《第53回日本眼感染症学会原著》あたらしい眼科34(6):875.879,2017c悪性リンパ腫患者に発症した前眼部炎症を伴うサイトメガロウイルス網膜炎の1例谷口行恵佐々木慎一矢倉慶子宮﨑大山﨑厚志井上幸次鳥取大学医学部視覚病態学分野ACaseofCytomegalovirusRetinitiswithAnteriorChamberIn.ammationinaPatientwithMalignantLymphomaYukieTaniguchi,Shin-ichiSasaki,KeikoYakura,DaiMiyazaki,AtsushiYamasaki,YoshitsuguInoueDivisionofOphthalmologyandVisualScience,FacultyofMedicine,TottoriUniversityサイトメガロウイルス(Cytomegalovirus:CMV)網膜炎は免疫不全状態の患者に発症し,通常は前眼部炎症や硝子体炎などの炎症所見に乏しい.今回,前眼部炎症を伴うCMV網膜炎の1例を経験したので報告する.症例は80歳,男性.悪性リンパ腫に対する化学療法中に両眼の霧視にて受診.両眼に前眼部炎症と眼底に出血を伴う白色病変を認めた.Real-timepolymerasechainreaction(PCR)法で前房水中1.4×106コピー/mlのCMV-DNAを認め,CMV網膜炎と診断.ガンシクロビル点滴および硝子体内注射により治療を開始し,前眼部炎症は速やかに消退.網膜病変も3カ月半後には鎮静化した.経過中real-timePCR法にて前房水中のCMV-DNAを測定した.発症時に強い前眼部炎症を伴っていたことは,本症例が後天性免疫不全症候群のように重篤な免疫抑制状態になかったため,免疫回復ぶどう膜炎と類似した反応が起こった可能性が推測された.鑑別診断と治療効果のモニタリングにreal-timePCR法が有用と思われた.Cytomegalovirus(CMV)retinitisoccursinimmunocompromisedpatientsandusuallydoesnothavesigni.cantin.ammatoryreactionssuchasanteriorchamberin.ammationorvitritis.WereportacaseofCMVretinitiswithanteriorchamberin.ammation.An80-year-oldman,whohadunderwentchemotherapyformalignantlymphoma,wasreferredtouswiththecomplaintofbilateralblurredvision.Botheyesshowedanteriorchamberin.ammationandwhiteretinallesionwithhemorrhage.HewasdiagnosedasCMVretinitis,because1.4×106copies/mlofCMV-DNAwasdetectedintheaqueoushumorbyreal-timepolymerasechainreaction(PCR)method.Treatmentwithsystemicandintraocularganciclovirwasstarted,andanteriorchamberin.ammationhadbecomeregressedpromptly,andretinitishadbecomesubsidedwithin3andahalfmonths.Duringthecourse,CMV-DNAamountinaqueoushumorhadbeenmonitoredbyreal-timePCRmethod.Theanteriorchamberin.ammationwasobservedbecausethiscasewasnotsoseverelyimmunocompromisedlikeacquiredimmunode.ciencysyndrome.Thismani-festationispresumedtobesimilartoimmunerecoveryuveitis.Real-timePCRwasusefulfordiagnosingCMVret-initisandmonitoringthee.ectofthetherapy.