米の出産を経験しました.異国での出産はそれなりの覚悟はいりますが,善し悪し両方だと思います.アメリカは産後48時間で退院だったりするのは大変ですが,研究所が出産に対して柔軟に対応してくれた(=十分休ませてくれた)のは助かりました.おかげでなんだか家族の時間は沢山とれたように思います.しかし…娘だけアメリカ市民権をもっており,将来アメリカに行く・アメリカ人男性と結婚する,といわれたらどうしよう?などと今から心配したりします(封建的九州男児と批判されそうですね…).出産は別として,アメリカで病院のお世話にはなりたくないと思っていたのですが,留学して1年ほどたった頃,雪道で滑った拍子に花壇の柵に顔をつっこみ眼窩底骨折を起こしてしまいました.眼に柵が突き当たらなくて本当に不幸中の幸いでしたが,1週間後全身麻酔手術となり大変心細い思いをしました.幸い手術は大成功で,まったく眼球運動障害などの後遺症はありませんし,外見も怪我をしたのがわからないぐらいに回復しました.形成外科のドクターが執刀したようですが,その手術技術の高さとナースが訓練されているのには感動しました.しかし一泊入院で,術翌日に全身麻酔明けのふらふらの状態で退院させられたのには参りました.全身麻酔なのに導尿されず,おしっこが出るのを確認して帰されました.(それをもって麻酔が覚めたとするようですが…これは患者本人としてはかなり大変でした….)アイデアの浮かぶとき旅行が好きな小生は,学会にかこつけては留学中よくアメリカ内外に旅行に行かせてもらいました.また週末は泊まりがけであちこちドライブに行きました.高速道路は原則的に無料ですし,どこに行ってもモーターインなどの安い宿泊施設が充実しています.貧乏暮らしのポスドクでも車の旅行は気軽にできます.諸先輩方も口をそろえて言われることですが,やはり自然のスケールの大きさには圧倒されました.少し街から離れると,果てしなく続く森林・山河があります.紅葉の時期には見事な紅葉が連山全体を覆います.旅行ばかりしていると「怠けている…」ともとられます.それまで日本では研究室にこもって実験することを自分のなかで諒としてきました.留学中ですので,「せっかくの機会だ,人生を楽しもう!」と旅行にばっかり行き始めたのですが,旅行中何気ないときに研究のアイデアがよく浮かんでいました.気分転換で頭をスッカラカンにすると,煮詰まっていた仕事のブレークスルーが見つかり,かえって効率がいいことにも気がつきました.遊んだ言い訳に聞こえるかも知れませんが,遊びも大事だと思います.そんなことを気付かせてくれた留学生活でした.(76)