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フルオロキノロン耐性株による淋菌性結膜炎の小児例

2010年2月28日 日曜日

0910-1810/10/\100/頁/JCOPY (97) 235《原著》 あたらしい眼科 27(2):235.238,2010cはじめに性感染症サーベイランスの2002 年の報告1)によれば,1996 年以降淋菌感染症は増加傾向にあり,男性ではSTD(sexually transmitted disease)の第1 位を占めている.女性でも,淋菌感染症は1998 年に比べて2.7 倍と急増しており,これに伴い眼科領域でも淋菌性結膜炎の報告が増えている2.9).近年の淋菌感染症の最大の問題は薬剤耐性である10,11).フルオロキノロン系抗菌薬の汎用を反映して泌尿器科領域で分離される淋菌の約80%はフルオロキノロン耐性といわれている11.13).眼科での報告をみてもほとんどがフルオロキノロン耐性であり2.9),診断の遅れや不適切な薬剤選択により角膜穿孔に至った例も報告されている7).今回筆者らは,フルオロキノロン耐性株による淋菌性結膜炎の小児例を経験したので,診断法,薬剤選択に関する考察を含めて報告する.〔別刷請求先〕中川尚:〒189-0024 東村山市富士見町1-2-14徳島診療所Reprint requests:Hisashi Nakagawa, M.D., Tokushima Eye Clinic, 1-2-14 Fujimi-cho, Higashimurayama, Tokyo 189-0024,JAPANフルオロキノロン耐性株による淋菌性結膜炎の小児例中川尚中川裕子徳島診療所Gonococcal Conjunctivitis Caused by Fluoroquinolone-resistant Gonococci in an InfantHisashi Nakagawa and Yuko NakagawaTokushima Eye Clinic症例は5 歳の男児で,右眼の眼瞼腫脹,眼脂,充血を主訴に近医眼科を受診し,当初アデノウイルス結膜炎が疑われた.しかし,結膜所見が悪化したため当院を紹介受診した.初診時,右眼に著明な眼瞼腫脹と多量の膿性眼脂を認めた.瞼結膜にはビロード状の充血,浮腫があり,球結膜も充血,浮腫が著明で出血も認められた.眼脂の塗抹検査でグラム陰性双球菌が多数認められ,淋菌性結膜炎と診断した.セフトリアキソンの点滴静注と,レボフロキサシン,スルベニシリン,セフトリアキソンの頻回点眼を開始した.翌日には結膜所見はかなり改善し,約1 週間の治療で治癒した.細菌培養ではNeisseria gonorrhoeae が分離され,レボフロキサシンに耐性であった.問診上,本人と家族に淋菌感染症を疑わせる症状はなかった.淋菌性結膜炎に対しては,眼脂の塗抹検査による迅速診断と薬剤耐性淋菌を考慮した適切な抗菌薬の選択が重要である.また,小児の化膿性結膜炎でも淋菌の可能性を考慮する必要がある.A 5-year-old male first visited an eye clinic with complaint of eyelid swelling, discharge and hyperemia in hisright eye;adenoviral conjunctivitis was suspected. However, the conjunctival inflammation worsened and he wasreferred to our clinic for further examination. His right eye swelled extremely, with a large amount of purulent discharge.Marked hyperemia and edema were observed in the palpebral and bulbar conjunctiva, accompanied byscattered blot hemorrhages. Smear preparations of the discharge revealed polymorphonuclear leucocytes andgram-negative diplococci, strongly suggesting gonococcal conjunctivitis. We initiated topical and systemic antibiotictreatment, including ceftriaxone, levofloxacin, sulbenicillin. The conjunctivitis subsided in a few days and wascured in a week by the regimen. Neisseria gonorrhoeae was isolated from the conjunctival sac and exhibitedfluoroquinoloneresistance. Repeated questions regarding gonococcal infections failed to reveal any urogenital symptomsin the patient or his parents. In the management of gonococcal conjunctivitis, it is vital to achieve rapid diagnosisby microscopic examination and to choose appropriate antibiotics in consideration of drug resistance. Itshould be remembered that purulent conjunctivitis caused by N. gonorrhoeae can occur even in infants.