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インフリキシマブが有効であった関節リウマチによる壊死性強膜炎の1例

2014年4月30日 水曜日

《第47回日本眼炎症学会原著》あたらしい眼科31(4):595.598,2014cインフリキシマブが有効であった関節リウマチによる壊死性強膜炎の1例小溝崇史*1寺田裕紀子*1子島良平*1宮田和典*1望月學*1,2*1宮田眼科病院*2東京医科歯科大学大学院歯学総合研究科眼科学分野NecrotizingScleritisSecondarytoRheumatoidArthritisSuccessfullyTreatedwithInfliximabTakashiKomizo1),YukikoTerada1),RyoheiNejima1),KazunoriMiyata1)andManabuMochizuki1,2)1)MiyataEyeHospital,2)DepartmentofOphthalmology&VisualScience,TokyoMedicalandDentalUniversityGraduateSchoolofMedicine関節リウマチ(rheumatoidarthritis:RA)に伴う壊死性強膜炎が発症し,一眼は強膜穿孔により眼球摘出に至ったが,後に発症した僚眼の壊死性強膜炎はインフリキシマブで治療できた症例を経験したので報告する.症例は71歳,女性.右眼の霧視と疼痛を自覚した.右眼に強い強膜炎と,硝子体脱出を伴う強膜穿孔があった.左眼に異常所見はなかった.RAに伴う壊死性強膜炎による強膜穿孔と診断し,翌日に強膜穿孔を閉鎖する目的で,保存角膜と羊膜を用いて強膜補.術を行った.しかし,移植片と強膜の融解は進行し眼球摘出に至った.術後7カ月,左眼に壊死性強膜炎を発症した.右眼の経過より,難治性と判断し,副腎皮質ステロイド薬の内服に加えて,インフリキシマブ加療を開始した.現在,左眼の強膜炎発症後3年経過するが,強膜穿孔には至らずに強膜炎は消炎されている.難治性の壊死性強膜炎には,インフリキシマブが有効であると考えられた.A71-year-oldfemalewasreferredtoourclinicduetosevereocularpainandblurringofvisioninherrighteye.Ocularexaminationrevealedseverescleritisandscleralperforation,withvitreousprolapseintherighteye.Thelefteyewasnormal.Systemicexaminationrevealedthatthepatienthadbeensufferingfromrheumatoidarthritisformorethan20years.Thescleralperforationwascoveredwithgraftsoffrozenpreservedcorneaandamnioticmembrane.However,thescleralandcornealgraftsmeltedwithinaweekandtheeyewasenucleated.Sevenmonthsafterenucleation,scleritisoccurredinthelefteye.Inconsiderationoftheclinicalcourseoftherighteye,thescleritisinthelefteyewastreatedwithinfliximab(3mg/kg)togetherwithprednisolone(15mg/day),whichsuccessfullyresolvedtheseverescleritisofthelefteye.Infliximabisthereforerecommendedforrefractorynecrotizingscleritis.〔AtarashiiGanka(JournaloftheEye)31(4):595.598,2014〕Keywords:壊死性強膜炎,関節リウマチ,インフリキシマブ,免疫抑制療法,強膜穿孔.necrotizingscleritis,rheumatoidarthritis,infliximab,immunomodulatorytherapy,scleralperforation.はじめに壊死性強膜炎は強膜炎の5%を占める稀な疾患であるが,予後はきわめて不良である1,2).重症例では,強膜穿孔し眼球摘出に至ることも少なくない.