0910-1810/10/\100/頁/JCOPY(129)1295《原著》あたらしい眼科27(9):1295.1298,2010cはじめに現在の臨床における治療法としては,抗緑内障点眼薬による薬物療法が第一選択とされている.一方,点状表層角膜症や眼瞼炎といった眼局所の副作用や,患者からのしみる,かすむ,眼が充血するといった訴えで点眼薬の中止および変更を余儀なくされ,薬剤選択が困難なことや眼圧コントロールが問題視されている.これら抗緑内障薬の角膜傷害には,点眼薬中に含まれる主薬,保存剤だけでなく,角膜知覚,涙液動態および結膜といったオキュラーサーフェス(眼表面)の生理状態が関与することが明らかとされ,臨床と基礎研究の両方面からの観察が抗緑内障薬の低角膜傷害性療法開発には重要である1).カイコ繭は絹糸になるフィブロイン(70~80%)とそれを包むセリシン(20~30%)から構成されている.従来,この〔別刷請求先〕伊藤吉將:〒577-8502東大阪市小若江3-4-1近畿大学薬学部製剤学研究室Reprintrequests:YoshimasaIto,Ph.D.,FacultyofPharmacy,KinkiUniversity,3-4-1Kowakae,Higashi-Osaka,Osaka577-8502,JAPANセリシン添加抗緑内障薬がSV40不死化ヒト角膜上皮細胞増殖作用へ与える影響長井紀章*1村尾卓俊*1伊藤吉將*1,2岡本紀夫*3*1近畿大学薬学部製剤学研究室*2同薬学総合研究所*3兵庫医科大学眼科学教室SericinAdditiontoAnti-glaucomaEyeDrops:EffectonProliferationofCornealEpithelialCellLineSV40(HCE-T)NoriakiNagai1),TakatoshiMurao1),YoshimasaIto1,2)andNorioOkamoto3)1)FacultyofPharmacy,2)PharmaceutialResearchandTechnologyInstitute,KinkiUniversity,3)DepartmentofOphthalmology,HyogoCollegeofMedicine抗緑内障薬は臨床にて多用されているが,長期にわたる使用は角膜傷害をひき起こすことが知られている.本研究ではSV40不死化ヒト角膜上皮細胞(HCE-T)を用い,角膜傷害治癒作用を有するセリシンを抗緑内障薬へ添加することによる角膜上皮細胞増殖抑制作用への影響について検討を行った.抗緑内障薬は市販製剤であるb遮断薬(チモプトールR),プロスタグランジン製剤(レスキュラR,キサラタンR),炭酸脱水酵素阻害薬(トルソプトR),選択的交感神経a1遮断薬(デタントールR),a,b受容体遮断薬(ハイパジールR),副交感神経作動薬(サンピロR)の7種を用いた.本研究の結果,抗緑内障薬へセリシンを添加することにより,角膜上皮細胞増殖抑制作用の強さは各種単剤処理時と比較し軽減した.このセリシンによる軽減効果は,今回用いたすべての点眼薬において認められた.本知見は,低刺激点眼薬開発を目指すうえできわめて有用であると考えられる.Anti-glaucomaeyedropsarefrequentlyusedinclinicaltreatment,anditisknownthattheirlong-termusecancausecornealepithelialcelldamage.Inthisstudy,weinvestigatedtheeffectofthesericinadditiontovariousanti-glaucomaeyedropsoncornealepithelialcelllineSV40(HCE-T)proliferation.Usedinthisstudywere7eyedroppreparations:b-blocker(TimoptolR),prostaglandinagent(ResculaR,XalatanR),topicalcarbonicanhydraseinhibitor(TrusoptR),a1-blocker(DetantolR),a,b-blocker(HypadilR)andparasympathomimeticagent(SanpiloR).Withthecombinationofsericinandanti-glaucomaeyedrops,cellproliferationinhibitiondecreasedincomparisonwithuseofasingletypeofconventionalanti-glaucomaeyedrops.Theresultsofcombiningsericinandanti-glaucomaeyedropsprovideusefulinformationfordevelopmentofanti-glaucomaeyedropsthatdonotcausecornealepithelialcellsdamage.〔AtarashiiGanka(JournaloftheEye)27(9):1295.1298,2010〕Keywords:セリシン,抗緑内障薬,SV40不死化ヒト角膜上皮細胞,緑内障,細胞増殖.sericin,anti-glaucomaeyedrops,humancorneaepithelialcelllineSV40,glaucoma,cellproliferation.1296あたらしい眼科Vol.27,No.9,2010(130)カイコ繭由来の絹蛋白質であるセリシンは,生糸から絹糸への精錬の過程において除去され廃棄物として扱われていた.しかし近年,細胞死抑制作用など生物化学領域においてその活性が認められ注目されている2).筆者らもこれまで,このセリシンに角膜傷害治癒促進効果があることを見出し,眼科領域におけるセリシンの有効利用の可能性を報告してきた3).さらに筆者らは以前に,抗緑内障点眼薬の角膜傷害におけるinvitroスクリーニング試験として,抗緑内障点眼薬の角膜傷害性比較を目的とした基礎(invitro)実験系「ヒト角膜上皮細胞を用いたinvitro角膜傷害試験」を確立し報告してきた4).そこで今回,現在臨床現場で多用されているb遮断薬(チモプトールR),プロスタグランジン製剤(レスキュラR,キサラタンR),炭酸脱水酵素阻害薬(トルソプトR),選択的交感神経a1遮断薬(デタントールR),a,b受容体遮断薬(ハイパジールR),副交感神経作動薬(サンピロR)の異なる抗緑内障点眼薬7種へセリシンを添加することで,角膜傷害性がどのように変化するのかを明らかにすべく,このinvitro角膜傷害試験法4)を用いて検討を行った.I対象および方法1.使用細胞培養細胞は理化学研究所より供与されたSV40不死化ヒト角膜上皮細胞(HCE-T,RCBNo.1384)を用い,100IU/mlペニシリン(GIBCO社製),100μg/mlストレプトマイシン(GIBCO社製)および5%ウシ胎児血清(FBS,GIBCO社製)を含むDMEM/F12培地(GIBCO社製)にて培養した.2.使用薬物抗緑内障点眼薬は市販製剤であるb遮断薬(0.5%チモプトールR),プロスタグランジン製剤(0.12%レスキュラR,0.005%キサラタンR),炭酸脱水酵素阻害薬(1%トルソプトR),選択的交感神経a1遮断薬(0.01%デタントールR),a,b受容体遮断薬(0.25%ハイパジールR),副交感神経作動薬(1%サンピロR)の7剤を用いた.セリシン(30kDa)はセイレーン株式会社より供与されたものを用いた.3.抗緑内障点眼薬による細胞処理法HCE-T(50×104個)をフラスコ(75cm2)内に播種し,HCE-Tがフラスコ中に80%存在するようになるまで培養した5,6).この細胞を,0.05%トリプシンにて.離し,細胞数を計測後,96穴プレートに100μl(10×104個)ずつ播種し,37℃,5%CO2インキュベーター内で24時間培養したものを実験に用いた.表1には今回用いた抗緑内障薬に含まれる添加物を,表2にはセリシンおよび抗緑内障点眼薬の添加量を示す〔抗緑内障薬はPBS(リン酸緩衝生理食塩水)にて希釈を行った〕.表2に示した添加量にて24時間培養後,各wellにTetraColorONE(生化学社製)20μlを加え,37℃,5%CO2インキュベーター内で1時間処理を行い,マイクロプレートリーダー(BIO-RAD社製)にて490nmの吸光度(Abs)を測定することで細胞増殖抑制を表した.各処理とも培地中に含まれるpHインジケーターのフェノールレッドが中性を示すことを確認し,同実験を3.7回くり返した.本研究では,細胞増殖抑制率は下記の計算式により算出した4).