‘PCR’ タグのついている投稿

単純ヘルペスウイルス角膜炎が疑われた乳児例の検討

2016年5月31日 火曜日

《第52回日本眼感染症学会原著》あたらしい眼科33(5):711〜713,2016©単純ヘルペスウイルス角膜炎が疑われた乳児例の検討白木夕起子庄司純稲田紀子日本大学医学部視覚科学系眼科学分野CaseReportofInfantilePatientwithClinicalSuspectedHerpesSimplexKeratitisYukikoShiraki,JunSyojiandNorikoInadaDivisionofOphthalmology,DepartmentofVisualSciences,NihonUniversitySchoolofMedicine目的:単純ヘルペスウイルス(HSV)角膜炎が疑われた乳児の症例報告.症例:生後4カ月,男児.当科初診時,右眼角膜下方に角膜表層の斑状浸潤性混濁を伴う角膜実質混濁がみられた.初診時の角膜病巣擦過検体による検査所見は,1.単純ヘルペスウイルスキット:陰性,2.HSV-DNAに対するreal-timePCR法:59copies/sample,3.細菌分離培養検査:Staphylococcuswarneriであった.オフロキサシン眼軟膏単独治療では病状の改善はみられなかったが,第4病日からオフロキサシン眼軟膏とアシクロビル眼軟膏の併用療法を行ったところ,第7病日から眼瞼腫脹,充血および角膜混濁が軽快した.本症例は,臨床検査結果および治療経過からHSV角膜炎と診断した.結論:生後1歳未満の乳児に発症するHSV角膜炎は,非典型的な角膜所見を呈するため,診断には十分に注意する必要があると考えられた.Purpose:Casereportofaninfantilepatientwithclinicalsuspectedherpessimplexkeratitis.Case:Thepatient,a4month-oldmale,atfirstexaminationshowedcornealstromalopacitywithmacularinfiltratingturbidityatthelowercornealsurfaceintherighteye.Laboratoryfindingsbyscrapedspecimenwereasfollows:1.herpessimplexviruskit:negative;2.real-timePCRofHSV-DNA:59copies/sample;3.bacterialisolationcultureinspection:Staphylococcuswarneri.Treatmentwithofloxacinophthalmicointmentalonedidnotprovidesymptomaticimprovement.Butcombinationtherapywithofloxacinophthalmicointmentandacyclovirophthalmicointmentfromthe4thhospitaldayyieldedimprovementoflidmarginswelling,hyperemiaandcornealopacitybythe7thhospitalday.Fromclinicalexaminationandcourseoftreatment,wediagnosedthiscaseasherpessimplexkeratitis.Conclusion:Becauseherpessimplexkeratitisininfantslessthanoneyearoldshowsatypicalcorneaviews,suchcasesmustbediagnosedcarefully.〔AtarashiiGanka(JournaloftheEye)33(5):711〜713,2016〕Keywords:単純ヘルペスウイルス角膜炎,PCR,乳児.herpessimplexkeratitis,polymerasechainreaction,sucklingbaby.はじめに単純ヘルペスウイルス(herpessimplexvirus:HSV)1型感染症は,乳幼児期に初感染した後,HSVが三叉神経節に潜伏感染する1)が,ストレス,寒冷,ステロイドの使用,睡眠不足,紫外線曝露,外傷,手術などの誘因によって再活性化されると,口唇ヘルペス,単純ヘルペス眼瞼炎および単純ヘルペスウイルス角膜炎(herpessimplexkeratitis:HSK)などを発症すると考えられている.初感染時の臨床症状は,無症候性のものから,カポジ水痘様発疹症を呈する重症例まであり,前眼部病変としては,眼瞼炎,結膜炎,星状角膜炎や樹枝状角膜炎に代表される上皮型角膜炎などが知られている.HSVの再活性化により発症する角膜炎は,上皮型の樹枝状角膜炎と地図状角膜炎,実質型の円板状角膜炎と壊死性角膜炎,および内皮型の角膜内皮炎などに分類されている2〜4).乳児のHSKは,HSVの初感染を契機として発症する角膜炎が多く報告されているが,HSV再活性化によるHSKに関しての詳細は不明な点が多く残されている.今回,筆者らはpolymerasechainreaction(PCR)法を用いてHSKと臨床診断し,治療が奏効した乳児の1例を経験したので,若干の考察を加えて報告する.I症例患者:4カ月,男児.主訴:右眼瞼腫脹,充血.既往歴:正常分娩2,758g,罹患中の全身症状なし.家族歴:家族にヘルペス疾患の感染既往なし,分娩時母親に泌尿生殖器感染症なし.現病歴:2014年2月,母親が右眼の眼瞼腫脹,充血および眼脂に気づいた(第1病日).第2病日に消化器症状が出現したため,小児科を受診した.小児科では,眼症状に対しレボフロキサシン点眼薬を処方されたが,充血がさらに悪化したため,第3病日に近医眼科を受診した.近医眼科では,右眼角膜下方の混濁を指摘され,同日精査目的に当科紹介受診となった.初診時および第4病日所見:初診時(第3病日)のポータブルスリットランプ(SL-15,興和)による細隙灯顕微鏡検査では,右眼角膜下方に多発する角膜表層の白色斑状混濁,およびその周囲に角膜実質混濁がみられた(図1).また,角膜の病巣部に隣接する輪部および球結膜に充血がみられた.前房は深く,フィブリンや前房蓄膿はみられなかった.左眼角結膜には特記すべき異常はなかった.初診時に,角膜炎の原因は不明であり,感染性角膜炎の鑑別診断のため,右眼角膜病変部を輸送培地のスワブで擦過し,細菌分離培養検査に提出した.角膜擦過翌日(第4病日)には,角膜表層の白色斑状混濁は再発しており,樹枝状病変となっていた.角膜実質の浸潤性混濁および結膜充血はやや軽快傾向を示した.樹枝状角膜炎と擦過後の偽樹枝状病変との鑑別診断のため,HSKの迅速診断キットである単純ヘルペスウイルスキット(チェックメイト®ヘルペスアイ,わかもと製薬)を施行した.微生物学的検討:細菌分離培養検査ではStaphylococcuswarneriが極少量検出された.チェックメイト®ヘルペスアイは陰性であったが,その残液を用いて,HSVおよび水痘・帯状疱疹ウイルス(varicellazostervirus:VZV)に対する定性polymerasechainreaction(PCR)法および定量PCR法であるreal-timePCR法を施行した.