702(10あ0)たらしい眼科Vol.28,No.5,20110910-1810/11/\100/頁/JC(O0P0Y)《第44回日本眼炎症学会原著》あたらしい眼科28(5):702.705,2011cはじめにサイトメガロウイルス(cytomegalovirus:CMV)網膜炎は通常免疫能の低下した患者に日和見感染として発症する.進行性の網膜壊死をきたし,免疫能の回復あるいは適切な治療が行われなければ,病変は拡大進展し,視神経や黄斑部が障害されたり,萎縮網膜に裂孔を生じて網膜.離をきたすこともある予後不良の疾患である.CMV網膜炎は特徴的な眼底所見に加え,眼局所や全身におけるCMV感染を証明し,また全身的に免疫不全状態であることを確認できれば,診断は確実なものとなる1).今回筆者らは免疫能が正常な状態と考えられるにもかかわらずCMV網膜炎が発症した1例を経験したので報告する.I症例患者:65歳,女性.主訴:右眼飛蚊症.現病歴:10日前より右眼飛蚊症を自覚し,近医受診したところ精査を勧められ当院紹介受診した.〔別刷請求先〕菅原道孝:〒101-0062東京都千代田区神田駿河台4-3井上眼科病院Reprintrequests:MichitakaSugahara,M.D.,InouyeEyeHospital,4-3Kanda-Surugadai,Chiyoda-ku,Tokyo101-0062,JAPAN免疫正常者に発症したサイトメガロウイルス網膜炎の1例菅原道孝本田明子井上賢治若倉雅登井上眼科病院ACaseofCytomegalovirusRetinitisinanImmunocompetentPatientMichitakaSugahara,AkikoHonda,KenjiInoueandMasatoWakakuraInouyeEyeHospital緒言:免疫能が正常と考えられる状態で発症したサイトメガロウイルス(CMV)網膜炎の1例を報告する.症例:65歳,女性.10日前からの飛蚊症を主訴に当院受診.初診時視力は右眼(1.2),左眼(0.8),眼圧は右眼37mmHg,左眼19mmHg,右眼前房内・前部硝子体中に炎症細胞を認めた.右眼眼底に雪玉状硝子体混濁および下鼻側に白色の滲出斑がみられた.全身検査を施行したが,特に異常はなかった.初診より1カ月後光視症を自覚し,滲出斑の拡大,網膜血管の白線化が出現したため,前房水を採取したところCMVDNAが検出され,CMV網膜炎と診断した.バルガンシクロビルの内服を開始し,免疫能異常や全身疾患の有無を再度精査したが,特に異常はなかった.内服開始3週間で滲出斑はほぼ消失した.内服中止後3カ月で網膜出血が一時増加したが,経過観察とした.以後再発はない.結論:健常者にもCMV網膜炎は発症することがあり,注意する必要がある.A65-year-oldfemalevisitedourclinicwithcomplaintoffloatersinherrighteye.Onadmission,herbestvisualacuitymeasured20/16ODand20/25OS,withrespectiveintraocularpressuresof37mmHgand19mmHg.Slitlampexaminationoftherighteyeshowedaqueouscellsandvitreouscells;funduscopicexaminationrevealedsnowballvitreousopacitiesandwhiteretinalexudatesintheinferonasalmidperiphery.Noabnormalitywasfoundsystemically.Onemonthlater,thepatientcomplainedofphotopsiainherrighteye;funduscopicexaminationrevealedenlargedwhiteretinalexudatesandarterialsheathing.Cytomegaloviruus(CMV)DNAwasdetectedintheaqueoushumor,resultinginadiagnosisofCMVretinitis.Thepatientwastreatedwithvalganciclovir.Laboratoryexaminationswereunremarkable,andshewasimmunocompetent.After3weeks,theretinalexudatesdisappeared.After3months,westoppedvalganciclovirandobservedanincreaseinretinalhemorrhage;sincethentherehasbeennorelapse.CMVretinitismayoccurinanindividualwhosegeneralconditionisgood,withnosystemicsymptomsorcomplications.