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水晶体亜脱臼と多発性後極部網膜色素上皮症(MPPE)を合併した緑内障の1例

2013年4月30日 火曜日

《原著》あたらしい眼科30(4):561.567,2013c水晶体亜脱臼と多発性後極部網膜色素上皮症(MPPE)を合併した緑内障の1例善本三和子*1桃原久枝*2松元俊*1*1東京逓信病院眼科*2丸の内中央眼科診療所ACaseofGlaucomawithLensSubluxationandMultifocalPosteriorPigmentEpitheliopathyMiwakoYoshimoto1),HisaeMomohara2)andShunMatsumoto1)1)DepartmentofOphthalmology,TokyoTeishinHospital,2)MarunouchiCentralEyeClinic症例:52歳,男性.経過:2001年9月10日,左眼視力低下・眼圧上昇にて東京逓信病院眼科紹介初診.初診時,視力は右眼0.6(1.0),左眼0.04(0.7),眼圧は両眼15mmHg(左眼ラタノプロストとドルゾラミド点眼下),左眼の浅前房,前房内炎症,漿液性網膜.離と耳鳴があり,原田病を考えステロイド薬を全身投与し,視力は回復した.2008年頃より眼圧コントロールが悪化し,両眼の水晶体亜脱臼と白内障(R>L)も進行したため,2009年8月右眼白内障手術(眼内レンズ縫着)を施行するも,その後さらに右眼眼圧は上昇した.2010年8月左眼胞状網膜.離を発症.多発性後極部網膜色素上皮症(MPPE)を考え,左眼硝子体切除術を施行し,網膜は復位した.右眼は,同年9月線維柱帯切除術を施行後7日目に胞状網膜.離を起こしたが,経過観察のみで網膜は自然復位した.結論:漿液性網膜.離に対するステロイド薬治療後,両眼の胞状網膜.離を合併し,眼圧コントロールに苦慮した緑内障症例を経験した.Wereportthecaseofa52-year-oldmalewhoconsultedusonSept10,2001withvisualacuityof0.6(1.0)REand0.04(0.7)LE.Intraocularpressure(IOP)ofbotheyeswas15mmHg(withglaucomaeyedropsinLE),withshallowanteriorchamber;floatersandinflammatoryserousretinaldetachmentwerealsoobserved.Healsohadtinnitus.UpondiagnosisofHarada’sdisease,systemiccorticosteroidtreatmentwasadministered,resultinginrecoveryofvisualacuity.Sevenyearslater,IOPbecameelevatedandcataractouslenssubluxationdeveloped.AftercataractsurgerytoRE,itsIOPbecamecontinuouslyelevated.InAugust2010,bullousretinaldetachmentoccurredinLE;wediagnosedmultifocalposteriorpigmentepitheliopathy(MPPE).TheLEretinareattachedaftervitrectomy.TrabeculectomywasperformedinRE,butonpostoperativeday7,bullousretinaldetachmentoccurred.Within1month,however,theretinareattachedwithouttreatment.WeexperiencedacaseofHarada’sdiseasewithuncontrollablesevereglaucomathatdevelopedtoMPPE.〔AtarashiiGanka(JournaloftheEye)30(4):561.567,2013〕Keywords:浅前房,原田病,水晶体亜脱臼,多発性後極部網膜色素上皮症,緑内障.shallowanteriorchamber,Harada’sdisease,lenssubluxation,multifocalposteriorpigmentepitheliopathy(MPPE),glaucoma.