定性PCR法では,HSV-DNAが陽性であり,定量PCR法ではHSV-DNAが59copies/sample検出された.VZVは定性および定量PCRともに検出されなかった.この結果から,HSKと診断した.治療経過:治療はオフロキサシン眼軟膏点入3回/日で開始した.角膜擦過後に樹枝状病変を呈した第4病日目からは,樹枝状角膜炎が否定できないため,アシクロビル眼軟膏点入3回/日の追加処方をした.第5病日には結膜充血および角膜実質浸潤性混濁は縮小した.また,角膜表層の樹枝状を呈した白色混濁も軽快傾向を示した.アシクロビル眼軟膏が有効であると判断し,オフロキサシン眼軟膏は中止し,アシクロビル眼軟膏のみ3回/日を継続とした.第12病日には眼瞼腫脹も軽減し,樹枝状の白色混濁は消失した.また,角膜実質浸潤性混濁は軽快し,淡い混濁を残すのみとなった.アシクロビル眼軟膏は,就寝前点入1回/日とし,前医での経過観察となった.II考按HSVの再活性化によるHSKは,臨床所見により上皮型,実質型および内皮型に大別される5).上皮型HSKはterminalbulbやintraepithelialinfiltrationを伴った樹枝状病変や地図状角膜炎でみられるdendritictailが特徴である.また,実質型HSKは,初発時には円板状角膜炎を呈し,角膜中央に実質浮腫およびDescemet膜皺襞がみられ,その部位に一致して角膜後面沈着物を伴うとされている.実質型HSKの再発を繰り返す症例では,壊死性角膜炎となり,角膜病変部への高度の炎症細胞浸潤により,血管侵入を伴う角膜膿瘍様の壊死病巣が形成され,その後の経過により瘢痕形成や脂肪変性などの病変が加わるとされる.また,実質型HSKの病変のなかには,実質の壊死病巣は軽度であるが,細胞免疫性実質型角膜炎(immunestromalkeratitis:ISK)とよばれる病型が存在することが報告されている6).ISKは,独立した実質型HSKの病型として扱われる場合もあるが,わが国の分類では壊死性角膜炎に含まれると考えられている.本症例の角膜炎では,白色斑状上皮下混濁,角膜実質のびまん性浸潤性混濁と経過中にみられた樹枝状病変とが特徴的所見としてみられたが,HSKに特徴的な所見はみられなかった.細菌分離培養検査でSt.warneriが極少量検出されたことから細菌性角膜炎も考慮したが,薬剤感受性試験で感受性ありと判定されたオフロキサシンを使用しても角膜炎には改善傾向がみられず,経過中に樹枝状病変に変化したことから起因菌ではないと判断した.本症例の角膜炎をHSKと診断したうえで病型診断をするとすれば,本症例の臨床所見はISKの臨床所見にもっとも類似していると考えられた.HSKの成人例のなかには,上皮型病変に対するアシクロビル点眼治療の経過中に上皮型病変が実質型病変,とくにISK様病変に移行する症例がみられることがある.このような症例では,経過中に上皮型病変と実質型病変が混在し,非典型病変を呈すると考えられるが,ウイルス量と宿主の免疫学的背景により形成される病変であるとも考えることができる.したがって,乳児の実質型HSKの臨床所見では,宿主の免疫学的防御反応の未熟性による非典型的病変が出現する可能性があると考えられた.乳児のHSKに関する既報は少ない.16歳未満の小児30例を調査した報告では1歳以下の発症が30例中5例(17%)であり,病型は上皮型が4例に対し,実質型は1例であった.そのなかで7カ月の乳児は1例報告されており,病型は上皮型であった7).また,わが国における12歳以下16眼の報告では10眼が上皮型,6眼が実質型であったが8),乳児例に関する記載はなく,乳児における実質型HSKの詳細は不明である.すなわち,小児HSKの病型は上皮型の頻度が高いものの,上皮型および実質型HSKの両者が発症する可能性があると考えられる.しかし,乳児に限定した場合には,上皮型の臨床診断はその病変の特徴から診断が比較的容易であるのに対して,実質型の診断は困難で,診断にはHSVの関連を証明する補助検査法が必要であると考えられた.一方,本症例の角膜炎の診断にPCR法が有用であった.定性および定量PCR法でチェックメイト®ヘルペスアイの残液から,HSV-DNAが検出されたこと,アシクロビル眼軟膏が奏効したことから,HSKと臨床診断した.HSKの非典型例ではPCR法が補助診断法として有用であるとされている.HSKに対する定量PCR法は,検査を施行する施設の手技などにより結果に若干のばらつきがみられるものの,典型上皮型で涙液からのサンプルでは103-8copies/sample,病巣擦過のサンプルでは105-8copies/sample,非典型上皮型では涙液・病巣擦過ともに102-3copies/sample,典型実質型,非典型実質型ともに涙液からのサンプルで101-3copies/sampleと報告されている9).すなわちHSKでは,各病型により検出されるウイルスDNA量が異なるが,その反面,各病型におけるウイルスDNA量が診断に有用であり,定量PCR法の利点でもあると言える.本症例はチェックメイト®ヘルペスアイの残液を用いて定量PCR法を施行したが,HSV-DNA量が59copies/sampleとなり,非典型的HSKとする臨床診断に矛盾しない検査結果であると考えられた.また,チェックメイト®ヘルペスアイの感度は104copies/sample程度とされており,HSV-DNA量が59copies/sampleと低値であったために,本症例は陰性という結果になったと考えられた.乳児では非典型のHSKを発症することがあり,臨床診断に定性PCRによるウイルスDNAの検出が有用であり,病型の判断に定量PCRによるウイルス量の測定が有用であった1例を報告した.利益相反:利益相反公表基準に該当なし文献1)檜垣史郎,下村嘉一:ヒトとヘルペスウイルス.日本の眼科84:1237-1240,20132)SimomuraY,OhashiY,MaedaNetal:Herpetickeratitistherapytoreducerecurrence.CurrEyeRes6:105-110,19873)ZamanskyGB,LeeBP,ChangRKetal:Quantitationofherpessimplexvirusinrabbitcornealepithelium.InvestOphthalmolVisSci26:873-876,19854)VarnellED,KaufmanHE,HillJMetal:ColdstressinducedrecurrencesofherpeticintheSqurrelMonkey.InvestOphthalmolVisSci36:1181-1183,19955)下村嘉一:上皮型角膜ヘルペスの新しい診断基準.眼科44:739-742,20026)HollandEJ,SchwartzGS:Classificationofherpessimplexviruskeratitis.Cornea18:144-154,19997)HsiaoCH,YeungL,YehL-Ketal:Pediatricherpessimplexviruskeratitis.Cornea28:249-253,20098)塩谷易之,前田直之,渡辺仁ほか:小児のヘルペス性角膜炎.臨眼52:101-104,19989)Kakimaru-HasegawaA,KuoCH,KomatsuNetal:Clinicalapplicationofreal-timepolymerasechainreactionfordiagnosisofherpeticdiseasesoftheanteriorsegmentoftheeye.JpnJOpthalmol52:24-31,2008〔別刷請求先〕白木夕起子:〒173-8610東京都板橋区大谷口上町30-1日本大学医学部視覚科学系眼科学分野Reprintrequests:YukikoShiraki,M.D.,DivisionofOphthalmology,DepartmentofVisualSciences,NihonUniversitySchoolofMedicine,30-1OyaguchiKamicho,Itabashi-ku,Tokyo173-8610,JAPAN図1初診時の右眼前眼部写真角膜下方には角膜表層の白色斑状混濁が多発し,その周囲に角膜実質混濁を伴う.(87)7110910-1810/16/¥100/頁/JCOPY712あたらしい眼科Vol.33,No.5,2016(88)(89)あたらしい眼科Vol.33,No.5,2016713