〔AtarashiiGanka(JournaloftheEye)28(5):702.705,2011〕Keywords:サイトメガロウイルス網膜炎,免疫能正常,バルガンシクロビル.cytomegalovirusretinitis,immunocompetent,valganciclovir.(101)あたらしい眼科Vol.28,No.5,2011703既往歴:胃炎,膝関節痛,不整脈.家族歴:特記すべきことなし.初診時所見:視力は右眼0.08(1.2×sph.2.75D(cyl.1.5DAx100°),左眼0.02(0.8×sph.12.0D(cyl.2.0DAx70°),眼圧は右眼39mmHg,左眼19mmHgであった.右眼前房内に1+~2+の炎症細胞,雪玉状硝子体混濁,左眼には核白内障がみられた.眼底は右眼の下鼻側の網膜静脈周囲に白色病変を認めた(図1)が,左眼には異常はなかった.蛍光眼底造影(FA)では右眼下鼻側の白色病変からの蛍光漏出はみられなかった(図2).血液検査では白血球4,100/μl(分葉好中球66%,リンパ球27%,単球5%,好酸球1%,好塩基球1%),血沈18mm/h,CRP(C反応性蛋白)0.2mg/dl,ACE(アンギオテンシン変換酵素)17.6U/lと正常であった.ツベルクリン反応は0mm×0mm/14mm×14mm硬結はなく弱陽性,HTLV(ヒトT細胞白血病ウイルス)-I抗体,HIV(ヒト免疫不全ウイルス)抗体は陰性であった.CMVIg(免疫グロブリン)G抗体は11.1(基準値2.0未満),IgM抗体は0.19(基準値0.80未満)であった.経過:右眼の原因不明の汎ぶどう膜炎と続発緑内障の診断でベタメタゾン点眼・ブリンゾラミド点眼処方し,経過観察とした.点眼治療で前房内炎症は軽減していたが,眼底は著変なかった.初診から1カ月後に右眼に光視症が出現した.光視症出現時視力は右眼(1.2),左眼(1.0),眼圧は右眼24mmHg,左眼22mmHgで,右眼は前房内および前部硝子体中に炎症細胞1+であった.眼底は,右眼の下鼻側の白色病変が拡大し,網膜動脈の白線化が3カ所みられた(図3).図1初診時眼底(下図:下鼻側拡大写真)右眼の下鼻側に,網膜静脈周囲に白色病変(黒矢印)を認めた.図2初診時FA右眼の下鼻側の白色病変からは特に蛍光漏出を認めなかった.図31カ月後眼底右眼の下鼻側の白色病変(黒矢印)が拡大し,網膜動脈の白線化(白矢頭)が3カ所みられた.704あたらしい眼科Vol.28,No.5,2011(102)FAでは右眼の下鼻側の白色病変から蛍光漏出を認めた(図4).眼底所見からウイルス性網膜炎を疑い,前房水0.2mlを採取してウイルスDNAをpolymerasechainreaction(PCR)法で検索した結果,CMVDNAが検出された.単純ヘルペスおよび帯状疱疹ウイルスDNAはいずれも確認されなかった.眼底所見とPCR法の結果からCMV網膜炎と診断し,内科に免疫能異常や全身疾患の検索を依頼した.内科での血液検査では白血球4,250/μl(分葉好中球67.5%,リンパ球27%,単球4%,好酸球0.5%,好塩基球1%),CD4陽性Tリンパ球501/μl,CD8陽性Tリンパ球409/μlと正常範囲であった.その他,全身状態に異常は認めず,内科では経過観察となった.当院ではバルガンシクロビル(バリキサR)1,800mg/日内服を開始した.1週間の内服で前房炎症,白色病変とも減少し,内服開始3週間で白色病変はほぼ消失したので,バルガンシクロビルを半量の900mg/日に減量した.さらに3週間内服を継続し再発がないのを確認して,内服を中止した.内服中止約3カ月後に右眼の下鼻側の白色病変は消失していたが,上耳側・下耳側に散在した出血斑を認めた(図5).再燃と考えたが,網膜病変が周辺部で活動性が低いことから経過観察とした.以後再燃はなく,経過している.II考按CMVはヘルペスウイルス科に属するDNAウイルスである.日本人のほとんどは,成人に達するまでに初感染を受ける.通常は終生にわたり不顕性に経過する.後天性免疫不全症候群(acquiredimmunodeficiencysyndrome:AIDS),白血病,悪性リンパ腫,自己免疫疾患など疾患そのものにより免疫能が低下した患者や悪性腫瘍または臓器移植後などで抗癌剤や免疫抑制薬を投与され医原性に免疫能が低下したりすると,潜伏していたCMVが再活性化され網膜炎などをひき起こす.臨床所見は後極部の網膜血管に沿って出血や血管炎を伴った黄白色病変として生じる劇症型と,眼底周辺部に白色の顆粒状混濁としてみられる顆粒型に大別される.萎縮網膜に裂孔が生じて網膜.離をきたしたり,病変が網膜全体や視神経に及んだりして,最終的には失明に至ることもある.診断は眼内液からCMVのゲノムを証明し,全身的に免疫不全状態にあることを確認できれば,確実である1).本症表1健常人に発症したCMV網膜炎の報告.9例11眼.年齢32~69歳(平均53.2歳).性別男性7例,女性2例.罹患眼片眼7例,両眼2例.高眼圧5例.虹彩炎7例.