細胞増殖抑制率(%)=(Abs未処理.Abs薬剤処理)/Abs未処理×100筆者らはすでに,今回用いた抗緑内障には細胞増殖抑制率の変動が認められ,その細胞増殖抑制率が約50%となる薬剤希釈率はレスキュラR(98)>キサラタンR(70)>チモプトールR(30)>デタントールR(22)>ハイパジールR(22)>トルソプトR(18)>サンピロR(6)であることを報告している.この結果を基に本実験では,細胞増殖抑制率の変動が認められる薬剤希釈率を用いた4).また,セリシン(pH7)は終濃度0.1%となるように設定し行った.II結果図1には,細胞増殖抑制率が約50%となる薬剤希釈率付表1各種抗緑内障点眼薬に含まれる添加物抗緑内障点眼薬添加物チモプトールRベンザルコニウム塩化物,リン酸二水素Na,水酸化Na,リン酸水素NaレスキュラRベンザルコニウム塩化物,ポリソルベート80,等張化剤,pH調節剤キサラタンRベンザルコニウム塩化物,リン酸二水素Na,等張化剤,リン酸水素Na,トルソプトRベンザルコニウム塩化物,ヒドロキシエチルセルロース,D-マンニトール,クエン酸Na,塩酸デタントールRベンザルコニウム塩化物,濃グリセリン,ホウ酸,pH調節剤ハイパジールRベンザルコニウム塩化物,リン酸二水素K,リン酸水素Na,塩酸,塩化NaサンピロRパラオキシ安息香酸プロピル,パラオキシ安息香酸メチル,クロロブタノール,酢酸Na,ホウ酸,ホウ砂,pH調節剤表2抗緑内障点眼薬の添加量培地PBS薬剤セリシン未処理50μl50μl0μl0μl単剤処理50μl25μl25μl0μlセリシン添加薬剤処理50μl0μl25μl25μlPBS:リン酸緩衝生理食塩水.(131)あたらしい眼科Vol.27,No.9,20101297近における角膜上皮細胞増殖抑制効果と,これら薬剤処理群にセリシンを添加した際の角膜上皮細胞増殖抑制率の変化を示す.薬剤のみの刺激ではいずれの処理群においても30~80%程度の細胞増殖抑制効果であった.この希釈率における抗緑内障に0.1%セリシンを添加したところ,本実験で用いたすべての抗緑内障点眼薬群において有意な細胞増殖抑制効果の低下が認められた.III考按抗緑内障薬による角膜傷害性の程度を検討するにあたり,その評価法の選択は非常に重要である.角膜上皮は5~6層の細胞層から構成され,基底細胞と表層細胞に大きく分けられる.このうち基底細胞は分裂増殖機能と接着機能を,表層細胞はバリア機能および涙液保持機能を担っている.この4つの機能のどれか1つでも破綻した際角膜上皮傷害が認められるが,なかでも薬剤の影響を特に受けやすいとされているのが分裂機能とバリア機能である7).筆者らは以前に,抗緑内障点眼薬の角膜傷害におけるinvitroスクリーニング試験として,抗緑内障点眼薬の傷害性比較を目的としたinvitro角膜実験を確立し報告してきた4).このHCE-Tによるinvitro角膜実験は,個体差やオキュラーサーフェスの状態の要因をすべて同一条件の状態で評価することが可能なため,薬剤自身が有する角膜上皮細胞分裂機能への影響を検討するのに適している.そこで本研究では,臨床現場で多用されている7種の異なる抗緑内障点眼薬の角膜傷害性が,セリシンと併用することでどのように変化するのかについてこのinvitro角膜実験を用いて検討した.HCE-Tを用いた結果において,抗緑内障点眼薬の細胞増殖抑制作用はレスキュラR>キサラタンR≫チモプトールR>デタントールR>ハイパジールR>トルソプトR≫サンピロRの順であった4).この結果は,実際の臨床現場における抗緑内障点眼薬による角膜上皮傷害の頻度と類似していた.一方,いずれの抗緑内障薬もセリシンを組み合わせることで抗緑内障薬単剤処理と比較し細胞増殖抑制率が有意に軽減された.セリシンは細胞増殖促進作用を有することが知られており,筆者らもまたこのHCE-T細胞へのセリシン処理により細胞増殖が増大することを報告している3).したがって,このセリシンの細胞増殖促進作用が抗緑内障薬による角膜上皮細胞増殖傷害の軽減をもたらすものと示唆された.一方で,点眼薬調製には主薬以外にもさまざまな添加物が用いられている(表1).添加物は点眼薬の種類において異なっており,その濃度も均一ではない.なかでも品質の劣化を防ぐ目的で用いられる保存剤ベンザルコニウム塩化物は細胞増殖抑制をひき起こす主要な要因とされている.