サイトメガロウイルス角膜内皮炎により複数回の角膜移植を要した3例

2015年10月31日 土曜日

《原著》あたらしい眼科32(10):1467.1471,2015cサイトメガロウイルス角膜内皮炎により複数回の角膜移植を要した3例矢津啓之*1,2市橋慶之*1小川安希子*1福井正樹*1川北哲也*1村戸ドール*1,2榛村重人*1島﨑潤*2坪田一男*1*1慶應義塾大学眼科学教室*2東京歯科大学市川総合病院眼科ThreeCasesRequiringMultipleKeratoplastiesDuetoCytomegalovirusEndotheliitisHiroyukiYazu1,2),YoshiyukiIchihashi1),AkikoOgawa1),MasakiFukui1),TetsuyaKawakita1),MuratDogru1,2),ShigetoShimmura1),JunShimazaki2)andKazuoTsubota1)1)DepartmentofOphthalmology,SchoolofMedicine,KeioUniversity,2)DepartmentofOphthalmology,IchikawaGeneralHospitalサイトメガロウイルス(CMV)角膜内皮炎により複数回の角膜移植を要した3例を報告する.3例とも虹彩炎後の水疱性角膜症(BK)に対しDescemet膜非.離角膜内皮移植術(nDSAEK)を施行した.その後,角膜実質浮腫および角膜後面沈着物(KPs)を認め,拒絶反応を疑い抗炎症治療するも奏効せず,再度BKとなり再移植を要した.再移植時の前房水polymerasechainreaction(PCR)にてCMV陽性であり,CMV角膜内皮炎とそれに随伴する虹彩炎による角膜内皮障害でBKが進行したと考えられた.再手術後2例では,角膜実質浮腫とcoinlesion様KPsを認めたため,再発性CMV角膜内皮炎と診断した.3例とも抗炎症治療に加え抗ウイルス治療併用により角膜実質浮腫とKPsは軽減した.原因不明あるいは再発するぶどう膜炎や角膜内皮炎にはウイルス感染の可能性を考慮し,前房水PCRを検討する必要がある.Wereport3casesthatrequiredmultiplekeratoplastiesduetocytomegalovirus(CMV)endotheliitis.All3patientsunderwentnon-Descemetstrippingautomatedendothelialkeratoplasty(nDSAEK)forbullouskeratopathy(BK)causedbyiritis.Severalmonthslater,onsetofcornealedemaandkeraticprecipitates(KPs)ledtothediagnosisof“rejection”andinitiationofsteroidtreatment.Allcasesremainedrefractorytomedicaltreatmentandhadtoonce-againundergokeratoplastysurgery.Inallcases,detectionofCMV-DNAfromtheaqueoushumourviapolymerasechainreaction(PCR)suggestedthatthecornealendotheliumwasaffectedbyCMVendotheliitisandiritis,leadingtoBK.Afterreoperation,2caseswerediagnosedwithcornealedema,andcoinlesionssuggestingrecurrentCMVendotheliitis.Cornealedemaandcoinlesionsrespondedtosystemicandtopicalganciclovirandsystemicvalganciclovirtreatmentinall3cases.CliniciansneedtoconsiderthepossibilityofCMVvirusinfectioninidiopathicorrecurrentuveitisandcornealendotheliitisandperformaqueoushumourPCR.〔AtarashiiGanka(JournaloftheEye)32(10):1467.1471,2015〕Keywords:サイトメガロウイルス,角膜内皮炎,角膜移植,拒絶反応,PCR.cytomegalovirus,cornealendotheliitis,keratoplasty,rejection,polymerasechainreaction.はじめに角膜内皮炎は1982年にKhodadoustらによって報告され,当初は角膜移植を伴わない眼において角膜実質浮腫とその領域に一致する拒絶反応線に酷似した角膜後面沈着物(keraticprecipitates:KPs)を認め,自己免疫性疾患と考えられていた.しかしその後,角膜内皮炎患者の前房水より単純ヘルペスウイルス(herpessimplexvirus:HSV)や水痘・帯状疱疹ウイルス(varicella-zostervirus:VZV)の抗原やDNAが検出され,ヘルペス群ウイルスの角膜感染症の一病型であると考えられるようになった1).さらに近年,アシクロビル〔別刷請求先〕矢津啓之:〒272-8513千葉県市川市菅野5-11-13東京歯科大学市川総合病院眼科Reprintrequests:HiroyukiYazu,M.D.,DepartmentofOphthalmology,IchikawaGeneralHospital,5-11-13Sugano,Ichikawa-shi,Chiba272-8513,JAPAN0910-1810/15/\100/頁/JCOPY(95)1467 やバラシクロビルなどの抗ヘルペスウイルス薬に抵抗性の角膜内皮炎の原因としてサイトメガロウイルス(cytomegalovirus:CMV)が報告され注目を集めている2,3).CMVは免疫不全患者の網膜炎の原因ウイルスとして知られているが,CMV角膜内皮炎は免疫不全のない患者にも発症するのが特徴である.