はじめに浅前房の鑑別診断には,原発閉塞隅角緑内障と続発閉塞隅角緑内障があり,後者の原因のなかで,原田病は,水晶体後方組織の前方移動によるものの代表的な疾患である1).今回筆者らは,片眼の浅前房,前房内炎症,両眼後極部漿液性網膜.離,耳鳴を初発時症状とし,原田病と考え,ステロイド薬全身投与を行い,いったんは視力が回復した症例で,その数年後に水晶体亜脱臼と白内障が進行し,両眼に多発性後極部網膜色素上皮症(multifocalposteriorpigmentepitheliopathy:MPPE)を合併した緑内障症例を経験したので報告する.I症例と経過症例:52歳,男性.〔別刷請求先〕善本三和子:〒102-8798東京都千代田区富士見2-14-23東京逓信病院眼科Reprintrequests:MiwakoYoshimoto,M.D.,Ph.D.,DepartmentofOphthalmology,TokyoTeishinHospital,2-14-23Fujimi,Chiyoda-ku,Tokyo102-8798,JAPAN0910-1810/13/\100/頁/JCOPY(133)561 主訴:左眼視力低下.既往歴:右眼再発性角膜上皮.離.全身疾患は特記すべきことなし.家族歴:特記すべきことなし.現病歴:2001年5月頃より左眼のかすみと耳鳴を自覚したが放置していた.他に頭痛や感冒様症状,難聴,脱毛,毛髪および皮膚の白変などの症状はなかった.2001年8月29日,丸の内中央眼科診療所を受診し,視力は右眼(1.0),左眼(0.15),眼圧は右眼12mmHg,左眼18mmHg,左眼の浅前房を認めた.その後さらに左眼眼圧が上昇したため,ラタノプロスト(キサラタンR)点眼液とドルゾラミド(トルソプトR)点眼液を開始し,2001年9月10日東京逓信病院眼科(以下,当院)を紹介初診となった.現症:初診時視力は,VD=0.6(1.5×.3.0D(cyl.0.75DAx115°),VS=0.04(0.7×.4.25D(cyl.1.0DAx70°),眼圧は両眼ともに15mmHg(左眼のみ上記2剤点眼下)であった.前眼部所見では,右眼は異常なく,左眼で浅前房(vanHerick法Grade1),散瞳後に前房内cell(+)出現,隅角所見は,右眼Shaffer分類3度,左眼はShaffer分類0.1度と左眼は狭隅角であったが,両眼とも色素沈着はSheie分類0度,周辺虹彩前癒着(PAS)や結節はみられなかった.両眼とも,視神経乳頭に緑内障性変化はみられなかったが,両眼後極部に漿液性網膜.離を認めた.経過:初診当日施行したフルオレセイン蛍光眼底造影(FA)では,両眼に多発性の顆粒状の過蛍光と網膜下への蛍光色素の貯留を認めた(図1)ため,原田病を考え,ステロイド薬全身投与を開始した.治療開始時は,多忙で入院不可能であったため,髄液検査を施行することができず,プレドニゾロン(プレドニンR,以下PSL)80mg/日の内服から開始したが,効果不十分であった.2001年11月6日より入院にてステロイドパルス療法(PSL換算1,000mg/日×3日間)を施行し,その後漸減し,漿液性網膜.離は消失し,矯正視力も右眼(1.0),左眼(1.2)と改善したため,その後は,紹介元にて経過観察となった(図2).2002年6月24日,漿液性網膜.離が再発(図3)し,再度紹介受診となり,PSL40mg/日から開始し,漸減したところ,漿液性網膜.離は軽快したが,右眼には緑内障性視神経症が存在していた.2003年1月末まで当科にて経過観察したが,その間眼圧は右眼12.17mmHg,左眼13.21mmHgであった.2008年7月3日,緑内障性視神経症が進行したので再度紹介となり(図4),両眼にカルテオロール塩酸塩持続性点眼液(ミロルR)点眼にて,眼圧は右眼13mmHg,左眼16mmHg,矯正視力は右眼0.5p,左眼1.2,右眼には点状の角膜混濁とその周囲の角膜上皮障害(再発性)と水晶体亜脱臼を認め,左眼の水晶体亜脱臼ははっきりしなかったが,浅前房を認めた(図5).その後左眼眼圧が上昇したため,レーザー虹彩切開術を施行し,右眼はさらに水晶体亜脱臼が進行したため,2009年8月20日右眼水晶体全摘+眼内レンズ縫着術を施行したが,右眼は術後にさらに眼圧が上昇した.