〔Atarashii Ganka(Journal of the Eye)27(2):235.238, 2010〕Key words:淋菌性結膜炎,フルオロキノロン耐性淋菌,塗抹標本,小児,セフトリアキソン.gonococcal conjunctivitis,fluoroquinolone-resistant gonococci, smear, infant, ceftriaxone.236あたらしい眼科Vol. 27,No. 2,2010 (98)I症例患者:5 歳,男児.初診:平成16 年2 月7 日.主訴:右眼の眼脂,充血.現病歴:平成16 年2 月6 日から右眼の眼瞼腫脹と充血,眼脂が出現した.近所の眼科を受診したところ右眼の結膜炎と診断された.当日行ったアデノウイルス抗原検出テスト(アデノチェックTM)は陰性であった.ノルフロキサシン点眼と0.1%フルオロメトロン点眼を1 日4 回点眼するよう指示されたが,翌日になって結膜の点状出血,角膜の軽度の混濁が出現したため,当院を紹介されて受診した.既往歴:特記すべき事項なし.初診時所見:右眼は眼瞼腫脹が著しく開瞼できない状態であった.瞼裂は緑黄色の膿性眼脂で塞がり,瞼縁にも多量の眼脂が付着していた(図1).瞼結膜にはビロード状の強い充血と混濁がみられ,球結膜にも充血,浮腫が認められ,点状出血を伴っていた.角膜はわずかに混濁しているようにみえたが,フルオレセイン染色で上皮欠損は認められなかった.検査および診断:臨床所見から淋菌性結膜炎が疑われたが,性行為を介して伝播する淋菌感染症が5 歳の男児に起こることは考えにくいようにも思われ,鑑別と診断確定のために眼脂の塗抹検査を行った.眼脂の塗抹標本を2 枚作製し,1 枚はディフ・クイックTM 染色,残る1 枚はグラム染色を行った.標本では多数の多核白血球を認め,その胞体に重なって多数の双球菌が認められた(図2).この菌はグラム陰性を示し(図3),形態と染色性から淋菌と判断した.以上の結果から本症例を淋菌性結膜炎と診断した.同時に,病因確定と薬剤感受性に関する情報を得るため,細菌分離培養とPCR(polymerase chain reaction)による淋菌検出を行った.治療および経過:近年の多剤耐性淋菌の存在を考慮し,日本性感染症学会の治療ガイドラインに沿って薬剤を選択した.ガイドラインで推奨されているのはセフトリアキソン,スペクチノマイシン,セフォジジムの3 種の薬剤で,当日入手できたセフトリアキソンを使用することとし,全身投与として1 g を点滴静注した.局所投与として,静注用セフトリアキソンを生理食塩水で希釈した1%液と,スルベニシリン点眼,レボフロキサシン点眼を1 時間毎点眼とし,さらに就寝前にテトラサイクリン眼軟膏の点入を指示した.翌日には眼脂は著明に減少し,眼瞼腫脹も軽減して開瞼可能となった.結膜の充血,浮腫も改善した(図4a, b).角膜には異常は認められなかった.治療開始3 日後,結膜の充血や点状出血は残っていたが眼脂はほぼ消失した(図5a, b).点眼回数を1 日5 回に減らし,1 週間の治療で結膜炎は治癒図 1初診時の眼所見した.なお,問診では本人ならびに両親に淋菌感染症を疑わ眼瞼腫脹が強く,瞼裂に多量の緑黄色の膿性眼脂がみられる.図 3眼脂の塗抹標本(グラム染色)グラム陰性の双球菌が多核白血球の胞体に一致して多数認められる.図 2 眼脂の塗抹標本(ディフ・クイックTM 染色)多数の多核白血球と双球菌が認められる.(99) あたらしい眼科Vol. 27,No. 2,2010237せる症状や既往歴はなかった.感染経路を特定するため両親に泌尿器科や婦人科での検査を勧めたが,協力が得られず実施できなかった.培養結果:眼脂の細菌培養ではNeisseria gonorrhoeae が分離された.分離株の薬剤感受性試験の結果は表1 に示すとおりで,フルオロキノロン耐性であった.PCR でも淋菌DNA が検出された.II考按淋菌性結膜炎は急性化膿性結膜炎の代表的疾患であり,成書にもその特徴的な所見について記載がある.しかし,1980 年代から1990 年代前半の淋菌感染症の減少に伴い,日常臨床で淋菌性結膜炎に遭遇することがまれになり,その結果,他の結膜炎と間違われている例が少なくない7).今回の症例も初診時にアデノウイルス結膜炎を疑われているが,重症結膜炎をみたらアデノウイルスを考えるといった短絡的な臨床診断ではなく,結膜所見や眼脂の性状などから,系統だてた鑑別診断を行うべきである.淋菌性結膜炎は他に類のないほどの多量の膿性眼脂がみられるなど特徴的な所見を示すため,臨床像から疑いをもつことはむずかしくない.最近,淋菌性結膜炎の症例で角膜穿孔に至った例が学会などで報告されている.その経過をみると,多くは診断の遅れが原因になっており,例外なく初診時の塗抹検査が行われていない.