また,強膜炎は関節リウマチ(rheumatoidarthritis:RA)などの全身性の自己免疫性疾患を合併することがあるが,壊死性強膜炎では45.80%と高率に合併する1,2).抗ヒトTNF(腫瘍壊死因子)-aモノクローナル抗体であるインフリキシマブは,RAやCrohn病,眼科領域ではBehcet病などの治療に最近承認された免疫抑制薬であるが,海外では,強膜炎に対しても良好な治療効果が報告されている3,4).しかし,わが国でその報告は少ない.今回筆者らは,関節リウマチに伴う壊死性強膜炎を発症し,一眼は強膜穿孔により眼球摘出に至ったが,後に発症した僚眼の壊死性強膜炎はインフリキシマブで治療できた症〔別刷請求先〕小溝崇史:〒885-0051宮崎県都城市蔵原町6-3宮田眼科病院Reprintrequests:TakashiKomizo,M.D.,MiyataEyeHospital,6-3Kurahara-cho,Miyakonojo,Miyazaki885-0051,JAPAN0910-1810/14/\100/頁/JCOPY(117)595 例を経験したので,患者に理解と同意を取得したうえ,報告する.I症例患者:71歳,女性.主訴:右眼の霧視と疼痛.既往歴:1990年にRAを発症,内科においてブシラミンとロキソプルフェンで治療されていた.1998年より増悪したため,追加治療として関節内ステロイド注射を頻回に受けていた.疼痛コントロールは良好であったが,RAに伴う肘・膝・肩関節の拘縮と心不全もあるため,日常生活動作(activitiesofdailyliving:ADL)は不良であった.また,2006年に両眼の白内障手術を受けた.現病歴:2009年11月,右眼の霧視と疼痛を自覚し,同日に近医を受診した.強膜穿孔があり,翌日に宮田眼科病院(以下,当院)を紹介受診した.初診時所見:視力は右眼0.02(0.04×+3.00D),左眼0.5(1.5×.0.50D(cyl.1.25DAx150°)眼圧は右眼測定不能,左眼9mmHgであった.右眼に強い充血あり,強膜は上方が菲薄化しており,菲薄化した中央部は穿孔し硝子体の脱出があった(図1).前房にはfibrinを伴う強い炎症がみられた.眼底は透見不能であったが,超音波Bモード断層検査にて全周に脈絡膜.離,下方に漿液性網膜.離があった.左眼は前眼部・中間透光体・眼底に異常所見はみられなかっ毛様(,)た.経過:RAに伴う壊死性強膜炎による強膜穿孔と診断し,翌日に強膜穿孔を閉鎖する目的で,保存角膜と羊膜を用いて強膜補.術を行った.術後早期の移植片の生着は良好であったが,移植術後11日目より移植片と強膜の融解が生じた(図2).経過から感染の可能性は低いと考え,0.1%ベタメサゾン点眼6回/日に加え,プレドニゾロン20mgとアザチオプリン50mgの内服を開始した.しかし,内服開始後も移植角膜片の融解は軽快せず,移植片と強膜の融解部位はさらに広く深くなった.移植術後50日目に,眼球温存は困難と判図2強膜補.術後11日目の前眼部写真移植片と強膜に融解がみられる(矢印).図1初診時の右眼前眼部写真(下方視)点線で囲まれた黒い部分は,壊死融解し穿孔した強膜と脱出した硝子体である.図3再診時の左眼前眼部写真(下方視)強膜の菲薄化がみられる(矢印)が,穿孔はなかった.596あたらしい眼科Vol.31,No.4,2014(118) 図4最終受診時の左眼前眼部写真(左:正面視,右:下方視)上方強膜が菲薄化している(矢印)が,充血はなく,強膜炎は消炎されている.断し,眼球摘出術を行った.その間,左眼に異常所見はなかった.右眼球摘出術後の2カ月後より,肺水腫で内科に入院したため,当院への通院が途絶え,プレドニゾロンとアザチオプリンは中断していた.内科入院中,左眼に強膜炎を発症し,入院した病院の眼科で0.1%ベタメサゾン点眼により治療されていた.右眼球摘出7カ月後,肺水腫が軽快し内科を退院したため,当院を再診した.再診時所見(2010年8月):右眼は義眼が挿入され炎症所見はなかった.左眼は視力0.2(1.5×.0.25D(cyl.1.50DAx90°),眼圧は12mmHg,強膜深層血管に拡張あり,上方強膜は菲薄化していたが穿孔はなかった(図3).前房中にcell2+程度の虹彩炎がみられたが,中間透光体,眼底に異常所見はなかった.右眼の経過より,左眼も難治性の壊死性強膜炎と診断した.0.5%レボフロキサシン点眼4回/日,0.1%ベタメサゾン点眼4回/日,0.1%タクロリムス点眼2回/日に加えて,プレドニゾロン15mgの内服と内科に依頼してインフリキシマブ2mg/kgの点滴静注を行った.