アセタゾラミド(ダイアモックスR)の内服やD-マンニトール(マンニトールR)の点滴静注を併用したが,眼圧のコントロールがつかず,経過中,ときに前房内炎症を認め眼圧が40mmHgに上昇したため,続発緑内障も考え,PSL20mg/日の内服を開始し,ようやく眼圧は20mmHg台に下降したが,その間に緑内障性視神経症が進行した.2010年3月,耳鳴と両眼後極部の漿液性網膜.離を認め,視力は右眼(0.4),左眼(0.9)と低下したため,原田病の再右眼左眼図1初診時FA写真右眼:後極部網膜には多発性の顆粒状の過蛍光があり,後期には蛍光色素の網膜下貯留(→)を認めた.左眼:黄斑部耳側に蛍光貯留所見(→)があり,視神経乳頭鼻側にも過蛍光部位が存在していた.562あたらしい眼科Vol.30,No.4,2013(134) 眼圧(mmHg)50454035302520151050:TOD:TOS80mg/日40mg/日左眼キサラタンR+トルソプトR両眼ミロルR左眼LI右眼catope20mg/日40mg/日左眼vit+catope右眼lectomyダイアモックスR内服右眼デタントールR右眼タプロスR右眼エイゾプトR右眼サンピロR左眼ミケランR+デタントールR:PSL内服治療:ステロイドパルス療法200109102001100320011029200112032002062420020715200208122002091920021031200212092008091820081106200903122009082520090903200910142009101820091029200911162009120320100114201003152010042620100520201006242010071201008262010101220101026201011102010120220101227201101202011021720110324201105122011063020110818経過観察日図2全経過表TOD=右眼圧,TOS=左眼圧,LI:レーザー虹彩切開術,catope:白内障手術,lectomy:線維柱帯切除術,vit+catope:硝子体切除術+白内障手術,PSL:プレドニンR.右眼左眼図32002年6月眼底写真漿液性網膜.離(→)が再発していた.(135)あたらしい眼科Vol.30,No.4,2013563 右眼左眼図42008年7月視神経乳頭写真両眼の緑内障性視神経症の進行を認めた.右眼左眼図52008年7月前眼部写真右眼:再発性の角膜上皮障害()と水晶体亜脱臼()を認めた.左眼:浅前房がさらに進行していた.発を考え,PSL40mg/日の内服を再開したが,効果が乏しく,2010年4月入院にて,ステロイドパルス療法を行った.1クール目のパルス療法には反応しなかったため,2クール目を施行したところ,視力は右眼(0.9),左眼(1.2)と回復したが,その後右眼の眼圧も20.30mmHg前後で経過し,PSL漸減中の2010年6月には眼底後極部に円形の漿液性網膜色素上皮.離を数カ所認めるようになった.PSLおよびアセタゾラミド(ダイアモックスR)両者ともに内服を中止することができずに経過観察していると,2010年7月より左眼の水晶体亜脱臼が進行し,同年8月12日には,左眼の胞状網膜.離を認め(図6),それまで矯正で1.2あった視力が0.3に低下した.網膜周辺部には明らかな裂孔形成はなく,Bモード超音波検査では,体位変換による網膜下液の移動が図62010年8月12日左眼眼底写真黄斑部を含む下方の胞状網膜.離を認めた.564あたらしい眼科Vol.30,No.4,2013(136) ☆☆☆☆図72010年8月13日左眼FA写真白矢印:点状の蛍光漏出部位を認め,後期にはその周囲に蛍光漏出が拡大した(☆).白縁取り矢印:色素上皮裂孔による強い過蛍光を認めた.図82010年9月17日右眼眼底写真(緑内障術後)黄斑部を含む,丈の高い胞状網膜.離を認めた.明らかであったが,強膜の肥厚や周辺部の脈絡膜.離は認められなかった.また,2009年8月右眼の白内障手術前に測定した眼軸長は,右眼で24.73mm,左眼では24.34mmであり,胞状網膜.離の原因としては,uvealeffusionではなく,MPPEを考えた.FAを施行した(図7)ところ,点状の蛍光漏出とその周囲に淡い後期過蛍光部位の拡大,黄斑部耳側から下方周辺部にかけて,色素上皮裂孔による境界明瞭な過蛍光を認めた.