動物モデル実験において,HSV角膜内皮炎では,前眼部免疫抑制機構(anteriorchamberassociatedimmunedeviation:ACAID)の下,潜伏感染したウイルスが角膜内皮細胞あるいは隅角組織などの角膜内皮近傍の組織において再活性化され,角膜内皮に感染し炎症を惹起すると推測されており4),CMV角膜内皮炎でも類似した発症機序が考えられているが明らかではない.今回筆者らは,CMV角膜内皮炎により複数回の角膜移植を要した3例を経験したので報告する.I症例〔症例1〕81歳,男性.主訴:右)視力低下.現病歴:平成10年,右)虹彩炎を発症し,以降ベタメタゾン(リンデロンR)点眼使用にて寛解増悪を繰り返していた.平成20年9月,右)視力低下を自覚,同時に角膜中央部位に実質浮腫を認め,原因精査および角膜移植目的に平成21年1月26日当科紹介受診となった.既往歴:2型糖尿病,高血圧,右)超音波水晶体乳化吸引術+眼内レンズ挿入術(平成17年7月),植え込み型除細動器挿入後(平成24年12月).初診時現症:abcd図1症例1の細隙灯顕微鏡検査所見と前房水PCR結果a:初診時.角膜実質浮腫部に一致したKPsを認めた.b:前房水ヒトヘルペスウイルスマルチプレックスPCR検査でCMV-DNA陽性を認めた.c,d:下耳側の角膜実質浮腫部に一致してcoinlesionを認めた.視力:右眼0.4(0.6×sph+0.50D(cyl.1.75DAx115°).左眼0.6(1.2×sph+0.50D(cyl.3.00DAx80°).眼圧:右眼13mmHg,左眼12mmHg.角膜内皮細胞密度(endothelialcelldensity:ECD):右眼400個/mm2,左眼2,923個/mm2.前眼部:右眼は角膜実質浮腫,Descemet膜皺襞,KPs.左眼は特記すべき所見なし.中間透光体・眼底:両眼ともに特記すべき所見なし.経過:平成21年5月14日,右)Descemet膜非.離角膜内皮移植術(non-Descemetstrippingautomatedendothelialkeratoplasty:nDSAEK)を施行した.しかし,同年10月頃より右)視力低下,移植片角膜実質浮腫の出現,さらに浮腫部に一致したKPsを認めた(図1a).拒絶反応を疑い,同年12月10日より2日間,メチルプレドニゾロン(ソル・メルコートR)125mg/日を投与したが,明らかな改善を認めなかった.その後も角膜実質浮腫は増悪したため,平成22年11月15日前房水を採取,polymerasechainreaction(PCR)にてCMV陽性であり,CMV角膜内皮炎による水疱性角膜症(bullouskeratopathy:BK)と診断した(図1b).平成23年7月7日,右)Descemet膜.離角膜内皮移植術(DSAEK)を施行した(2回目).入院中,0.5%ガンシクロビル(デノシンR)500mg/日点滴を14日間,退院後バルガンシクロビル(バリキサR)900mg/日内服を1カ月,0.5%ガンシクロビル(デノシンR)点眼5回/日を6カ月投与し,角膜実質浮腫は軽減傾向であった.平成24年3月頃より右)下方角膜実質浮腫を認めたが,視力は(0.7)と良好のため経過観察していた.平成26年4月10日,右)内皮機能不全に対して右)DSAEKを施行した(3回目).同年6月10日,右)角膜実質浮腫と同部位にcoinlesionを認め(図1c,d),CMV角膜内皮炎再発と判断し,1.5%レボフロキサシン(クラビットR)点眼3回/日,0.1%ベタメタゾン(サンベタゾンR)点眼5回/日に加え,バルガンシクロビル(バリキサR)1,800mg/日内服を開始し,角膜実質浮腫は改善,coinlesionも消失した.7月11日にバルガンシクロビル(バリキサR)内服を中止としたが,その後中止により角膜実質浮腫は増悪,再開により寛解,と繰り返している.治療後現症(右眼):視力(平成27年4月7日):(0.08×sph+0.50D(cyl.2.50DAx175°).眼圧(平成27年4月7日):11mmHg.ECD(平成26年7月29日):747個/mm2.〔症例2〕62歳,男性.主訴:左)視力低下.現病歴:平成15年より左)虹彩炎,続発緑内障の診断で1468あたらしい眼科Vol.32,No.10,2015(96) 近医通院加療中であり,虹彩炎発作時はベタメタゾン(リンデロンR)点眼使用にて寛解増悪を繰り返していた.平成21年12月より左)びまん性角膜実質浮腫を認め,視力低下も自覚した.左)BKの診断で精査加療目的に平成22年3月1日当科紹介受診となった.既往歴:左)続発緑内障(点眼加療中).治療前現症:視力:右眼1.2(better×cyl.0.50DAx25°).左眼0.9p(i.d.×sph+0.50D(cyl.0.75DAx120°).眼圧:右眼10mmHg,左眼17mmHg.ECD:右眼2,602個/mm2,左眼658個/mm2.前眼部:右眼特記すべき所見なし,左眼角膜実質浮腫とKPs(図2a).中間透光体:両眼軽度白内障.眼底:右眼特記すべき所見なし,左眼角膜浮腫のため詳細不明.経過:初診時より左)緑内障点眼薬に加え5%塩化ナトリウム眼軟膏塗布3回/日を開始した.平成23年4月11日,左)白内障に対して超音波水晶体乳化吸引術+眼内レンズ挿入術施行し,同年6月29日に左)BKに対して左)nDSAEKを施行した.7月14日より移植片後面にKPsが出現したため拒絶反応を疑い,ベタメタゾン(リンデロンR)1mg/日内服を開始し,術後1.5%レボフロキサシン(クラビットR),0.1%ベタメタゾン(サンベタゾンR)点眼の回数も適宜増減し経過観察していたが改善せず,9月1日時点でECDも911個/mm2と減少,角膜実質浮腫も出現し増悪した.11月26日より,ベタメタゾン(リンデロンR)8mg/日点滴投与を開始しその後漸減したが,KPsは軽減するも角膜実質浮腫は不変であった.平成24年1月26日,ヘルペス角膜内皮炎も疑いアシクロビル(ゾビラックスR)1,000mg/日を5日間内服するも改善せず,内皮機能不全に対し同年4月25日に左)DSAEKを施行した(2回目)(図2b).術中提出した前房水PCRにてCMV陽性との報告(図2c)が5月14日にあり,CMV角膜内皮炎によるBKであったと考えられたため,5月25日より入院し,0.5%ガンシクロビル(デノシンR)500mg/日点滴を14日間,0.5%ガンシクロビル(デノシンR)点眼8回/日,1.5%レボフロキサシン(クラビットR)点眼6回/日,0.1%ベタメタゾン(サンベタゾンR)点眼6回/日を開始し,角膜実質浮腫とKPsは消失した.点眼は退院後も継続とし,外来にて経過観察中である(図2d).治療後現症(左眼)(平成27年2月10日):視力:1.2(i.d.×sph+1.00D(cyl.1.50DAx100°).眼圧:8mmHg.ECD:860個/mm2.〔症例3〕81歳,男性.(97)abcd図2症例2の細隙灯顕微鏡検査所見と前房水PCR結果a:初診時.角膜実質浮腫とKPsあり,軽度白内障も認めた.b:2回目移植後.角膜実質浮腫とKPsともに消失し,移植片接着は良好であった.c:前房水ヒトヘルペスウイルスマルチプレックスPCR検査でCMV-DNA陽性を認めた.d:角膜実質浮腫とKPsを認めず,落ち着いている.主訴:左)視力低下.現病歴:昭和32年より左)虹彩炎を繰り返し,発作時はベタメタゾン(リンデロンR)点眼使用にて寛解していた.