硝子体炎7例.CMVDNA7例.HIV(.)8例.免疫状態CD4陽性細胞低下3例CD8陽性細胞低下1例.治療ステロイド点眼のみ2例ガンシクロビル点滴4例硝子体注射3例内服1例硝子体手術3例過去に報告された症例2~9)について,特徴をまとめた.図41カ月後FA右眼の下鼻側の白色病変(黒矢印)より蛍光漏出を認めた.図5再燃時眼底右眼の下鼻側の白色病変は消失していたが,上耳側・下耳側に散在した出血斑(黒矢印)を認めた.(103)あたらしい眼科Vol.28,No.5,2011705例ではAIDSや悪性腫瘍などの基礎疾患やステロイドなどの免疫抑制薬の使用もなく,血液検査でもCD4陽性細胞数の減少など免疫能の低下を示唆する所見はなかった.眼底に白色滲出病変がみられ,前房水のPCRからCMVDNAが検出されたこと,抗CMV薬であるバルガンシクロビルの使用により眼底病変が沈静化したことから健常人に発症したCMV網膜炎と診断した.健常人にCMV網膜炎を発症した過去の報告をまとめたものを示す(表1)2~9).これまで9例11眼が報告されている.年齢は平均53.2歳,性別は男性,罹患眼は片眼が多い.本症例のように高眼圧,虹彩炎,硝子体中の炎症を認めたものが多い.診断についてはPCR法により前房水中のCMVDNAが検出されたのは7例,陰性は1例,未施行は1例であった.免疫状態はCD4陽性細胞もしくはCD8陽性細胞が低下していたものもあるが,本症例はどちらも認めなかった.治療はステロイド点眼のみで2例軽快しているが,ほとんどの症例でガンシクロビルを使用していた.吉永らは,免疫能正常者に発症したCMV網膜炎について,免疫能が低下した患者に発症する典型的なCMV網膜炎の臨床像とは異なり,前眼部や硝子体の炎症反応が強く,高眼圧を伴っており,免疫能が正常なために,いわゆるimmunerecoveryuveitis(IRU)のような反応が同時に起こり前房炎症や硝子体混濁が強く生じたものとしている2).IRUはCMV網膜炎の合併,あるいは既往のあるAIDS患者に抗ヒト免疫不全ウイルス多剤併用療法(highlyactiveantiretroviraltherapy:HAART)を導入後,免疫機構が回復する際に眼内の炎症反応が起こる病態を示す.その原因はいまだ解明されていないが,HAARTや抗CMV治療によりCMV網膜炎が沈静化し,回復した細胞性免疫機能により眼内に残存するCMV抗原あるいは何らかの自己抗原に対する免疫反応が起こることが発症機序として考えられている10,11).今回の筆者らの症例も前房内炎症や硝子体混濁もみられ,正常な免疫状態のために典型的なCMV網膜炎とは異なる様相を呈したと考えた.健常人でCMV網膜炎を発症した場合,非特異的な経過をとる場合があり,注意深い経過観察が必要と考えた.文献1)永田洋一:サイトメガロウイルス網膜炎.眼科診療プラクティス16,眼内炎症診療のこれから(岡田アナベルあやめ編),p120-125,文光堂,20072)吉永和歌子,水島由佳,棈松徳子ほか:免疫正常者に発症したサイトメガロウイルス網膜炎.日眼会誌112:684-687,20083)堀由紀子,望月清文:緑内障を伴って健常成人に発症したサイトメガロウイルス網膜炎の1例.あたらしい眼科25:1315-1318,20084)北善幸,藤野雄次郎,石田正弘ほか:健常人に発症した著明な高眼圧と前眼部炎症を伴ったサイトメガロウイルス網膜炎の1例.あたらしい眼科22:845-849,20055)MichaelWS,JamesPB,JulioCM:Cytomegalovirusretinitisinanimmunocompetentpatient.ArchOphthalmol123:572-574,20056)高橋健一郎,藤井清美,井上新ほか:健常人に発症したサイトメガロウイルス網膜炎の1例.臨眼52:615-617,19987)松永睦美,阿部徹,佐藤直樹ほか:糖尿病患者に発症したサイトメガロウイルス網膜炎の1例.あたらしい眼科15:1021-1024,19988)前谷悟,中西清二,松浦啓太ほか:健康な青年にみられたサイトメガロウイルス網膜炎の1例.眼紀45:429-432,19949)二宮久子,小林康彦,田中稔ほか:健常人に発症した著明な高眼圧と前眼部炎症を伴ったサイトメガロウイルス網膜炎の1例.あたらしい眼科10:2101-2104,199310)KaravellasMP,AzenSP,MacDonaldJCetal:ImmunerecoveryvitritisanduveitisinAIDS.Clinicalpredictors,sequelae,andtreatmentoutcomes.Retina21:1-9,200111)KaravellasMP,LowderCY,MacDonaldJCetal:Immunerecoveryvitritisassociatedwithinactivecytomegalovirusretinitis:anewsyndrome.ArchOphthalmol116:169-175,1998***