今回用いた7種の抗緑内障薬においても細胞傷害性を示すと考えられる添加物であるベンザルコニウム塩化物,ポリソルベート80,パラベン類,ホウ酸をはじめ多くの添加物が用いられていた.これら多くの異なる添加物を含む抗緑内障薬7種すべてにおいて,セリシンが有意にその角膜上皮細胞増殖傷害の軽減を示したという結果は,セリシンの角膜上皮細胞増殖促進効果が現在点眼薬調製に用いられている添加物においてほとんど影響を受けないことを意味し,点眼製剤への新規添加物としてセリシンの応用が期待された.現在,筆者らはこのセリシンと抗緑内障薬との合剤が角膜傷害性へ与える影響を明確にすべく角膜上皮.離モデルを用いたinvivo実験において,セリシン含有抗緑内障薬の角膜サンピロR48希釈倍率細胞増殖抑制率(%)020406080100*チモプトールR希釈倍率細胞増殖抑制率(%)0204060801002832*レスキュラR希釈倍率96100細胞増殖抑制率(%)020406080100*細胞増殖抑制率(%)020406080100キサラタンR6872希釈倍率*トルソプトR1620希釈倍率細胞増殖抑制率(%)020406080100*2024希釈倍率細胞増殖抑制率(%)020406080100デタントールR**2024希釈倍率ハイパジールR細胞増殖抑制率(%)020406080100**図1セリシン添加抗緑内障薬が角膜上皮細胞増殖抑制率へ与える影響□:単剤処理,■:セリシン添加薬剤処理.平均値±標準誤差.n=3.7*p<0.05vs対応する単剤処理群(Student’st検定).1298あたらしい眼科Vol.27,No.9,2010(132)傷害性について解析を行っているところである.加えて,セリシンを添加することにより,従来の添加剤自身の役割にどのような影響を及ぼすのかを明らかにすることは非常に重要である.したがって,セリシンが保存剤として知られるベンザルコニウム塩化物の保存性作用に対しどのような影響を与えるのかについても検討を行っているところである.以上,本研究では同一条件下において,抗緑内障点眼薬自身が有する細胞増殖抑制作用に対するセリシンの保護効果を明らかとした.これら細胞増殖抑制作用は,臨床においては涙液能低下などの他の作用により相乗的に角膜上皮細胞増殖抑制作用をひき起こすと考えられることから8),今回のinvitroの結果を基盤とした臨床結果のさらなる解析を行うことで,抗緑内障薬による角膜傷害性とセリシンの保護効果がより明確になるものと考えられた.文献1)徳田直人,青山裕美子,井上順ほか:抗緑内障薬が角膜に及ぼす影響:臨床とinvitroでの検討.聖マリアンナ医科大学雑誌32:339-356,20042)寺田聡:セリシンを利用した無血清培地の開発とその応用.生物工学会誌86:387-389,20083)NagaiN,MuraoT,ItoYetal:Enhancingeffectofsericinoncornealwoundhealinginratdebridedcornealepithelium.BiolPharmBul32:933-936,20094)長井紀章,伊藤吉將,岡本紀夫ほか:抗緑内障点眼薬の角膜障害におけるinvitroスクリーニング試験:SV40不死化ヒト角膜上皮細胞(HCE-T)を用いた細胞増殖抑制作用の比較.あたらしい眼科25:553-556,20085)ToropainenE,RantaVP,TalvitieAetal:Culturemodelofhumancornealepitheliumforpredictionofoculardrugabsorption.InvestOphthalmolVisSci42:2942-2948,20016)TalianaL,EvansMD,DimitrijevichSDetal:Theinfluenceofstromalcontractioninawoundmodelsystemoncornealepithelialstratification.InvestOphthalmolVisSci42:81-89,20017)俊野敦子,岡本茂樹,島村一郎ほか:プロスタグランディンF2aイソプロピルウノプロストン点眼液による角膜上皮障害の発症メカニズム.日眼会誌102:101-105,19988)大規勝紀,横井則彦,森和彦ほか:b遮断剤の点眼が眼表面に及ぼす影響.日眼会誌102:149-154,2001***