その後虹彩炎に伴う左)続発緑内障の診断で近医にて点眼加療されていたが,眼圧コントロール不良であった.また,平成7年より左)白内障も認め,徐々に視力低下したため,平成10年2月線維柱帯切除術+超音波水晶体乳化吸引術+眼内レンズ挿入術を当院で施行した.その後徐々に左)角膜実質浮腫増悪し,視力低下や霧視を自覚したため,角膜移植目的に平成19年11月12日当科紹介受診となった.既往歴:左)続発緑内障(昭和55年.),左)線維柱帯切除術+超音波水晶体乳化吸引術+眼内レンズ挿入術(平成10年2月)治療前現症:視力:右眼1.0p(1.2×sph.0.50D(cyl.1.50DAx75°).左眼0.05p(i.d.×sph+2.00D).眼圧:右眼11mmHg,左眼8mmHg.ECD:右眼2,618個/mm2,左眼測定不能.前眼部:右眼特記すべき所見なし.左眼11時の強膜フラップ弁,角膜上皮・実質浮腫(図3a).中間透光体:両眼特記すべき所見なし.眼底:右眼特記すべき所見なし,左眼視神経乳頭陥凹(C/D比0.8).経過:平成19年12月26日,左)nDSEAKを施行した.しかし,平成20年12月1日に左)視力低下主訴に来院,KPsおよび角膜実質浮腫を認め,拒絶反応が疑われたためあたらしい眼科Vol.32,No.10,20151469 abcdefabcdef図3症例3の細隙灯顕微鏡検査所見と前房水PCR結果a:初診時.広範囲に角膜上皮および実質浮腫を認めた.b:前房水ヒトヘルペスウイルスマルチプレックスPCR検査でCMV-DNA陽性を認めた.c,d:角膜実質浮腫部に一致してcoinlesionを認めた.e,f:角膜実質浮腫は残存している.メチルプレドニゾロン(ソル・メルコートR)1,000mg/日2日間点滴した.その後はベタメタゾン(サンベタゾンR)点眼の回数も適宜増減しながら,緑内障治療も含め近医にて経過観察していたが,角膜実質浮腫は残存していた.それから徐々に左)BKが増悪したため,平成22年9月2日に左)DSAEKを施行した(2回目).その際の前房水PCRでは,HSV・VZV・CMVはどれも陰性であった.その後再び左)BKが進行し,同年12月6日に左)全層角膜移植(penetratingkeratoplasty:PKP)を施行した(3回目).その際の前房水PCRでCMV陽性であった(図3b).術後炎症所見や角膜実質浮腫などは改善し経過観察していたが,平成25年10月28日,左)角膜実質浮腫部に一致してcoinlesionを認めた(図3c,d)ため,CMV角膜内皮炎再発と診断し,11月25日までバルガンシクロビル(バリキサR)1,800mg/日内服した結果,KPsは消失した.平成26年5月13日,KPsは認めないものの左)角膜下方に実質浮腫が出現し,CMV角膜内皮炎の再発が疑われバルガンシクロビル(バリキサR)1,800mg/日を21日間内服したが,角膜実質浮腫の改善は認められず,経過観察としている(図3e,f).治療後現症(左眼)(平成27年3月9日):視力:10cm/指数弁(矯正不能).1470あたらしい眼科Vol.32,No.10,2015眼圧:9mmHg.ECD:測定不能.II考按今回筆者らが経験したCMV角膜内皮炎の3症例は,免疫機能低下を認めない患者であり,原因不明の片眼の虹彩炎と診断されステロイド点眼するも寛解増悪し,次第に角膜実質浮腫の増悪による視力低下を自覚した,という経過が一致している.また,その後角膜移植後に拒絶反応の診断でステロイド加療するも奏効しなかった点も同様である.平成24年に特発性角膜内皮炎研究班により提唱された診断基準5)を参考にすると,症例1と症例3ではcoinlesionを認め,前房水PCRにてCMV陽性,HSVとVZVは陰性であり,典型例に該当する.症例2も,coinlesionは認めないものの拒絶反応線様のKPsを認め,前房水PCR結果は他2症例と同様であったため,典型例に該当する.臨床的に,角膜移植後の浮腫とKPsの原因が拒絶反応なのか,あるいはヘルペスなどのウイルス感染によるものかの判断はむずかしい.一般的なその鑑別方法は,まず所見で部位をみる.角膜実質浮腫やKPsがgraftに限局するのか,hostにも認めるのか判断する.つぎに形状で,KPsがline状(Khodadoustline)であれば拒絶反応,coinlesionであればCMVを考える.後述する前房水PCRにてCMV陽性のうち,coinlesionを認める症例は70.6%であるとの報告6)があるため,この所見は非常に診断的価値が高いと考える.大橋らの報告7)では,角膜内皮炎の臨床病型を浮腫とKPsの特徴から4つに分類しており,CMV角膜内皮炎では,周辺部に初発する実質浮腫とその先進部にKPs,離れてcoinlesionを認める進行性周辺部浮腫型と考えられる.しかし,この先進部のKPsをKhodadoustlineと誤って拒絶反応と診断している可能性があるため,必ず全体のKPsを診ることが重要である.診断は,拒絶反応では所見と経過で診断するのが現状である.拒絶反応は,PKP術後では10.30%,DSAEKでは7.8%8)と報告されており,後者のほうが確率は低いのは,移植される組織量が少ないことと,graftが免疫学的特権を得た前房内にのみ移植されるためだと考えられている.ウイルス感染では前房水PCRが有用であるが,非常に感度が高く,また無症候性のウイルス排泄(viralshedding)により偽陽性の可能性も考慮しなければならない.約100μlの前房水を吸引する際に,検体量不足のため正確な結果が得られにくいのも現状である.一方,コンフォーカル顕微鏡では,CMV角膜内皮炎でOwl’seyeを認めることもある9).拒絶反応の診断にコンフォーカル顕微鏡を用いたときの所見は,炎症細胞やLangerhans細胞様高輝度陰影がgraft内皮に認められるが,これは想定できるものであり,Owl’seyeのよ(98) うな特異的所見ではなく,補助診断としての有用性は高くない.そして治療方法であるが,拒絶反応の場合はデキサメタゾンあるいはベタメタゾンの頻回点眼を基本とし,発症が急であったり炎症が強い場合はベタメタゾン8mgから約3週間かけて漸減していく大量漸減療法や,メチルプレドニゾロン500mgを3日間投与してからベタメタゾン内服に切り替えるミニパルスを行う10).ウイルス感染の場合は,ステロイド点眼と併用して,抗ウイルス薬を使用する11).CMVでは,ウイルスのDNAポリメラーゼを阻害するガンシクロビルの点滴・自家調整した点眼や,ガンシクロビルのプロドラッグであるバルガンシクロビルの内服を用いる.実際の臨床では,これらの抗ウイルス薬をいつまで使えばいいのか明確なプロトコールはなく,量の調整も臨床経過をみながら主治医の判断でなされているのが現状である.また,ウイルスを完全排除できるわけではないので,中止しても再発の可能性があり,一方で遷延的に使用してもコスト面,血球減少症や腎障害などの副作用が懸念される.本症例のように,内皮炎のコントロール不良でECDが減少しBKになれば,つぎの手段は角膜移植となるため,そうなる前に原因を追究し的確な治療をしなければならない.一般的に角膜内皮移植の手術適応は,実質混濁がなく内皮細胞が障害されたBKであり,例として白内障術後,レーザー虹彩切開術後,Fuchs角膜ジストロフィ,偽落屑症候群,内皮型拒絶反応後,そして本疾患後のBKがあげられる.nDSAEKとDSAEKの手技選択については,前者のほうが手術時間が短縮され,また,Descemet膜.