〔AtarashiiGanka(JournaloftheEye)34(6):875.879,2017〕Keywords:サイトメガロウイルス網膜炎,悪性リンパ腫,前眼部炎症,real-timepolymerasechainreaction(PCR)法.cytomegalovirusretinitis,malignantlymphoma,anteriorchamberin.ammation,real-timepolymerasechainreaction(PCR)method.はじめに症候群(acquiredimmunode.ciencysyndrome:AIDS)患サイトメガロウイルス(Cytomegalovirus:CMV)網膜炎者においては主たる眼合併症である.CMV網膜炎はウイルは免疫不全状態にあるものに発症し,とくに後天性免疫不全スの直接的な網膜での増殖による病変であり,通常は前眼部〔別刷請求先〕谷口行恵:〒683-0826鳥取県米子市西町36-1鳥取大学医学部視覚病態学分野Reprintrequests:YukieTaniguchi,M.D.,DivisionofOphthalmologyandVisualScience,FacultyofMedicine,TottoriUniversity,36-1Nishicho,Yonago-shi,Tottori683-8504,JAPAN炎症や硝子体炎などの炎症所見に乏しいといわれている1).しかし,近年ではAIDS患者のみならず,血液腫瘍性疾患や臓器移植,抗癌剤治療による免疫不全に伴うものや,明らかな免疫不全のない健常者といった,非AIDS患者におけるCMV網膜炎の報告も多数ある2.9).さらに,非AIDS患者におけるCMV網膜炎では,眼内炎症などの多様な臨床所見が認められている2,4,6.8).今回,筆者らは悪性リンパ腫に対する化学療法中に前眼部炎症を伴うCMV網膜炎を発症した1例を経験したので報告する.I症例患者:80歳.男性.主訴:両眼の霧視.既往歴:60歳代,両眼白内障手術.79歳,悪性リンパ腫(びまん性大細胞型B細胞リンパ腫).現病歴:近医血液内科で悪性リンパ腫に対し,2015年4月下旬よりリツキシマブ,エトポシド,プレドニゾロン,ビンクリスチン,シクロフォスファミド,ドキソルビシンを用いた化学療法(R-EPOCH療法)を施行中.著明な骨髄抑制を認め,顆粒球コロニー刺激因子(granulocyte-colonystimulatingfactor:G-CSF)の投与および輸血を施行しながら化学療法を継続していた.2015年6月下旬より両眼の霧視あり.10日後に近医眼科受診.両眼とも前眼部に角膜後面沈着物(keraticprecipitate:KP)を伴う前房内炎症所見を認め,眼底にはCMV網膜炎を強く疑わせる白色病変が著明であった.翌日当科を紹介受診した.初診時所見:視力は右眼0.07(0.8),左眼0.09(1.2).眼圧は右眼16mmHg,左眼12mmHgであった.角膜内皮細胞密度は右眼1,610/mm2,左眼1,988/mm2.両眼に右眼優位に小さな豚脂様KPと前房内細胞を認めた(図1).右眼眼底には,下方アーケード血管に沿って出血を伴う白色病変を認めた.また,鼻側上方には顆粒状の白色病変を認め,病型としては後極部劇症型と周辺部顆粒型であった(図2a).左眼眼底には,上方アーケード外にわずかに出血斑を伴う白色病変を認め,病型としては周辺部顆粒型であった(図2b).両眼ともに硝子体中に細胞を認めた.右眼の前房水よりreal-図1初診時前眼部写真a:右眼.小さな豚脂様角膜後面沈着物を認める.b:左眼.小さな豚脂様角膜後面沈着物を軽度認める.図2初診時眼底写真a:右眼.後極部劇症型+周辺部顆粒型病変.b:左眼.周辺部顆粒型病変.ab右眼左眼図3治療中の眼底写真a:治療6日目.出血性変化が目立つ.b:治療112日目.病変部位の網膜は極度の菲薄化を残し鎮静化した.timepolymerasechainreaction(PCR)法で1.4×106コピー/mlのCMV-DNAを認めた.なお,前房水中の単純ヘルペスウイルスDNA,水痘帯状疱疹ウイルスDNAは陰性であった.