その後,骨粗鬆症の合併症のリスクを考慮し,プレドニゾロンを2カ月ごとに2.5mgずつ減量し,プレドニゾロン10mg/日に減量した時点でメトトレキセート8mg/週を併用し,1年6カ月かけてプレドニゾロンを中止した.現在までインフリキシマブ(2mg/kg)は継続している.インフリキシマブ導入前は,5.0であったCRP(C反応性蛋白)は導入後には1.0前後と減少し,関節リウマチのコントロールは良好である.2013年8月29日現在,壊死性強膜炎は消炎され,強膜の菲薄化はあるものの穿孔はなく(図4),視力も0.3(0.6×.0.5D(cyl.2.50DAx90°)と良好である.II考按強膜炎は,原因により感染性と非感染性に大別され,解剖学的には前部強膜炎(94%),後部強膜炎(6%)に分けられ,さらに,前部強膜炎はびまん性(75%),結節性(14%),壊死性(5%)に分類される2).このように壊死性強膜炎は稀な疾患であるが,強膜穿孔や眼球摘出に至り,予後が不良な例が少なくない1,2).本症例でも,右眼は壊死性強膜炎により強膜穿孔し,保存角膜と羊膜の移植による強膜補.術を行ったが,術後比較的短期のうちに眼球摘出に至った.壊死性強膜炎による強膜穿孔に対しては,大腿筋膜を用いた補.術で眼球温存が可能であったとの報告5)があるが,本例と異なり強膜穿孔前より免疫抑制薬を使用していた.本例では,強膜穿孔時,抗リウマチ薬と副腎皮質ステロイド薬点眼だけであり,強膜補.術後もしばらくの間,免疫抑制薬治療を行っていなかった.強膜補.術後の経過では,移植片の融解だけでなく,強膜の融解も進行したため,移植片の脱落の原因は,おもに拒絶反応でなく強膜炎の活動性が高かったことであると思われ,移植片の生着には免疫抑制薬治療を用いた強膜炎の十分な消炎が必要であると考えられた.壊死性強膜炎の治療は,局所治療のみでは不十分なことが多く,全身治療が必要である.全身治療の第一選択は副腎皮質ステロイド薬の内服だが,それ単独で治療可能なのは約3割であり,多くは免疫抑制薬の併用が必要であると報告されている1).さらに,すべての壊死性強膜炎で副腎皮質ステロイド薬と免疫抑制薬の併用が必要であるとしている6)との報告もある.さらに,免疫抑制薬の併用でも治療に難渋する症例では,インフリキシマブなどの生物学的製剤が有効との報告がある3,4,6).本例では,右眼摘出後,内科入院中に左眼に(119)あたらしい眼科Vol.31,No.4,2014597 も壊死性強膜炎を発症したが,治療は当院再診までの間,ステロイド点眼による局所治療のみであった.当院再診後速やかに,副腎皮質ステロイド薬,メトトレキセート,インフリキシマブの全身治療を行ったところ,右眼の経過とは異なり,左眼は強膜穿孔に至らずに強膜炎は沈静化した.また,RAに関しても,当院初診時,CRPは5.0で関節内ステロイド注射を頻回に受けるほどに関節炎は強く,肘・膝・肩関節の拘縮と心不全のためADLは不良であったが,当院最終受診時にはADLは変わらないもののCRPは1.0と低下し,RAのコントロール状態も改善した.以上のように,本例ではインフリキシマブが壊死性強膜炎の消炎とRAの療法に有効であったと考えられる.利益相反:利益相反公表基準に該当なし文献1)TuftSJ,WatsonPG:Progressionofscleraldisease.Ophthalmology98:467-471,19912)SainzdelaMazaM,MolinaN,Gonzalez-GonzalezLAetal:Clinicalcharacteristicsofalargecohortofpatientswithscleritisandepiscleritis.Ophthalmology119:43-50,20123)GalorA,PerezVL,HammelJPetal:Differentialeffectivenessofetanerceptandinfliximabinthetreatmentofocularinflammation.Ophthalmology113:2317-2323,20064)DoctorP,SultanA,SyedSetal:Infliximabforthetreatmentofrefractoryscleritis.BrJOphthalmol94:579583,20105)生杉,前川,福喜多ほか:Wegener肉芽腫症による強膜穿孔に対し自己大腿筋膜移植術を行った1例.臨眼54:381384,20006)SainzdelaMazaM,MolinaN,Gonzalez-GonzalesLAetal:Scleritistherapy.Ophthalmology119:51-58,2012***598あたらしい眼科Vol.31,No.4,2014(120)