離の際に生じうる角膜実質への障害やhost-graft間の不完全な接着などのリスクが軽減するため選択されることが多く,本症例でも初回角膜内皮移植時に選択された.また,症例3では3回目の角膜移植でPKPを施行したが,高度な角膜実質浮腫により透見不良であり,DSAEKがきわめて困難であったためと考える.CMV角膜内皮炎はここ数年の新しい概念であり,CMVがどのように角膜内皮に到達するのかなど,病態は明らかにされていないことが多い.またCMV網膜炎と異なり,免疫不全がなくても発症するのも特徴的である.本症例は近医で診断された虹彩炎の原因がCMVであったためステロイド点眼のみでは寛解増悪を繰り返した可能性がある.その後の角膜移植による侵襲と,長期のステロイド加療によって局所的に免疫が低下しているなかで,抗ウイルス薬未投与であり,CMV量が増大し,再度CMV角膜内皮炎を発症し,再移植を要したのではないかと考える.症例3において,抗ウイルス薬の効果が症例1と症例2に比し不良であり,再び内皮機能不全に至ったが,内皮炎の原因がCMVと診断されるまでに症例1と2よりも長期経過していたためと考える.今後,Posner-Schlossmansyndromeなど,原因不明あるいは再発するぶどう膜炎や角膜内皮炎には,CMV含めウイルス感染の可能性を考慮し,前房水PCRを検討する必要がある.また,角膜移植後拒絶反応と診断するもステロイド治療効果が乏しい場合も,ウイルス感染の可能性を考慮すべきである.文献1)ShenY-C,ChenY-C,LeeY-Fetal:Progressiveherpeticlinearendotheliitis.Cornea26:365-367,20072)KoizumiN,YamasakiK,KawasakiSetal:Cytomegalovirusinaqueoushumorfromaneyewithcornealendotheliitis.AmJOphthalmol141:564-565,20063)唐下千寿,矢倉慶子,郭権慧ほか:バルガンシクロビル内服が奏効した再発性サイトメガロウイルス角膜内皮炎の1例.あたらしい眼科27:367-370,20104)ZhengX,YamaguchiM,GotoTetal:Experimentalcornealendotheliitisinrabbit.InvestOphthalmolVisSci41:377-385,20005)小泉範子:ウイルス編-1:CMV角膜内皮炎の診断基準.あたらしい眼科32:637-641,20156)KoizumiN,InatomiT,SuzukiTetal:Clinicalfeaturesandmanagementofcytomegaloviruscornealendotheliitis:analysisof106casesfromtheJapancornealendotheliitisstudy.BrJOphthalmol99:54-58,20157)大橋裕一,真野富也,本倉真代ほか:角膜内皮炎の臨床病型分類の試み.臨眼42:676-680,19888)AllanBD,TerryMA,PriceFWetal:Cornealtransplantrejectionrateandseverityafterendothelialkeratoplasty.Cornea26:1039-1042,20079)KobayashiA,YokogawaH,HigashideTetal:Clinicalsignificanceofowleyemorphologicfeaturesbyinvivolaserconfocalmicroscopyinpatientswithcytomegaloviruscornealendotheliitis.AmJOphthalmol153:445-453,201210)HillJC,MaskeR,WatsonP:Corticosteroidsincornealgraftrejection.Oralversussinglepulsetheraphy.Ophthalmology98:359-333,199111)白石敦:角膜内皮炎.臨眼67(増刊号11):79-85,2013***(99)あたらしい眼科Vol.32,No.10,20151471

市中眼科診療所におけるアデノウイルスの院内汚染調査

2011年12月30日 金曜日

《原著》あたらしい眼科28(12):1743.1746,2011c市中眼科診療所におけるアデノウイルスの院内汚染調査石岡みさき*1,2伊藤典彦*2*1みさき眼科クリニック*2横浜市立大学医学部眼科学教室SurveillanceofNosocomialContaminationbyAdenovirusatUrbanEyeClinicMisakiIshioka1,2)andNorihikoItoh2)1)MisakiEyeClinic,2)DepartmentofOphthalmologyYokohamaCityUniversitySchoolofMedicine新規開業の眼科診療所において,アデノウイルスの院内感染予防マニュアルを作成・実施し,同ウイルスの院内汚染を調査した.みさき眼科クリニックは外来診療のみの診療所で,内眼手術,レーザー治療,コンタクトレンズ処方のいずれも行っていない.アデノウイルスの院内汚染を調べるために11カ所の検出ポイントを設定し,開業前から開業後1年6カ月にわたり毎月拭き取り調査を行った.アデノウイルスの検出には定性polymerasechainreaction(PCR)法を用いた.アデノウイルス感染が疑われる患者にはウイルスの迅速診断キットを施行した.期間中アデノウイルスによる結膜炎疑いの患者は34名,ウイルス迅速診断キット陽性患者は7名,院内感染が疑われる症例はみられなかった.調査全期間を通してすべての検出ポイントからウイルスDNAは検出されなかった.外来診療のみの小規模眼科診療所においては,感染予防対策を施すことで施設内がアデノウイルスにより汚染される可能性は低い.Wecreatedandfollowedaprotocolofinfectioncontrolforadenovirusatanewlyopenedeyeclinicandsurveyednosocomialcontaminationbythisvirus.Theclinichasnowardsanddoesnotperformintraocularsurgery,lasertreatmentorcontactlensprescription.Weset11pointsfordetectingadenovirusandcheckedforviralcontaminationusingpolymerasechainreaction(PCR)beforestartingtheclinicandateverymonthfor18months.Anadenovirusrapiddiagnosiskitwasusedonpatientswithsymptomsofadenoviruskeratoconjunctivitis.Duringthestudyperiod,34patientsshowedsymptomsofadenoviruskeratoconjunctivitis;7ofthemshowedpositiveusingthediagnosiskit.Nopatientsweresuspectedofhavinganosocomialinfection.Duringthestudyperiod,noviralDNAwasdetectedatanydetectionpoint.Atasmalleyeclinicwithnowards,thepotentialfornosocomialcontaminationbyadenovirusmaybekeptlowwiththisprotocolofinfectioncontrol.