血液検査では白血球数41.7×103/μl,分画は好中球97%,リンパ球1%,単球0%,好酸球1%,好塩基球1%とリンパ球数の低下を認めた.CD4陽性Tリンパ球数は未測定.白血球の著明な増多はG-CSF投与による一時的なものと考えられた.CMV抗原血症検査(CMVアンチゲネミア)は陰性であった.II治療および経過眼底所見および前房水real-timePCRの結果よりCMV網膜炎と診断.全身投与としてガンシクロビル点滴600mg/日(5mg/kg,1日2回)を3週間継続の後,300mg/日(5mg/kg,1日1回)に減量し1週間,その後バルガンシクロビル内服900mg/日に切り替えた.なお,ガンシクロビル投与開始より5日目,6日目の2日間は化学療法による著明な骨髄抑制を認めたため,ガンシクロビルは半量投与とした.局所投与としては,ガンシクロビル750μg/0.15mlの硝子体内注射を両眼に週1回(合計12回)行い,硝子体注射時に前房水を0.1ml採取しreal-timePCRにてCMV-DNA量をモニタした.また,前眼部炎症も伴っていたことより0.5%ガンシクロビル点眼を両眼に1日6回,0.1%ベタメタゾン点眼を両眼に1日4回行った.治療開始2日目より両眼底の出血性変化が目立ち,右眼の後極部劇症型部位はかなりの範囲が出血で覆われ,黄斑下方は網膜下出血となった.治療20日目には両眼ともに白色病変は徐々に消退し,同部位の網膜の菲薄化を認めた.右眼後極の出血も吸収傾向となった.治療112日目には病変部位の網膜は極度の菲薄化を残し鎮静化した(図3).また,化学療法による骨髄抑制のため,治療開始5日目より末梢血中リンパ球数が100/μl台まで一時低下したが,その後のリンパ球数の回復と同時期に硝子体混濁の増強を認めた.なお,前眼部炎症は約1カ月をかけて徐々に軽快し,経過中に眼圧上昇や角膜内皮細胞密度の減少は認めなかった.前房水中CMV-DNA量は,眼底の出血性変化が目立っていた治療開始後8日目時点では右眼が6.8×106コピー/ml,左眼が3.9×106コピー/mlと一時的に増加を認めたが,その後は低下を認め,治療開始91日目の最終の硝子体注射時点では両眼とも1.1×102コピー/mlであった(図4).↑↑入院退院図4治療経過と前房水中CMV.DNA量の推移III考按本症例は悪性リンパ腫に対し化学療法中であり,著明な骨髄抑制が認められていた.2015年6月末の自覚症状が現れた時点での白血球数は,前医のデータより0.8×103/μl(リンパ球26.2%)と低下しており,免疫抑制状態であったことが推察された.眼底所見とreal-timePCRにて前房水中のCMV-DNA高値を認めたため,CMV網膜炎と診断した.CMV網膜炎では,通常は前眼部炎症や硝子体炎などの炎症所見に乏しいといわれているが,本症例では前眼部炎症と硝子体混濁を伴っていた.近年では,非AIDS患者におけるCMV網膜炎の報告も多数あり,重要性を増している4,5,9).柳田らは,2003.2013年の10年間に東京大学医学部附属病院眼科を受診したCMV網膜炎の症例36例53眼につき,臨床像および視力予後の検討をしているが,基礎疾患は36例中22例(61%)を血液腫瘍性疾患,8例(22%)をAIDSが占め,AIDSと血液腫瘍性疾患が大半を占めた.また,36例中糖尿病を有する症例は9例あり,そのうち1例はHbA1c5.9%と血糖コントロール良好で,他に明らかな全身疾患のない患者であったと報告している3).非AIDS患者においては眼内炎症などの多様な臨床所見が認められるとの報告もある.Pathanapitoonらは,非AIDS患者でCMVによる後部ぶどう膜炎あるいは汎ぶどう膜炎を起こした18例22眼の臨床像を検討しているが,18例中13例17眼は免疫抑制状態の患者で,17眼中10眼で汎ぶどう膜炎を認めている.18例中5例5眼は糖尿病または明らかな基礎疾患のない患者であったが,5眼中4眼で汎ぶどう膜炎が認められ,全体としては22眼中14眼(64%)に汎ぶどう膜炎を認めていた.免疫抑制状態の患者の中に非ホジキンリンパ腫は5例含まれていた2).このように明らかな免疫不全が認められない患者を含む非AIDS患者におけるCMV網膜炎では,眼内炎症を認めるなど,典型的なCMV網膜炎とは異なり,より多様な臨床所見を呈する可能性が示唆される.わが国において健常成人に発症したCMV網膜炎の報告でも,前眼部炎症や高眼圧などが認められている6).