結膜炎の診断の基本は臨床所見と眼脂の塗抹標本所見であり14),鑑別や病因診断には塗抹検査は必須といってよい15).塗抹標本を1 枚みれば,淋菌感染を疑う根拠がその場で得られる.淋菌は死滅しやすい菌であり16),輸送培地を用図 4a,b治療開始翌日の結膜所見眼脂は著明に減少し結膜の充血,浮腫も改善している.ab図 5a,b治療開始3 日後の結膜所見充血,出血は残っているが,眼脂はほぼ消失している.ab表 1薬剤感受性検査結果(ディスク拡散法による)薬剤感受性スルベニシリン(SBPC)セフトリアキソン(CTRX)セフメノキシム(CMX)ミクロノマイシン(MCR)スペクチノマイシン(SPCM)エリスロマイシン(EM)ロメフロキサシン(LFLX)レボフロキサシン(LVFX)SSSSSSRRS:感受性,R:耐性.太字:この症例で使用した薬剤.238あたらしい眼科Vol. 27,No. 2,2010 (100)いて検査センターに分離を依頼すると途中で死滅して陰性になることも多く,塗抹検査は非常に重要である.もちろん,急性化膿性結膜炎を起こすグラム陰性双球菌として,他にも髄膜炎菌やモラクセラ・カタラーリスなどがあるので,塗抹検査だけで100%確実に起炎菌が確定ができるわけではない.近年,淋菌の薬剤耐性獲得は著しい速度で進んでいる.フルオロキノロン系抗菌薬が広く使用されるようになってから,泌尿器科領域から分離される淋菌の約80%はフルオロキノロンに耐性であり,同時にテトラサイクリンやセフェム系薬剤の耐性も進んでいる10.13).本症例から分離された株もフルオロキノロン耐性であり,現時点では淋菌感染症の治療にはフルオロキノロン系抗菌薬を使用すべきでないとされている.日本性感染症学会から発行されている「性感染症診断・治療ガイドライン2008」13)のなかで推奨されている抗菌薬は,セフォジジム,スペクチノマイシン,セフトリアキソンの3 種類である.淋菌感染症では,結膜炎の治療の場合でも全身投与は必須であり,まずこれらの薬剤から使用可能なものを選んで投与することが重要と考えられる.上記以外の薬剤でも基本的には感受性があれば治療効果は期待できるが,万が一,選択した薬剤に感受性がなければ治療が遅れて角膜穿孔といった重篤な合併症につながる危険性が高い.近年の多剤耐性獲得の現状を考えれば,最も安全で確実な抗菌薬選択を行うべきと考える.結膜炎の治療では,効率よく高濃度の抗菌薬が作用するという点で,眼局所投与も重要な薬剤投与経路である.耐性株が多い現在の淋菌感染症では既製の点眼薬で効果が確実なものはないが,なかではセフメノキシム(ベストロンTM)がある程度効果が期待できると考えられる.筆者らは今回,既製の点眼薬に加え最も効果が確実な静注用セフトリアキソンの1%液を点眼として用いたが,刺激もなく使用可能であった.このような確実な効果の期待できる静注用薬剤から0.5.1.0%程度の点眼薬を自家調整して用いることも,一つの選択肢であると考えられる.さて,淋菌感染症は代表的なSTD であり,結膜炎患者は産道感染による新生児と成人に限られ,小児の例はめずらしい.しかし,数年前から本症例のような小児の結膜炎症例がいくつか報告されている8).なかには家族内感染が疑われたものもあるが,検査の結果家族内にも感染者はなく感染経路が不明の例もある.今回の症例では泌尿器科や婦人科での検査は行っていないが,問診上は本人ならびに家族に淋菌感染症を疑わせる症状はなく,感染経路は不明であった.小児の場合,両親,兄弟などの家族の淋菌感染症患者からの伝播が第一に考えられるが,そのほかに幼稚園や保育園,あるいはスイミングスクールなどでの感染者との接触も可能性として考えられる.淋菌は粘膜から離れると容易に死滅するため直接接触以外には感染しにくいとされている16)が, 最近の小児例の報告から考えると他人から手指やタオルなどを介して17)結膜炎を起こすこともあるのではないかと考えられる.淋菌性結膜炎は診断,治療がさほどむずかしい疾患ではない.しかし最初の診断を間違えると治療が後手に回り,角膜穿孔という重篤な合併症に結びつく危険性をはらんでいる.今後は,小児の結膜炎の場合でも起炎菌として淋菌も必ず念頭において診察する姿勢が大切である .文献1) 性感染症サーベイランス研究班:日本における性感染症サーベイランス─ 2002 年度調査報告─.日本性感染症学会誌15:17-45, 20042) 小山恵子,中曾奈美,宮崎大ほか:50 歳代女性に発症したレボフロキサシン耐性淋菌性結膜炎の1 例.あたらしい眼科 20:661-663, 20033) 稲田紀子,田渕今日子,庄司純ほか:ペニシリン,フルオロキノロン耐性淋菌性結膜炎の1 例.眼科 44:995-999,20024) 西尾陽子,伊比健児,田原昭彦:多剤耐性を示した淋菌性結膜炎の2 例.眼科 44:1263-1267, 20025) 笠松容子,西島麻衣子,後藤晋:フルオロキノロン抵抗性淋菌による角結膜炎の1 例.あたらしい眼科 20:665-668, 20036) 星野健,福島伊知郎,川原澄枝ほか:多剤耐性を示した淋菌性結膜炎の症例.眼科 45:783-788, 20037) 小尾明子,松本光希,宮嶋聖也ほか:淋菌性結膜炎の3 例.眼紀 54:991-995, 20038) 田中才一,雑賀司珠也,大西克尚ほか:8 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