網膜.離のない蛍光漏出部位に対して,網膜光凝固を施行するも,胞状網膜.離はさらに拡大したため,同年9月3日,左眼硝子体切除術+眼内網膜光凝固+SF6(六フッ化硫黄)ガス注入術+亜脱臼水晶体摘出+眼内レンズ縫着術を施行した.術中所見では,広い範囲に網膜色素上皮裂孔に伴う網膜色素上皮の欠損が認められたが,幸いにも黄斑部は保たれており,術中に液-空気置換にて網膜を復位させた後に,術前FAの蛍光漏出部位には眼内光凝固術(137)を施行した.術後経過が比較的良好であったため,右眼の緑内障に対して,1週間後の9月10日線維柱帯切除術を施行した.術後は右眼の眼圧は10mmHg前後で経過していたが,右眼術後1週目の9月17日に右眼に胞状網膜.離が出現した(図8).左眼と同様にMPPEと考えたが,濾過手術直後であることを考え,硝子体手術は施行せずに経過観察としたところ,1カ月後右眼の網膜は自然復位した(図9).左眼は硝子体手術後,網膜.離の再発はなく網膜は復位した(図9).最終受診時の2011年8月18日,矯正視力は右眼0.2,左眼1.2,眼圧は右眼10mmHg,左眼はカルテオロール(2%ミケランR)点眼液とブナゾシン(デタントールR)点眼液点眼下で15mmHgであり,両眼ともに緑内障性視神経症が進行し,特に右眼では中心視野が消失し,視力は不良となったが,左眼ではMPPEと緑内障両方による視野障害を残したあたらしい眼科Vol.30,No.4,2013565 右眼左眼左眼図92010年10月21日両眼眼底写真右眼:胞状網膜.離は1カ月で自然復位した.左眼:硝子体切除術後,網膜は復位した.右眼左眼MD-29.90dBMD-23.25dB図102011年8月視野検査:HumphreySITA30.2右眼:緑内障性視神経症と網膜萎縮により矯正視力は0.2に低下した.左眼:中心視野は残存したため,矯正視力は1.2に保たれた.が,中心と耳側視野は保たれ,中心視力を温存することが可能であった(図10).II考按本症例は,約10年間に,原田病,水晶体亜脱臼,緑内障,再発性角膜上皮.離,MPPEによる胞状網膜.離などの多彩な眼病変を両眼性に認め,ステロイド薬全身投与,硝子体手術,緑内障手術などの手術治療を行ったが,最終的には緑内障性視野障害が進行し,片眼の視力低下を避けられなかった1症例である.原田病は,浅前房の鑑別診断として,ときに見逃されやすく注意を要する疾患であるが,本症例では初診時より眼圧上昇と浅前房があり,前駆症状としての耳鳴,後極部の漿液性網膜.離と合わせて原田病と考え,ステロイド薬治療を開始した.入院が不可能で外来通院時よりステロイド薬内服を開566あたらしい眼科Vol.30,No.4,2013始したため,髄液検査は施行できなかった.しかし,ステロイド薬治療に対する反応は良好で視力も回復したが,眼圧上昇は続き,水晶体亜脱臼が右眼に先行し進行性に増悪した.経過中の眼圧上昇の機序としては,浅前房と前房内炎症に伴う続発性との両方の機序が混合していると考えられたが,原田病の寛解期に施行した水晶体摘出と眼内レンズ縫着術後の著しい眼圧上昇は術前の予想を上回り,続発性の眼圧上昇と考えられ,ステロイド薬内服投与を追加することで,眼圧をいったんコントロールすることが可能であった.経過中のステロイド薬投与は,大きく分けるとパルス療法(PSL換算1,000mg/day×3日にて治療開始)が計3回,PSL内服単独治療(PSL40mg/dayにて投与開始)が計2回で,初発時のパルス治療に対する反応は良好で,その後のPSL内服治療は,眼底病変の再発と一時的な浅前房の進行,また右眼水晶体手術後の眼圧上昇時にそれぞれ使用したが,いずれも治療に反応していた.しかし,2010年3月以降の眼底病変に対する2回目のパルス療法には反応が悪く,その後同じ病変に対する2クール目として行った3回目のパルス療法に対する反応は良好であった(表1).過去に,原田病のステロイド薬治療中に胞状網膜.離をきたし,MPPEと診断された症例2)や,遷延化した原田病に胞状網膜.離を合併した症例などが報告3.5)されているが,MPPEなどの疾患を含む一連の網膜色素上皮症に対するステロイド薬治療は無効であるだけでなく,むしろ増悪させるともいわれており,ステロイド薬の投与は網膜色素上皮症の発症原因に関与しているとも考えられている6.8).