〔AtarashiiGanka(JournaloftheEye)28(12):1743.1746,2011〕Keywords:アデノウイルス,角結膜炎,院内感染,ウイルス汚染,PCR.adenovirus,keratoconjunctivitis,nosocomialinfection,viralcontamination,PCR.はじめにアデノウイルスは眼科における院内感染の原因となる.患者にとってはもちろんのこと,医療側にも社会的・経済的な損害は重大となる.院内感染発生時の汚染源は,医療従事者の手指1,2),点眼瓶1,3),眼圧計1,2,4),などがあげられているが,実際の院内感染発生時に特定できない場合が多い.アデノウイルス院内感染予防のマニュアルに従っても,院内汚染そして感染は起きるのか,院内感染発生時にウイルスの院内汚染は発生しているのか,そして,院内汚染発生時に院内感染は起きるのか,これらはいずれも未解決である.今回新規開設の眼科診療所で,無理なく実施可能な院内感染予防のマニュアルを作成,実施し,アデノウイルスの院内汚染と結膜炎発症症例を1年6カ月にわたり追跡した.I方法2008年5月,渋谷区に開業した眼科診療所,みさき眼科クリニック(以下,当院)にて調査を実施した.当院は外来診療のみで,観血的手術は霰粒腫の切開のみを施行し,レーザー治療は施行せず,コンタクトレンズの取り扱いは行っていない.医師は1名,コメディカルは常勤1名と非常勤が1〔別刷請求先〕石岡みさき:〒151-0064東京都渋谷区上原1-22-6みさき眼科クリニックReprintrequests:MisakiIshioka,M.D.,MisakiEyeClinic,1-22-6Uehara,Shibuya-ku,Tokyo151-0064,JAPAN0910-1810/11/\100/頁/JCOPY(81)1743 表1当院の院内感染予防マニュアル1日常診療(1)初診,再診とも,まず診察を行う.(2)患者ひとりごとに診察後薬用液体ハンドソープ,流水にて手洗いを施行する.ペーパータオルを使用後,速乾性手指消毒剤をすりこむ.(3)眼表面に触れる検査・処置器具は患者ごとに取り換え,高圧蒸気滅菌を施行する.高圧蒸気滅菌が不可能な器具は次亜塩素酸ナトリウムにて消毒する.2内装(1)水栓(診察室,検査室,トイレ)はセンサー式自動水栓を採用.(2)待合室に雑誌は置かない.(3)待合室ソファ,受付カウンターはアルコールで清拭できる材質を使用.3清拭市販のアルコールタオルにて,午前・午後外来終了時に以下の場所を清拭する.(1)待合室ソファ(2)受付カウンター(3)診察室ドア取っ手(4)診察用椅子(5)入口自動ドアタッチセンサー(6)トイレドアノブ,鍵4点眼散瞳薬,麻酔薬,抗菌薬の点眼は5ml瓶を1カ月ごとに交換する.5結膜炎患者受診時(1)濾胞性結膜炎の症状を呈し,アデノウイルス感染の可能性が高い患者に対して,アデノウイルス迅速診断キットを施行する.(2)ウイルス迅速診断キット施行時は点眼麻酔薬を使用し,そのつど点眼瓶は破棄する.(3)患者帰宅後,清拭施行.(場所は3に前述.)名勤務していた.日本眼科学会が作成した「ウイルス性結膜炎のガイドライン」5)に準拠し策定した当院の院内感染予防マニュアルを表1に示す.診療は1カ所の診察室を使用し,細隙灯顕微鏡で行った.通常の細隙灯顕微鏡での検査が困難な乳幼児の場合のみ,手持ちの細隙灯顕微鏡を使用した.初診時および再診患者で次回の検査指示が出されていた場合でも,各種検査前に医師の診察を行った.診察時に使い捨て手袋は使用しなかった.睫毛鑷子,硝子棒は患者1人ごとに交換し,使用後は洗浄のうえ高圧蒸気滅菌を施行し再使用した.眼圧計のチップは測定ごとに交換し,0.1%次亜塩素酸ナトリウム(ミルトンR)に30分以上浸漬後(途中攪拌),流水にて洗浄しペーパータオルにて水気を拭き取り使用した.スリーミラーなどの接触型レンズは水洗後ミルトンRに30分以上浸漬し,流水にて洗浄後風乾した.患者が触れると想定される院内施設については,午前・午後の診療終了時,アデノウイルス感染の可能性が高い結膜炎の患者が受診した際は随時,アルコールタオル(商品名メディクロス,エタノール76.9.81.4vol%)にて清拭を施行した.濾胞性結膜炎の症状を呈し,アデノウイルス感染の可能性が高い患者に対しては,アデノウイルスの迅速診断キット(キャピリアアデノアイR,わかもと製薬)を施行した.迅速診断施行時には点眼麻酔薬(防腐剤入りオキシブプロカイン,ベノキシールR,参天製薬)を使用し,そのつど点眼瓶は破棄した.診察後,医師は液体ハンドソープ,流水にて手洗いし,ペーパータオル使用後に速乾性手指消毒剤をすりこんだ.患者帰宅後,待合室ソファ,受付カウンター,診察室ドア取っ手,診察用椅子,入り口自動ドアタッチセンサー(同患者が使用すればトイレドアノブ,鍵)をアルコールタオルにて清拭施行した.図1施設内ウイルス検出ポイント①:入口自動ドアタッチセンサー,②:待合室ソファ,③:診察室ドア取っ手,④:受付カウンター,⑤:非接触眼圧計エアーノズル,⑥:トイレドアノブ,⑦:眼圧計チップ,⑧:接触型レンズ(スリーミラー),⑨:医師の手,⑩:点眼麻酔薬,⑪:散瞳薬.(ただし,⑦.⑪は図中では省略)1744あたらしい眼科Vol.28,No.12,2011(82) アデノウイルス結膜炎疑い患者数(人/月)543210:アデノウイルス結膜炎疑い患者:迅速診断キット陽性患者受けることができないことは,患者側の不利益となる可能性があり回避されるべきである.全国約650カ所の定点観測7)によると,流行性角結膜炎の平均症例数は35.65例/年/1施設である.この定点観測は「重症な急性濾胞性結膜炎に角膜上皮下混濁,あるいは耳前リンパ節の腫脹・圧痛を伴う症例」という臨床症状に基づく診断である.当院のウイルス性結膜炎疑い例が1年半の間に34名というのは定点観測と比べると少ない発症数であるが,定点観測を報告している施設の規模はさまざまであり,症例数の多い施設は受診患者数自体が多い可能性もある.東京都眼科医会が毎年6月分と11月分の保険請求を調査している1010ト陽性患者数.9月図月別結膜炎患者数と迅速診断キット陽性数2濾胞性結膜炎の症状を呈し,アデノウイルス感染の可能性が高い患者の月別人数と,そのうちのアデノウイルス迅速診断キッ院内汚染調査は開業前から開業後1年6カ月にわたり定期1回,午前の診療終了後院内清拭前に(点眼瓶交換前)綿棒にて①から⑨の検出ポイントを擦過した.点眼麻酔薬,散瞳薬はノズル先端を綿棒にて擦過し同時に点眼残液を浸透させた.アデノウイルスDNAの検出は定性polymerasechain6)reaction(PCR)法にて行った.調査期間中における月平均外来患者数は153名(1日平均8名),そのうちの濾胞性結膜炎患者数とアデノウイルス迅速診断キット陽性患者数を図2に示す.