近年,AIDS患者に対して多剤併用療法(highlyactiveantiretroviraltherapy:HAART)導入後にCMV網膜炎罹患眼の眼内炎症が悪化することが知られ,免疫回復ぶどう膜炎(immunerecoveryuveitis:IRU)とよばれる.IRUの発症機序は明確に解明されていないが,HAARTによりCMV特異的T細胞の反応が回復すると,すでに鎮静化したCMV網膜炎病巣辺縁の細胞内でわずかに複製される残存CMV抗原が,免疫反応によりぶどう膜炎を顕在化させるとの説が有力である10).AIDS以外の疾患では免疫機能障害の程度がAIDSと異なっており,IRU様の反応が同時に起きているために眼内炎症が随伴すると推測される7).本症例は悪性リンパ腫に対する化学療法を契機に発症したCMV網膜炎であり,化学療法により一時的に著明な骨髄抑制を生じていた一方で,その後のリンパ球増加もあり,免疫状態は不安定であった.AIDSのように重篤な免疫抑制状態でなかったために,前述のIRUに類似した病態により前眼部炎症と硝子体混濁が生じた可能性が考えられる.治療経過において硝子体混濁が増強した時期と末梢血中リンパ球が増加した時期が一致していたことも矛盾しないと考えられる.なお,治療開始後の一時的な前房水中CMV-DNA量の増加と眼底出血の増加は,眼底の壊死性変化を反映したものと思われたが,治療との関連性は不明である.ただ,緑膿菌による細菌性角膜炎では,治療開始後に免疫反応により一時的に所見が悪化するケースがあることが知られており,免疫不全によるCMV網膜炎と異なり,今回のように免疫が関与しているCMV網膜炎では治療への反応性が単純ではないケースがありうると推測された.以上より,非AIDS患者におけるCMV網膜炎では典型的なCMV網膜炎とは異なり,より多様な臨床所見を呈する可能性を念頭に診療を行う必要があると考えられる.また,完全な免疫不全によるCMV網膜炎では,眼底の所見がそのままCMVの量を反映していると考えられるが,今回の症例のように同時に免疫反応が生じていると,臨床所見がウイルス増殖によるものか,免疫反応によるものか判断することがむずかしい.そのような場合,ウイルスの有無だけでなく量的評価のできるreal-timePCR法が診断および治療効果の評価において有用である.利益相反:利益相反公表基準に該当なし文献1)竹内大:ウイルス性内眼炎(ぶどう膜炎).あたらしい眼科28:363-370,20112)PathanapitoonK,TesabibulN,ChoopongPetal:Clinicalmanifestationsofcytomegalovirus-associatedposterioruveitisandpanuveitisinpatientswithouthumanimmuno-de.ciencyvirusinfection.JAMAOphthalmol131:638-645,20133)柳田淳子,蕪城俊克,田中理恵ほか:近年のサイトメガロウイルス網膜炎の臨床像の検討.あたらしい眼科32:699-703,20154)上田浩平,南川裕香,杉崎顕史ほか:非Hodgkinリンパ腫患者に発症した虹彩炎と高眼圧を併発したサイトメガロウイルス網膜炎の1例.あたらしい眼科31:1067-1069,20145)相馬実穂,清武良子,野村慶子ほか:サイトメガロウイルス網膜炎を発症した成人T細胞白血病の1例.あたらしい眼科26:529-531,20096)堀由起子,望月清文:緑内障を伴って健常成人に発症したサイトメガロウイルス網膜炎の1例.あたらしい眼科25:1315-1318,20087)吉永和歌子,水島由佳,棈松徳子ほか:免疫能正常者に発症したサイトメガロウイルス網膜炎.日眼会誌112:684-687,20088)北善幸,藤野雄次郎,石田政弘ほか:健常人に発症した著明な高眼圧と前眼部炎症を伴ったサイトメガロウイルス網膜炎の1例.あたらしい眼科22:845-849,20059)多々良礼音,森政樹,藤原慎一郎ほか:骨髄非破壊的同種骨髄移植後にサイトメガロウイルス網膜炎を発症した成人T細胞白血病.自治医科大学紀要30:81-86,200710)八代成子:HIV感染症に関連した眼合併症.医学と薬学71:2281-2286,2014***