本症例のステロイド薬治療に対する反応を顧みると,初発時とその後のステロイド薬投与によく反応していた時期は原田病の診断(138) として正しいと考えられたが,2010年3月の2回目のステロイドパルス療法の頃より認められた漿液性網膜.離,網膜色素上皮.離は,MPPEの所見の一部をみていた可能性も考えられた.そして,本症例のMPPEの発症機序には,2001年の原田病発症時以降,その再発時,または浅前房の悪化,眼圧上昇時など,長年にわたるステロイド薬投与が,ステロイド薬による創傷治癒遅延をひき起こし,原田病により障害を受けた網膜色素上皮の修復が障害されてMPPEを発症したと推測された.本症例をMPPEと診断した根拠は,検眼鏡的に後極部網膜に黄白色の網膜色素上皮.離と漿液性網膜.離を認めたこと,FA所見で病変部位に一致する旺盛な蛍光漏出があったこと,また誘因と考えられているステロイド薬の長期使用歴があり,かつステロイドパルス療法が無効であったことなどであるが,胞状網膜.離を呈した際に大きな色素上皮裂孔を認めたことも,網膜色素上皮障害を根本原因とする網膜色素上皮症という一連の疾患群のなかにある疾患であるということを強く考えた.さらに胞状網膜.離の鑑別診断として,uvealeffusionがあげられるが,眼軸長測定により小眼球症はなく,Bモード超音波検査にて,強膜肥厚や周辺部の脈絡膜.離がないこと,FAにてleopar-spotに相当する周辺部の顆粒状の過蛍光がないこと,蛍光漏出があることなどより,uvealeffusionではなく,MPPEという診断に至った.さらに,本症例の長い経過のなかの反省点は,緑内障手術時期の遅れである.角膜病変,水晶体病変,前房内炎症,眼底病変など複数病変が生じる状態での緑内障手術時期の決定は大変むずかしいが,本症例における現在の右眼の視機能障害の主因は,緑内障性視野障害の進行による中心視野の消失であることを考えると,右眼の眼圧上昇に対しもう少し早期に積極的に手術治療の介入をすべきであったとも考えられる.しかしながら,脱臼水晶体の処理,その後に起こしえた胞状網膜.離に対する硝子体手術治療の可能性などを考えると,どの時点が緑内障手術治療として正しい時期であったのかを決めることはむずかしい症例であったと思われる.以上,原田病を発症後,水晶体亜脱臼,原田病の再発,MPPE,再発性角膜上皮.離などの病変を次々に発症し繰り返し,長い経過中,眼圧コントロールに大変苦慮し,最終的には,緑内障性視野障害の進行により,右眼視力低下に至った症例の経過を報告した.さらに類似症例を集積することにより,原因に対するアプローチを含めた適切な眼科治療を明らかにすることが必要と考えられた.本稿の要旨は第22回日本緑内障学会(2011年)で発表した.利益相反:利益相反公表基準に該当なし文献1)日本緑内障学会緑内障診療ガイドライン作成委員会:緑内障診療ガイドライン(第3版),第2章緑内障の分類.日眼会誌116:15-18,20122)竹内玲美,菅原道孝,鶴岡三恵子ほか:ステロイド全身投与で急性増悪した多発性後極部網膜色素上皮症の1例.眼科47:881-885,20053)井上俊輔,宮本文夫:原田病に対するステロイド内服療法中に,中心性漿液性網脈絡膜症様あるいは胞状網膜.離様所見を呈した1例.眼臨79:1849-1853,19854)山本晋,安藤伸朗,阿部達也ほか:遷延化した原田病に合併した胞状網膜.離の1例.眼紀45:323-327,19945)籠谷保明,伊藤美樹,山本節ほか:高度な胞状網膜.離を伴った原田病の1例.眼紀44:1463-1468,19936)山本陽子,間宮和久,大黒浩ほか:MPPEが疑われ,ステロイド治療がためらわれた原田病の2例.眼科45:1077-1081,20037)WakakuraM,IshikawaS:Centralserouschorioretinopathycomplicatingsystemiccorticosteroidtreatment.BrJOphthalmol68:329-331,19848)PolakBC,BaarsmaGS,SnyersB:Diffuseretinalpigmentepitheliopathycomplicatingsystemiccorticosteroidtreatment.BrJOphthalmol79:922-925,1995***(139)あたらしい眼科Vol.30,No.4,2013567