期間中アデノウイルスによる結膜炎疑いは34名,アデノウイルス迅速診断キット陽性患者は7名であった.院内感染を疑わせる症例はなかった.調査全期間を通して,すべての検出ポイントからアデノウイルスDNAは検出されなかった.的に行った.計11カ所の検出ポイントを図1に示す.月にII結果9月III考察今回,眼科診療所院内のウイルス汚染調査を新規開業診療所において1年半にわたり行った.ウイルス迅速診断キット結果が陽性であるアデノウイルス結膜炎患者が受診していたにもかかわらず,院内のウイルス汚染は検出されなかった.ウイルス性結膜炎患者は通常診療に使用される診療室・診察機器で検査を受けており,当院策定のウイルス対策マニュアルに沿った診療業務を行うことにより,ウイルス性結膜炎患者が受診しても院内がウイルスに汚染され,院内感染が発生する可能性は低いと考えられた.ウイルスの院内汚染をおそれるあまりに,ウイルス性結膜炎疑いの患者が十分な診察を(83)月8月7月6月5月11が,手術を行っていない施設の2010年6月の請求件数は平月11128月7月6月5月4月3月2月1月月月均765件であり,ここ10年は大きく変動していない8).こ月のデータと比較すると,当院の外来患者数は手術をしていない眼科施設としても少ないほうであるため,結膜炎の患者数が少なくウイルス汚染が起きにくかったとも考えられる.わが国では入院施設がある病院での院内感染報告が主である5)が,海外では外来における院内感染の報告1),院内感染発症の主体が外来患者という報告4)もあり,当院が外来診療のみのため院内感染が起きなかったとは言い切れない.受診患者数,その他の施設条件(入院施設の有無,コンタクトレンズ処方の有無,手術施行の有無など)の相違も,院内汚染・院内感染の検討課題になりうるであろう.流行性角結膜炎流行時のケースコントロールスタディでは,点眼瓶,眼圧計が危険因子であると報告されている1,2,4).流行性角結膜炎患者の指がウイルス汚染されていること9),ウイルスは乾燥した場所でも長く生き残る報告10)を踏まえると,患者が接触するすべての院内施設の汚染の可能性は十分に考えられる.施設によってはウイルス性結膜炎が疑われる患者の動線を変更,専用の細隙灯顕微鏡で診察を行っている.当院においては当該結膜炎患者の隔離は行っていないが,施設内のウイルス汚染は起きていない.しかし,流行性角結膜炎の院内感染発生時に結膜炎疑いの患者を隔離するまで流行が終焉しなかったという報告もあり1,4),施設汚染は院内感染の重要な危険因子となりうるであろう.実際に汚染が起こるのか,そしてそれはどこに起きるのかを明確にするさまざまな規模の施設が参加した前向き調査を期待したい.調査時に開院直後で患者数の少なかった当院でも,数年たち患者数が増えたところで追試を検討したい.今回院内汚染は検出されなかったが,検出された場合どれくらいのウイルス数を院内感染の原因と判定するかはむずかしいところもある.施設のウイルス汚染を調べる場合には院内感染の動向も調べ,汚染が感染の原因になっているか定量的なウイルスDNAによる確認が必要と考えられる.迅速診断キットの陽性率は100%ではなく,採取方法や発症時期による検体のウイルス量によっても陽性率が異なってくる.アあたらしい眼科Vol.28,No.12,20111745 デノウイルスによる結膜炎を疑い迅速診断キットが陰性であった場合でもこのウイルスによる感染を完全に否定することはむずかしいため,院内汚染・院内感染調査時にはキットを施行した患者についてPCRにてもチェックすることを検討したほうがよいと考えられる.手指がウイルス汚染した場合には洗っても完全に除去することができないという報告がある2).当院では手袋の使用は行われなかったが,医療従事者が使い捨ての手袋を使用したほうが良いかは検討の余地があると考えられた.一方,点眼瓶汚染の可能性は高いとされ,当院でも疑い症例への使用後は廃棄を行っている.処置用点眼薬を小分けし使用ごとに破棄する方法も推奨されている1).麻酔薬,抗生物質には使い切りの点眼がすでに販売され,小分けにする手間を省くことが可能である.アデノウイルスによる結膜炎は,眼科であればどのような規模の施設でも避けては通ることのできない疾患である.一般診療所でも今回策定したような実践可能な感染対策マニュアルで院内汚染,院内感染への対策が可能であると思われる.外来患者数の多い施設においては,検査などの再来時にまず医師の診察がむずかしいことも考えられ,コメディカルスタッフの教育も重要である.文献1)VineyKA,KehoePJ,DoyleBetal:AnoutbreakofepidemickeratoconjunctivitisinaregionalophthalmologyclinicinNewSouthWales.EpidemiolInfect136:11971206,20082)JerniganJA,LowryBS,HaydenFGetal:Adenovirustype8epidemickeratoconjunctivitisinaeyeclinic:riskfactorsandcontrol.JInfectDis167:1307-1313,19933)UchioE,IshikoH,AokiKetal:Adenovirusdetectedbypolymerasechainreactioninmultidoseeyedropbottlesusedbypatientswithadenoviralkeratoconjunctivitis.AmJOphthalmol134:618-619,20024)WarrenD,NelsonKE,FarrarJAetal:Alargeoutbreakofepidemickeratoconjunctivitis:Problemsincontrollingnosocomialspread.JInfectDis160:938-943,19895)塩田洋,大野重昭,青木功喜ほか:アデノウイルス結膜炎院内感染対策ガイドライン.日眼会誌113:25-46,20096)AokiK,IshikoK,KonnoTetal:Epidemickeratoconjunctivitisduetothenovelhexon-chimeric-intermediate22,37/H8humanadenovirus.JClinMicrobiol46:32593269,20087)国立感染症研究所サーベイランス感染症発生動向調査http://idsc.nih.go.jp/idwr/ydata/report-Jb.html8)健康保険請求状況調査報告平成22年6月診療分.東京都眼科医会報213:32-36,20109)AzarMJ,DhaliwalDK,BowerKSetal:Possibleconsequenceofshakinghandswithyourpatientswithepidemickeratoconjunctivitis.AmJOphthalmol121:711-712,199610)GordonYJ,GordonRY,RomanowskiEetal:Prolongedrecoveryofdesiccatedadenovirusserotypes5,8,and19fromplasticandmetalsurfaceinvitro.Ophthalmology100:1835-1840,1993***1746あたらしい眼科Vol.28,No.12,2011(84)